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シルクロード、カラホトとゴビ砂漠紀行
第7日  (8月3日)
カラホトを中心とする額済納郊外バタンジリン砂漠の遺跡観光 (額済納泊)
 本日は四駆に分乗し、カラホトを中心に額済納(エチナ)の町の周辺の遺跡を訪ねる。エチナは漢の時代にすでに一番北の町として存在していた。従って漢の時代からの遺跡も多い。6:45より朝食、本日はバイキングではなく、われわれのためだけに作るセットメニューなのでみんなで揃っていく。麺と小さいおさらに5品の野菜を中心とした料理+1人1個のゆで卵とシンプルなもの。7:30 6台(全て三菱パジェロ)の四駆に分乗。組み合わせは添乗員さんのアイデア。小生はTさんという男性と何さんの3人で4号車。7:40出発!いよいよこの旅のメインであるカラホトへの出発だ。5分足らずで土漠へ道路もあるが各車夫々適当に土漠の中を走る。ホコリもたつが各車前後に並ばないので問題ない。しかし道路ではないところをかなりのスピードで走るので揺れる。
カラホトへの四駆の道。この色の差が”揺れ”の素
見た目には平らだがところどころに砂の柔らかいところがありここで(タイヤが沈むので)揺れる。単純に上下でなく、左右にも、斜めにも揺れる。8:02胡楊の林、すぐに黒水川で写真ストップ。川と言っても殆ど流れはなく浅い池と言う感じ。ダムを作って流れを変えてしまったのだそうだ。でも周りには木が多い。8:17沙漠の中のゲートでチケット購入。カラホトだけでなくその他のところの入場も兼ねているのだろうか?カラホト見えないところでの入場券販売だ。
 
 8:35カラホトが見えるところで停止。25年前NHK取材の時はラクダのキャラバンで2日かかって到着したところが、2005年の今は四駆で僅か1時間。ちょっと拍子抜け!でもあの独特の形の塔が城壁の左の角に見える。ついに来たぞ!と叫びたくなる。でも今は見学しない。ほかをみた後で帰りに見学するとのこと。何さんと一緒なのでわかる。どうやらここで6台が揃うのを待ったようだ。5分ほどして出発。ここで先頭車に道案内人が一人乗った。勝手なところを走らないようにということのようだ。今度は今までより砂が多く、全車ほぼ同じ道を行く。時々バックしてやり直さないと通過できないところもある。途中放牧のラクダに2回会う。9:15砂の中でトイレストップ。9:35緑城。
こんな所も走る、緑城の前。
青空トイレは左奥の小山の陰のようなところを使う
周〜西夏時代の遺跡。居延海から引いていたという幅5mはある用水路の跡ががはっきり残っている。遠くには低く途切れ途切れに四方形の城壁の跡が見える。水の流れが変わったことにより廃墟となったとのこと。まさに水は生命。9:45発5分ほどで緑城の寺と墓。沙漠の中に土の大きな台や城壁の跡のようなものがある、これがお寺の跡なのだろう。崩れかかっているが独立した四角い台が漢の時代の墓の跡。オムスビの潰れたような形のつちの山が西夏時代の墓の跡とのこと。墓は盗掘されたものが多い。しかし、最近も盗掘があり、盗掘中に見つかって逮捕されるという事件があったそうだ。西夏時代の墓のひとつを見ると、中腹に掘った跡があり、その先に長方形の穴がある。この長方形の形ははっきりしており、掘ったのもそう古いようには見えない。最近の盗掘されたのはこれか?と言う感じ。お寺や墓の跡という説明はあるが、どんな規模のどんな形のお寺だったかの説明はない。わかっていないということだろう。近くにはラマ教の塔(と何さんの説明)がポツンとひとつ残っていた。10:05カラホトへ出発。途中ラクダの群れのところで写真ストップ。

