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シルクロード 天空の道
 第11日  (8月4日)

ホータン近郊観光。マリクワト古城跡、バザール、駱駝に乗って沙漠散策 (和田泊)
 6:30起床。昨夜の洗濯物は完全に乾いている。7:00外はまだ暗い。因みに7:00 米蘭では日の出直前。チャルクリクは明るい。チェルチェンは薄暗い。ホータンは暗い。北京時間に統一されているが、実際にはどんどん時差が大きくなっていることがわかる。8:00〜朝食。お客さん多く混雑。お粥、ゆで卵(塩味つきのもの)野菜炒めもの等種類多い。朝食から帰り、部屋の電気つけようとカードをスイッチに挿入するもつかない。昨日は(廊下にいるボーイさんを呼んだら)ちょっと曲げて入れたらOKだったのでそうしてみるがダメ!1階のフロントまで行ってカードを見せて身振りで説明するが、通じない。フロントの女性が(他のツアーの)ガイドさん呼んでくれる。日本語で話すと、英語で話してくれという。なんと言ったかわからないが、このカード使ってもエレクトリック パワーを得ること出来ないという意味のことを言う(言ったつもり)。それをガイドさんが中国語でフロントの女性に伝える。フロントの女性がボーイさんを呼んでくれ、一緒に部屋に行く。カードを挿入し入ったところを手の平で押すとOK.とにかく差し込んだだけでは接触悪かったようだ。

 9:00ホテル発、マリクワト古城跡へ。ホータンの三大産品は「玉、絹、絨毯」、ホータンの人口の95%はウイグル族、小学校はウイグル語でスタートし三年生から中国語を学ぶ。(1年生から漢語でスタートするところもあるがほんの少数)等ガイドのヤリクンさんより説明ある。10分もはしると畑が見えるが、(北の方は土壁でカマボコを半分に切った時の曲線の部分にフィルム(支えは細い木)をかけたという構造の)温室が多い。道路の近くが温室、次クルミの木、そのむこうに高いポプラ並木というかたち。畑の少なくとも片側はポプラ並木になっている。9:20ホータン空港の近くを通過、ジャリ道となる。9:34ゴビの中をはしる。9:37 白玉川に下りる坂の手前にウイグル族の墓地があり、ここからは白玉川が上から見渡せる。われらのグループは通過するが、ここで下りて見ているグループもある。すぐ白玉川が見える。川原にはユンボがはいり、川原を掘り返し大々的に玉を探している。ちょっと数えただけでその数6台。9:40 坂を下りた村の入口の道路沿いに急造の(日本で夏だけ設置する海の家という感じ)店、食堂が数軒あり、新築中のものもある。それだけ多くの人が玉探しに来ているのだろう。村の中のガタガタ道をゆっくりはしり、9:48 駐車場に到着。ロバ車の客引き激しいが、ユーラシアはここではロバ車使わない。(ロバ車の御者には女性も居り、ロバが制御できないではしることもあって危険なことがあったようだ。)途中漢字の彫ってある遺跡の碑のあるところで写真写してもらい、20分ほど砂の道を歩き、遺跡のところに着く。ここはウテン国の漢〜唐の時代の”夏の都の跡”であり、”仏教都市の跡”でもあると言われているところ。11世紀に滅び、今は土の壁や住居跡と思われる四角な壁の跡などが何ヶ所かに散らばってある。ここで、1901年にはスタインも来て貨幣などを見つけたという。10分ほど説明聞いたあと自由行動、多くの人は川原に玉探しに下りる。川の水は濁って、たくさん流れている、増水している時は上流から玉が流されてカーブしているこのあたりに流れ着く可能性が強いのだとか。地元の人も鶴嘴をもって探している。小生は少し離れたところに点在している、土の壁や、仏塔のようにも見える円形の塊を見に行く。近くに行ってみると、仏塔ではなく、基壇か烽火台跡という感じ。少なくとも中は空洞ではなくしっかりと土が詰まって頑丈にできている。もうひつ離れたところにある壁のところにいく。やはり建物の跡のようで壁が縦、横にある。この周辺には陶器の破片がたくさんある。歴史からすると千年以上前のもののはず。湾曲した(壷の一部?)カケラを一個拾う。(王さんの感じでは唐の時代のものとのこと) 帰る途中で日本の他のツアーの女性に、このちょっと離れた壁をバックにシャッター押してもらう。10:45分頃 みんなのいる川原に下りるところに行くと鶴嘴を肩に右手に白いかたまりを持ったおじさん(といっても四〇歳そこそこ)が意気揚揚とあがってくる。一瞬玉を売る人かと思うが小生には見向きもせず足早に去って行く。後で聞くとその人が4000元の玉を見つけた人で右手のかたまりがその玉だったようだ。”目が輝く”とはああいう状態をいうのだろうという顔が忘れられない。われらの仲間は(だまぁっている人がいるかも知れないが)収穫あった声は聞こえない。11:12 漢字の彫ってある遺跡の碑のところまでもどる。途中から少女が土産を売り込む。一人がトルファンのあの少女に似ているのでボールペンを1本プレゼントし、もう一人の友達とならんだので二人を写す。
マリクワト村の少女
 なんとボールペンをあげた彼女10元という。モデル代を払えということのようだ。ボールペンを指差すと友達のぶん5元を出せと言う、でも出さない。トルファンのあの少女のイメージは無くなり幻滅!11:20バスにもどる、土産物の売り込みはバスの周りでも続く。11:40 青空トイレ、11:50 舗装道路にもどる。12:10バザール到着、ロバ車、車、人人&人 とにかくニギヤカ。広い道路には屋台の店、狭い道の両側は建物の店がたくさんたくさんある。屋台の店は野菜、果物、が多く、シシカバブ、氷とヨーグルトの店もある。建物の店は衣類、香料、ナッツ、清真料理の食堂などがある。民族衣装とスカーフからウイグルの人だけのようだ。小生はクルミ、と干しイチジクをそれぞれ1元分買う。(1元で大きなクルミ10個以上ある。)12:40出発、近くのレストランで昼食、ビールはここでも新疆ビール、よく冷やしてあってグー。13:50 昼食終わり、ホテルへ。14:00ホテル着、暑くて外の観光は無理。16:30までホテルで休憩となる。希望する人があり、一部の人は王さんの案内で玉石工場へ。小生は休憩組。

