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シルクロード、カラホトとゴビ砂漠紀行
第2日  (7月29日)
 
彬県 近くの大仏寺を見学。固原へ。途中須弥山石窟を見学  (固原泊)
 本日は彬県近くの大仏寺観光の後、須弥山石窟を訪ね固原まで走る旅。
7:00より朝食、バイキング形式。ご飯はない。お米の類は薄いお粥だけ。白い蒸しパンがある。餡子入りで甘いと困る(小生甘いもの苦手、特に朝は!)のでこれをすでに食べた人に聞く。”甘いですか?””いいえ、饅頭の皮という感じですよ”この答えで安心して食べる。確かにこの白いもの自体には殆ど味がない。ピリ辛の野菜炒めをのせて食べるとちょうどよい。粉の揚げたものもある。先ほど質問した女性”こちらは甘くないカリントウです。”との説明。こちらも食べる。フルーツはなし。

  8:00出発。早起きして町へ出た人の話ではホテルの前の道に市場が出来ており、日本と同じ感じの野菜中心の市だったとのこと。いやその行動力には感心。出発してすぐ(町の中)に屋根に草の生えている、土の高い塔が見える。1060年ごろのものとのことだがその程度の古さだけでは相手にされないということらしい。”宋の時代の塔です。”という程度で通過。すぐ郊外に出る。崖に穴が見える。質問するとヤオトンとのこと、今でも夏は使われているものもあるとのこと。涼しさがメリット、ということで倉庫に使われていることが多いようだ。8:20頃から道路(312号線)はケイ河に沿ってはしる。8:25大仏寺到着。
大仏寺 : ヤオトンは写真の崖のようなところに掘られている

628年(唐代)に創設されたお寺だが現在ある建物等は明清時代のものである。中には1300年前に完成したと言われる大きな阿弥陀仏(高さ20m肩幅13m)とこの阿弥陀仏の左右に高さ17,6mの二体の菩薩がおさめられている。天井には22体の飛天、菩提樹、ハスの花などが描かれている。阿弥陀仏は2階から見ると、いや拝むと笑っているような表情だが、3階から見ると怒っているような表情に見える。これは人々が見下ろすことを阿弥陀さまがこころよく思っていないからだとのこと。阿弥陀様はチャーンと見ておられるのだ!とだれかが考えたのだろうか? となりには則天武后の時代に作られたという千仏洞もあり約600体の像があるとのことだがこちらは非公開。1990年までは大仏殿の前近くを312号線が通っていたとのこと。今はずうっと下の離れた所を通っており、入場料も必要であり、入場券売り場の近くには何軒かの土産物屋もある。ここでは直径20cmはあろうかというひまわりを売っていた。ひまわりの種は(乾かさなくても)生で食べられるのだと初めて知った。

  9:17出発。なだらかな山、段段畑、時々村、もっと時々町という繰り返しの312号線をはしる。9:50長武の町通過。10時ごろ長い立派な柳並木の道路。このあたり蘭州まで431kmの標識がある。10:17陝西省から甘粛省へ入る。やがて長い峠を下る。11:12蘭州まで334kmの標識通過。先ほどの431km標識の通過時間から計算すると平均85km/Hちかいスピードで走っていることになる。このあたりの道路はよい。11:30〜平りょう(冫に京)の町の立派なホテルで昼食。ビールは雪花ビール。アルコール4,0% 8元。よく冷えておりコクもありまぁまぁ。何故かすこし離れた四川省の生産だった。バスに乗る前にトイレにいっておく。ここのホテルの男性用の水洗の水の勢いは強く便器の外に飛び出すほどであった。12:25出発。国道からはずれた道を15分ほど走ったところで(ドライバーが)村の人に聞いたところこの先の方で工事中とのこと(よくぞ聞いてくれました!聞かなかったら昨日の二の舞?)で平りょうの町まで引き返し、再び312号線を走る。13:30(お願いして→ビールを1本追加で飲むと最初にテーブルについている2本と合わせ小生一人で大瓶2本ちかくを飲んだことになるのです。)ガソリンスタンドでトイレストップ。13:40頃から道路が完全に濡れるほどのかなり強い雨。でも10分程でやむ。13:43固原へ40kmの標識のところ右折(312号線とわかれる)道路はみどり多い段段畑の広がる谷間をあがっていく。固原は海抜1300mで彬県より300m(と思うが不確か)高い。14:30固原の町の手前で左折し須弥山石窟に向かう。最初デコボコ道、途中新しい舗装道路、その後デコボコ道で結構揺られる。15:40ひまわりのたくさん咲いている畑のところで写真ストップ。バスに乗ったまま見ると遠くまで花が続くが、バスから降りて畑に近づくとひまわりの方が高くどこまでも花の続く様子は写せない。それでも何枚か撮影。
須弥山石窟 : うしろの円形の窟の中に大仏がある