 10:43カラホト着。以下カラホトについて添乗員さんの旅日記から引用"「西夏時代の重要な要塞となっていた城跡。西夏王国には全部で12の軍司があったが、そのうちのひとつ黒水鎮燕軍司が置かれていた。(ここは新疆〜北京の”東西通商路”と蒙古〜河西回廊の”南北通商路”の交差点に当たる要所)その後、1286年に元は「赤集乃路兌管府」を置き、城は西夏時代の3倍になったという。マルコポーロの東方見聞録にも記載されている。現在、南壁425m、西壁357m、北壁445m、東壁405m、高さ9m、上部の厚さ3,5m、下部11,6m、面積154、000平方m。外壁は元代に版築工法で作られている。(板でわくを作り、土をその中に盛り、一層ずつ杵でつき固めるもの)」"引用終わり。車は入口ゲート(入場券チェック場所)のある、西壁を正面に見るところに止まる。ゲートのところから見ると西壁の左端にあの仏塔が見える。25年前のNHKで放映された朝日をバックにシルエットとして映されたあの感動的な塔だ。(あの時この場所に残っていたのは1塔だけ。)しかし、今は復元修理されており、塔も4塔(近くに行くと小さいのがもう1塔ある)になっている。中央に突き出ていた風化した木も見えない。さらに近づくと表面も荒れた土でなく漆喰で化粧されていて、かたちも円くなっている。きれいではあるがあの映像の印象があまりに強かったのでちょっと戸惑う。「夜、カタチだけ見て無彩色を想像していて昼間見たら派手な彩色が施されていた」と言う感じ。ここからまっすぐに西門まで歩き、西門から城内に入る。門はかぎ型になっており、数mまっすぐ進み、次に数m横に歩き、その次に数m縦に歩くと城内に出る、という構造になっている。一気に攻め込むことはできない構造だ。広い城内にはところどころに少し高くなった土の台があるがはっきりしたかたちのものはあの仏塔だけである。9mあるという高い城壁は九割ちかくの高さまで砂に埋まっている。仏塔の下にみんな集まりこのツアーの記念撮影。ここらあたりには瓦や陶磁器の破片多数あり。いずれも少なくとも500年以上前のもの!と思うと見る人が見ればどれでもそれなりに価値あるものだろう。ここで自由行動。25年前にNHKさんがここから城内に入ったという北壁の穴(この穴は25年前の写真と同じ形で残っている)の横から仏塔のところにあがる。近くに来ると修復された仏塔が、強い日差しにきらきら輝いている。
仏塔の左(城外の)のどれかの小仏塔から
岡崎先生の見つけた千仏が出ていた(はず)
カラホトが観光に解放されたのは2000年とのことだがそれから修復されたのだろう。北壁の上の仏塔に近い方は歩けるほど広い。ここから北方を見ると砂丘の続く砂漠。東門からも出られるか聞くと、出られるとのことで東南の方向へ歩いて見る。こちらの方にはだれもいない&来ない。半分以上進んでも東門の位置がわからない。東南の方向に進んだところは小さな起伏の土と石で人工物の欠けらも殆どない。不安になり引き返す。西門を出て車まで歩く間に何回も何回も振り返って西壁と仏塔を見る。仏塔の近くの場外に見える小仏塔のどれかが、あの取材の時に岡崎先生が小さな仏たちを見つけられた仏塔なのだろう。仏塔と反対側(南西)の場外にはイスラム寺院も残っている。カラホトは西夏が滅んでも、その西夏を滅ぼした元が滅んでもその興亡をのりきり繁栄を続けたという。これほどまでに繁栄した大都市が15世紀末には消えてしまう。その謎にせまる大プロジェクトが日本にある。その最新の研究成果が10月のNHK新シルクロードで放映される(とNHK出版の本に書いてある)。25年後のカラホトの映像とともに楽しみ。

