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シルクロード 天空の道
 第8日  (8月1日)
米蘭遺跡観光後、若羌(チャルクリク)へ (若羌泊)
 本日は米蘭遺跡観光後、若羌(チャルクリク)まで走る。5:00に(飲みすぎの)ノドの渇きで目が覚める。昨日買った凍った水が冷たく酔いざめに美味しい。外は真っ暗、窓を開け空を見る、一面の星空だ。星の名前は判らないが大きく、明るいのがそこらじゅうに見える。6:30起床、7:35外へ出て見る。日の出直後、町を歩いている人はまだ少ない。気温24℃だが、湿度低いのでさわやか。チャルクリク行き、コルラ行きのバスをみる。ここから(天山南路の)コルラに通じているのだ。8:00 より朝食、おかゆ、2種。トッピング材数種、たまねぎ、きゅうりの野菜。ここで、本日の配車発表あり、小生は本日は6号車。9:04出発、大きいポプラ並木の舗装道路をはしる。9:08には右折、ガタガタ道にはいる。9:12米蘭遺跡入口のゲートに到着、管理人のいる建物で手続き、カメラ、ビデオの使用は1台につき150元必要。自己申告で各自が直接管理人に150元支払う。管理人は1人、カメラ(台数を含め)のチェックもなしにお金は受け取る。お金をうけとっても領収書もなにもくれない。人数チェックでもしたのだろうか?150元支払わなくてカメラ使ってもチェックできるの?という感じ。20分近くかかり1号車に管理人も乗って遺跡へ出発。5分で写真でよく見る仏塔に到着。
1907年 スタインはここであの有名な「有翼天使像」を発見した
  米蘭故城については「週刊朝日百科 シルクロード紀行」のNo4の記述を引用させていただく。−−ミーラン故城 1907年、イギリスの探検家スタイン(1862〜1943年)は、町から5キロほど東にあるミーラン故城の仏塔の壁画に、背中に翼を備えた天使の像、「有翼天使像」が描かれているのを発見した。この像が描かれた壁画は、ヘレニズム文化が伝わった地としては最東端のものといわれる。シルクロードを介して異文化が融合し、独自の”西域文化”として発展したのがわかる。壁画は、インドのニューデリー国立博物館に収蔵されている。スタインの調査によれば、王城は5〜6世紀に廃墟となったが、後に吐蕃により軍事上の基地として再利用されたようだ。見学の際は中国政府に申し込む。入場料は1200元。−−(引用終わり)この文からするとカメラ代徴収の時に管理人が人数チェックしないのは見学人数は事前に旅行社より連絡してあるのでチェック不要ということか。仏教遺跡は3〜4世紀のもの、王城が廃墟となったのは5〜6世紀、その後ーー6世紀からブランクだあったどうか?−−吐蕃が基地として使い、その吐蕃が滅んだのは11世紀ということなので、今から約1000年前からは廃墟となっている。ということだ。王さんが概略説明し、時々管理人に質問、確認という感じで補足する。あの壁画が描かれたころはここの推定人口1万人、僧侶が3000人もいたとのこと。仏塔の周りを一回りして写真撮影する。そして仏塔の近くの砂をフィルムケースに入れる。10:17車に乗り、米蘭故城へ7分で到着。米蘭故城は8km×6kmという巨大なものと推定されているがここはその中心。東西55m、南北70m、高さ5〜6mの壁があり、壁の上に烽火台、通路跡、住居の壁、カマドがあったと推定される跡も残っている。

砦の遠景。唐とその後吐蕃が使った砦跡。ハン築とレンガの壁があり二つの時代に使われたことが分かる
壁は”ハンチク”と言われる葦と粘土の層を突き固めたものと、レンガ積みの2種類がありここが二つの時代に築かれ、使われたことが解るのだという説明もある。まだ壁はしっかりと残っており大きな日陰をつくっている。しかし、今旅日記を書きながら26年前のNHKのシルクロードの本の写真を見ると随分と風化しているのがわかる。壁から少し離れた所の地面に管理人が円を書いて何か説明している。胡楊の木だ。直径1m近い木の半分近くが地表に出ている、掘ればおそらく円形の全体が見えるだろう。