 14:20〜買い物に出る。ホテルの前の公園(団結広場)ではみんな木陰で休んでいる。木陰で休む、幼児を連れたママにたのみホテルをバックに記念撮影、つづいてあの毛沢東とクルバンさんの大きな像の前(*)で、通りかかったビジネスマン(のようにみえた)にたのみ記念撮影。(*:解放後生活が向上したことをありがたく思ったクルバンさんはナンや干しぶどうを持って、ろば車で北京の毛沢東に会いに行きました。との添乗員さんの説明。それが銅像で残されたもの。それにしてもホータンから北京までの、ろば車の旅はたいへんだったことだろう。ろば車で帰ってきたかどうかは聞き洩らしました。)そして見つけた酒屋さんへ行くがあの楼蘭ワインはない。楼蘭ワインはあるのだが、ラベルが違い、値段が安い。(経験的には値段の安いのはあまぁ〜い)きょろきょろと歩き(このくそ暑い時に外を歩いている人は少ない)ショッピングセンターを見つけてはいる。中に大きなスーパーがある。ここであのラベルの楼蘭ワインみつけるここでも白はなく、赤だけ。2003年もの45元で買う。ここには砂糖もいろいろあるがラクダ草の砂糖は見当たらない。搾采がいろいろあり、小さい袋に入ったのを3種類買う、いずれも生産地は四川省、安いのは1袋1元。レジで支払いを済ませると、品物とレシートを持って近くの男性のところへ行け!というジェスチャー。男性が手招きするのでそちらにいく、袋の中をチェックし、レシートに赤ボールペンでチェックマークをいれてくれる。そのあとでスーパーを出る。(後で聞くと万引きのチェックとのこと)15:00に部屋にもどる、カード式の電気の元スイッチは朝教えてもらった”差し込んで一押し”でOK,クーラーもよく効いて室内は快適,気持ちよく昼寝。16:30出発。駱駝で沙漠散策の予定だったが、沙漠は現在気温45℃とのことで、予定を変更し。吉雅(ジヤ)村にあるアトラスシルクの工場に先に行くことにする。ジヤ村への途中建設中の道路がある、ホータン〜クチャを結ぶ砂漠公路で、来年開通とのこと。沙漠公路一挙に3本になるようだ。タクラマカン縦断のツアーも3ルートになるのだろうか。違うルートを通って往復なんてツアーもできるかも知れない。16:50シルクの工場に着く。普通の民家の門のようなところから中に入る。中は広い。繭をお湯に浮かべ、25〜30コの繭から取り出した糸を1本にして撚りをかけて管に巻き取る。この糸を綛(カセ)に巻き取りたて糸にする。よこ糸は小さい管に巻きなおす。これを染めて、手織りの織機で織り布にする。伝統工芸の難しいところは糸を染めて柄を出すことにある。経て糸の方々をテープで縛り染めない場所をつくる。これをうまく引きそろえてあの民族衣装の柄をだす。と書いてしまえば簡単だが、どう染めて、どう引きそろえるかの技術は大変なものだ。化学繊維のものは布にした後プリントしたものでここのような複雑なものではない。とにかく殆どが手作業なので生産量は少ない。90歳近いおばぁさんも元気で働いている。伝統工芸ならではーーと思う。同じ敷地の中で製品売っている。ショール買う人多い。確かに価値あるもので日本では絶対入手できないものだと思う。17:30 門の外へ。ポプラ並木の道路沿いに屋台の店多く、賑わっている。道路に沿って水路があり水は濁っているが、ものを洗ったり、子供が水遊びしたりしている。村はずれのポプラ並木で写真ストップ。
ジヤ村近くの並木道