 12:00出発 大同城へ、10分足らずで着く。大同城は561〜565年に創建、唐代(743年)に拡張したという城。唐の時代ここでアラビア商人が宝石の加工をしていたそうで、今でも玉や宝石の欠けらが出るという話があるそうだ。ガイドの何さん一生懸命さがしていたようだった。水が無くなり唐の時代に破棄されて廃墟となった。大きな城壁が途切れ途切れに残っている。12:27五塔寺。
修復された仏塔。25年前の映像にはうしろの方の塔のみが映っている。
前の塔は(その時には)無く、中央に木の出た台のみが映っていた。
この写真で仏塔が五つあること知った
砂に覆われた西壁の内側
西夏時代のラマ教の寺院跡、五つの塔があったが現在残っているのは2塔だけ、中央に木が飛び出していてこの木を中心に作ったのがわかる。が、それだけまわりが崩れたということ。遠くに僧院跡という土の壁も見える。、すぐ近くに二塔寺。ここには同じような塔が1塔しか残っていない。12:45出発、またまた揺られながらホテルへ。13:30ホテル到着、昼食。ビールは”2008ビール”アルコール3,3%酒泉市のビール。オリンピックマークこそないが北京オリンピックを意識してのネーミングのビール。追加1本、5元。やはりちょっと水っぽいがよく冷えている上、よく晴れていて、その上カラホトを見て興奮気味なので美味しかったです。14:20終了。15:00まで(部屋に戻り)休憩。この間に日本の友人と我が妻に”カラホトに行ったよ”と(切手つきで旅行社からもらった)カラホトの写真のついた絵葉書を書いて投函をフロントに頼む。(”内蒙古額済納旗”の消印のついたのが7日後=帰国後に着く) 集合前に水買いに行く、凍ったのがある1本、2元。15:00みんな揃うが車が4台しかない。ドライバーも昼食で家に帰った人もあったようだが、まだ二人戻っていない。一人はすぐ戻ってきたが、もう一人が戻ってこない。リーダーらしき人(社長と呼ばれていたそうだ。――何語で社長と言われたかは聞かなかった。)が携帯で連絡。20分近く遅刻で戻ってくる。リーダーらしき人、軽く叱責と言う感じ。当の本人ニヤニヤとして謝る姿勢はない(と見えた)。このあたりだと20分なんてたいした遅れではないということか?15:20出発。15:50甲渠候官遺跡に着くこの遺跡は漢の武帝時代の紀元前102年に建てられた要塞の跡。(出土した木簡によって歴史が分る。)崩れた大きな壁の一部と中に建物の壁が残っている。16:25怪樹林着。多くが立ち枯れている胡楊の林。(大きかった時の)居延海のほとりだったのだろうが水の流れが変わり立ち枯れた。
怪樹林
胡楊は生きて千年、枯れて千年、倒れて千年といい、3000年その姿を残すのだそうだ。ここには生きて、枯れて、そして倒れての各世代がある。形としては枯れての時代のものが多く、変化にも富んでいる。怪樹の名前もここからきているのだろう。ここの入場門の向こうに要塞の遺跡がある。(われらは行かなかったが)紅城という甲渠候官遺跡と同時代の防衛のための要塞であったものだそうだ。17:00出発、25分でホテル着。本日の走行193km。揺れが厳しかったので距離の割には長時間乗った。

 18:30より夕食。本日のハイライトは旅行社差し入れの”そうめん”!氷の手配が出来ないと添乗員さん言っていたので温度を心配していたが、ミネラルウオーター冷やしたのを利用、日本から運んだ”ツユ”も(たのんで冷蔵庫にいれて)冷やしておいたとのこと。全てOK.みんなそうめん第一にいただく。大量のそうめん見事完売でした。ビールは”2008ビール”と”西涼花雨”を1本づつ計2本追加。19:30終了。19:50よりカセットテープ買うため町へ。まだ明るい。町を歩いて見るとここでも奇石を売っている店が多い。あとは食べ物店、雑貨屋。(百貨店と言う感じのスーパーもあったそうだ。このスーパーでCDを買った人もいる。)左側15分以上歩き商店切れるところまで行くがテープ売っているところ見つからない。反対側を歩く、途中で音楽聞こえてくるのでその店に寄る。多く目につくのは文房具、筆談始める。”音楽”これは通じる。CDを見せてくれる。カセットとかテープとか言ってみるが通じない、手でカセットのサイズで四角い形作って見る。お客の小学5〜6年に見える少女がなにか言ってくれるとカセットテープのところに連れて行ってくれる。「民族」とか「伝統的」とか「馬頭琴」とか書いてみるがこれは少女を加えても通じないのか反応悪い。出てきたのは”緑色音樂””寂静山林”とかヒーリング系と思われるもの。とにかくこれしか出そうにないのでこの2本を買う。1本5元。20:30ホテルにもどる。2時前に目が覚めたのでカーテンを開け空を見る、星がきれい。天の川が見える。星の数が多い上、少し丸みのある立体的な天の川が見えました。

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