  16:05須弥山石窟に到着。ここは海抜1700mとのことで動かなければ涼しく快適!石窟の前は赤い土が削られた深い谷。門から中で撮影するには150元必要とのこと。結構高い。大半の人はカメラ持込やめる。しかもうまいぐあいにできていて?メインの大仏は門のところからは見えず、150元払わねば撮影できない位置にある。嗚呼! 須弥山石窟は北魏(4世紀)の時代に開かれ、唐の時代まで造営が続けられた石窟で3平方キロの峰々の中に126窟、約300尊の仏像がある。まず須弥山石窟といえばここの写真が出てくる大仏楼にいく。唐の時代に作られた(その後何回か修復されている)高さ20,6mの弥勒菩薩が窟の中に収まっている。お顔は則天武后を模して作られたと言われているそうだ。唐の時代に美人とされたふっくらとしたお顔の菩薩様だ。この大仏様がきれいにお化粧されりっぱな屋根つきの伽藍の中にあった時にはさぞ豪華なことだったろう。続いてどんどんと急坂を上って圓光寺へ、中が煤けているのは1980年頃まではこのあたりで林業労働者が生活していたためとのこと。ここでは45、46窟を見学。四角い大きい塔の周りに菩薩のある窟ーー中心塔柱窟というのだそうだ。最後に相国寺、ここの51窟は須弥山最大の窟で北周時代のもの。大きい仏像も多数ある。1920年の大地震で被害を受け、窟の上部が崩落し補修した跡がたくさん見られる。が、多くの仏像は埋まったが壊れなかった。窟の後方にある過去、現代、未来という三尊の大きな菩薩は珍しい貴重なものである(とのこと)。ここの見学中ずうっと一人の男性とまだ学生のような若い女性二人が一緒だった。てっきりわれわれについたガイドの説明を聞くために一緒に回っている観光客だろうと思っていた。ところが、下りてから案内所兼土産物売り場という感じの所にいくとその男性がいてニコニコと商売している。あれはタダで撮影する人がいないかチェックするウォッチマンだった?そんな気がした。(150元は大金だ!)17:50出発。途中クコの畑がありところどころの畑では実を収穫している。直径2〜3cmの細い、高さも2mまでの小さい木だ。ガイドさん、途中の道端の露店で夕食のためスイカ2個とウリ6個買う。(スイカは切り抜いてよく熟れているかチェックの上買ったとか)それで合計10元!なんとも安い。

  19:30ホテル(固原郵電賓館)到着。すぐ食事。ビールは西夏ビール 銀川産。アルコール3,6%、6元。よく冷えていてまぁまぁだがすこし水っぽい。21:00まで。このホテルの部屋にはクーラー、冷蔵庫なし。しかし暑さは感じなかった。バスタブもちゃんとある。ベープマットと同じものがおいてあり、使う。このためか?蚊にやられることもなかった。本日の走行距離388km。(本日よりバスのスタート時とホテルに到着蒔の距離をバスのトータル走行距離のメーターにてチェック。)

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