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シルクロード、カラホトとゴビ砂漠紀行
第6日  (8月2日)
 
阿拉善左旗から烏力吉(ウーリーチ)経由額済納(エチナ)へ。(額済納泊)
  本日は左旗から額済納へひたすら走る日。ここで地名についての添乗員さんの説明(旅日記より)。阿拉善盟(アラシャンモン)は内蒙古自治区西側のひとつの地域。盟は日本でいうと関東地方とかの地方にあたる。左旗(旗は日本の県という感じ、人口12万人)右旗(人口2万人)額済納旗(人口2万人)の三つに分かれる。阿拉善盟の面積は30万平方Km(日本の面積の約80%)この広いところに18万人しか住んでいない。計算して見ると人口密度は日本の2/1000、面積同じとすると人口100万人の県に2千人しか住んでいないということになる。(間違っていたら教えてください。)ほとんどが沙漠かゴビか草原で人口は都市に集中している。左旗の中心は巴彦浩特(ホテルのあった町)で奇石の採れるところとして有名。(市場もあった!) 額済納(エチナ)の中心は達頼庫布(ダレイクープ)で本日宿泊するホテルのある町。モンゴルが近いので軍事要所(漢の時代の一番北の町)にもなっていた。住んでいるのはほとんど蒙古族。歌や踊りはモンゴルのものを好む。日常語は中国語。(ダレイクープでは小学校最初の2年はモンゴル語の授業、3年から中国語を学ぶとガイドさんから聞いた。がーー)4:00ごろ寒く、喉もカラカラなのでクーラー止める。しかし、クーラー停止少し遅かったようで起きると鼻がつまり喉も痛い。友人のH医師の揃えてくれた薬の中に”鼻かぜの時に飲む”というのがあったのを思い出して飲んでおく。沙漠では昼と夜の温度差大きいので持たしてくれたものだろう。午前中には症状消える。謝謝! 

  6時過ぎ窓から外を見ると薄暗がりの中、黄色の服を着た人が動いている。よく見ると道路清掃中。ボランティアではないと思うがーーー。この町で凄いことだと思う。7時前にはタクシーで(ホテルに?)出勤する人も見える。7:00より朝食。バイキング、ここではお粥はなく、ご飯だけ。ゆで卵はおでんのように出し汁で煮込んだもの。味がしみ込んでいて美味しい。7:40昨日の店で凍った水買う。店の女性は昨日と同じだが。なぜか今朝は1,5元。凍ったのは少し高くしたのか? 8:00集合でみんなバスに乗るが出発少し遅れる。部屋のチェックが済むまで出発待ってくれとのことらしい。8:10出発、すぐ家のないところへ、8:22には放牧の羊の群れ、すぐに牛の放牧も見える。8:35羊の群れで写真ストップ、8:42にはラクダの群れで写真ストップ。右側はゴビの先遠くに賀蘭山脈の岩山、左側は地平線までゴビという風景の中を走る。自分は気がつかなかったが夕べ雷雨があったとのこと。道路のすぐそばに水溜りも見える。9:00右にオアシス。9:07多数のラクダの群れ。9:09360度地平線。とにかく沙漠の中の1本道、2002年10月に開通したという快適な舗装道路。9:33〜10分トイレタイム。付近には赤や黒の滑らかな奇石のタマコがある。2個拾っておく。ここで先発の荷物運搬車から何さんが出て来てスイカのサービスある。冷蔵庫に入れていた訳ではないのに冷たく且つ甘くておいしい。この辺の土は赤い、鉄分が多いのだと朱さんの説明。このあたりの道路直線、10分近く全くカーブなしという感じ、小さいカーブあっても又すぐにまっすぐ。
まっすぐな道(1)
まっすぐな道(2)
バスのスピードと時間から考えると10km以上直線が続いていることになる。10時から5分ほどゆるい坂をのぼって丘を越えると赤い沙漠(砂は少ない)。道端にケルンのような石積みの小さい塔がある。これはこの近くには人家があるという印し。「この印し」これから後も何回か見かける。しかしバスからは民家らしきもの見えない。(このあたりで言う"近く”はちょっと違う単位の近くのようだ。)昔シルクロードの旅人のためにしていた風習が残っているのだ。と朱さんの説明。この塔があるということはこのあたりにも人が住んでいるということ。この辺の家の子供は学校に行くために左旗の町の学校に寄宿しているのだそうだ。10:40道路沿いに何軒かの家、”草原飯店”の看板はどこかで見たのと同じ感じ。(既製品?)