18:40〜ウイグル族の民家訪問。町の近くのウイグル族の集落の1軒を訪ねる。約束の時間より早く(駱駝散策を後回しにしたので)最初は奥さん、てんてこまい。お茶、ナン、西瓜、ハミ瓜、りんご、ももなどでもてなしてくれました。果物食べる時にシルをおとすのが気がひけるりっぱな絨毯なので、器で受けながらいただきました。19:05バスへ、外はかなり涼しくなっている。再びジヤ村を通り、その先の沙漠へ、19:50駱駝の乗り場に着く。5頭づつ3グループ計15頭の駱駝が座って待っている。1頭づつ順番に乗る、全員が乗り終わるのに10分ちかくかかる。王さんとヤリクンさんは駱駝には乗らず、みなのカメラを預かり撮影係をつとめる。駱駝出発すると彼らは徒歩で付いて来て撮影してくれる。









ラクダでの沙漠散策
  気温は35℃とのことだが、風もありさわやかである。出発したとき遠くの砂丘に歩いた跡のようなスジが見えるがあそこまでは(遠いので)行かないだろうとおもったが、駱駝の手綱を持つ人はそちらに歩いて行く。結局その砂丘までいく。砂丘の先はまた砂丘の続くタクラマカン沙漠だ。ついて来るのを途中でやめた王さんたちが遠くに小さく見える。砂丘をまわって20:45もとのところにもどる。降りるのははやい。すぐにバス出発、20:02ジヤ村通過、21:26ホテル着。21:40〜昨夜と同じレストランで夕食、ビールは同じ「新疆ビール」本日もよく冷えている。みな沙漠帰りということもありピッチも早く12本あける。ガイドのヤリクンさんとはここでお別れ、りっぱな体格の男前、大きな声での説明ありがとうございました。22:50食事終了。シャワーで沙漠の砂を落とし気持ちよく眠る。本日の走行 115km。

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