三千年の最後の千年をより長く生きる胡楊
 胡楊三千年の最後の千年をより長く生きているようだ。その近くで管理人が陶器の小さな破片を拾って何故か小生へ、王さんに聞くと唐の時代のものだろうとのこと。こっそりポケットにいれて持ち帰りました。穴の多い黒と茶色の塊ですが、1300年以上も前のものと思えば私には宝物です。この頃の気温36℃。11:30出発、希望で最初に見た仏塔のところで写真ストップ。集合写真も撮る。12:00ゲートを出る、管理人も同乗したまま。12:10ホテル到着。ー(ホテルから遺跡往復15km)ースーツケース積み込み、トイレをすませて12:30ホテル出発。12:50昨日来た315号線にでる。ここからは舗装なし。道路両側ひろ〜いゴビ、前の車のほこりを被らないよう車間距離十分とってはしる。同じような風景の中をひたすら走る。
チャルクリクへの道

対向車も殆ど無い。14:04右折し舗装道路に入る。(この間 315号線で出会った対向車は僅か7台ーーヒマなので数えてメモ)すぐ並木道、家もある。14:12町にはいる、すぐホテル(14:14)着。(ホテルの名前は”楼蘭賓館”いやぁ〜ロマンですなぁ〜。)ホテルのレストランに直行。14:20〜昼食。ビールは昨夜と同じ WUSUビール、ウルムチ産、4,0% 冷えは少し不足(ということもあり追加せず。)<今日はUSUでなくWUSUとなっている。>近くのテーブルではドライバーさんたちも食事、なんとあの管理人さんも一緒。本日の訪問者はわれわれだけということのようだ。それでも「シルクロード紀行」の記事によると入場料1200元×15+カメラ150元×15=20250元の収入はかなりのものだ。しかし、コルラからにしろホウタンからにしろ米蘭を見るには一泊が必要であり、その拠点となるコルラやホウタンまで来ることがまた大変であることを考えるとまだまだ秘境なのだ。わたしはそこに足跡を残したのだと思うと感慨無量。15:10食事終了、部屋へ。部屋はレストランの近くの1階、廊下暗く、部屋の番号確認に小型LEDが役にたつ。16:00までシャワーや洗濯。ここには110Vのコンセントあり電気カミソリ充電(グッドタイミングで110Vがある。ラッキー!)16:40〜約1時間 昼寝、いい気持ちでした。マツタケの吸い物飲もうと湯沸し器のコンセント差し込むが電気通じない、コンセント変えてみるがやはりだめ、であきらめる。あとで添乗員さんに聞くと湯沸し器本体にもスイッチがあるとのこと。夜はちゃんと沸きました。(これもお粗末の告白です。)このホテルのトイレの便座、軟らかく、温度もあたたかい。(あの断熱の箱に使われている)発泡ポリスチレンのような樹脂製、初体験でした。
 
 19:00〜夕食、食事に行く途中に厨房が見えるがガスの火、大きく勢いもよい、すごい火力で調理している。(どなたかからリクエストあったとのことで)ラグ麺がでる。コシが強く歯ごたえは讃岐うどんのようで美味しい。日本風に(添乗員さん持参の)醤油で食べるのもまた美味しい。ビールは昼と同じ WUSUビール、王さんしっかり指示してくれたようで泡立ちが少ないほど冷やしてある。それでもここではグー!8本飲んだところで次にきたのは冷えていない。ビールそんなに飲むとは想定外!ということのようだ。急にペースダウン トータル10本で終了。近くのテーブルでドライバーさんたちも食事中、お別れのあいさつ、&拍手。スイカとハミ瓜美味しかったですよぅ。謝謝!20:25夕食終わる。21:00まだ日は沈まない。21:10高い木のむこうに日が沈む。21:30〜殆どの人が揃ってバザールへ出かける。洋服屋や帽子屋等繊維の店のならんだところもあるが、果物中心の露店とシシカバブー中心の食べ物店が多い。梨、2コ1,5元で買う。他のひとが買った小さいスモモもらって食べるが甘くて美味しい。ホテル近くの公園で見た星もきれいでした。横浜の人に教えてもらった北斗七星は意外と高いところで輝いていました。22:35ホテルに戻る。皮をむいて食べた梨はあっさりして舌触りも滑らかでグーでした。22:40ごろ停電があるもすぐに復旧する。本日の走行105km 4WDでの走行合計は1251km。

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