  11:00オアシスの小さな村通過、小さな(レンガ?)工場もある。11:18砂と草だけの世界。9時過ぎからずっとこのような景色の繰り返しを走っている。対向車時々はあるが少ない。11:38には砂丘(=砂の沙漠)11:50ガソリンスタンドが一番大きい建物。と言う感じのある小さな村に着く。村の周囲にはみどりがあるが中心部は宅地開発中という感じで剥き出しの赤い土の更地が目立つ。ここが烏力吉だという。人の姿 殆ど見えないが500人くらいが住む村だそうだ。レンガの平屋の前の壁だけ白いタイルで装飾し赤い文字で”額旗飯店”と書かれた店の前にスルーガイドの何さんが待っている。ここで昼食。本日は左旗より4時間足らずで来たが、2002年にこの道路が開通するまでは額済納に行く時はここに一泊していたのだとの添乗員さんの話。ビールはいつもの西夏ビール。しかし冷えていない、冷たいのはないのか捜してもらうと半分凍ったのがある。サービス(無料)の2本はこれを混ぜて飲む。後半は氷だけのビンに冷えていないビールをウツシて温度調節して飲む。”そこまでやるの?”という視線も感じたが冷たいのが飲みたい一心で頑張りました。適度に冷えたのがないので追加はしなかった。ここではコップは添乗員さんが日本から運んだ紙コップ使用、箸も日本の割り箸を使う。食器を洗う水に問題がある。(後でわかった)料理は6品、八宝菜のようにとろみのかかったものが殆ど。8人前を入れるお皿が無かったのか、フチカからコボレそうな(一部はこぼれている)盛り付け、味は問題ない。人手が無いのかガイドさんが運んでくる。料理も出てくるまで30分ちかく待つ。特筆すべきはご飯!炊きたてで美味しい。日本からのお米を使ったの?と聞いてしまうほどだった。日本からのインスタント味噌汁も美味しく、みんな食がすすんでこの旅では珍しくテーブルに出たご飯(大きい入れ物)カラになりおかわり!朱さんが大きな炊飯器から盛って出してくれる。食後にスイカ(旅行社の持込?)もでる。食事後、食堂の裏にあるトイレに行く。裏では食堂の食器を主人がタライに入った水で洗っている、この水の色はまさに濁り水という感じであった。その濁った水のところに奥さんの方が今われわれが使ったであろうお皿をさらに運んでいるがお水を替える気配はない。これが紙コップを使った理由なのだろうと納得。忙しくってかまってもらえなかったのかスイカの小さいのをクワエた3〜4歳位の少女が泣きながら母のあとを追っている。お母さん機嫌悪かったのか(手には食器を持っているので)蹴飛ばす。少女はよろめいてスイカ落としてしまう。落ちたスイカには赤いところは全くなく、かなりうすくなっていた。お代りでもねだって叱られたのだろうか?13:15出発。すぐゴビの中に出る。
ゴビ
逃げ水ーーこの湖はやがて消える


  13:25青空トイレ、(小生は使ったが)食堂の裏のトイレより青空の方が快適なのです。バスはゴビの中を走り続ける。気温が上がってきて逃げ水が見える。逃げ水と言っても規模が大きく遠くに湖があるように見える時もある。バスの窓ガラスは紫外線や赤外線防止のためであろう青い着色がなされているがそれでも暑い。カーテンはあるが閉めてしまうと景色が見えない、そこで反対側(日の当たらない方)の座席の人が乗用車で使う吸盤のついた日よけを貸してくれる。これはいい!自分の頭の方に来る光はさえぎるが、顔の真横はオープンで視界は良好と言うわけ。助かりました。ありがとうございました。おかげさまで車窓からの写真も撮り続けることが出来ました。14:10家の数軒あるところ通過。このあたりの沙漠は砂 少しあるが草は少ない、放牧もできないのだろう。砂漠に人を含め動物の気配ない。14:45家数軒あるところ通過、ここには赤十字マークの救護所も見えた。14:50頃からは大きい逃げ水連続で現れる。
15:15〜ゴビの風景どこまでも続く、草は小さいのがポツポツ、砂は少ない、黒い岩もある、遠くの黒い岩山の谷間に吹き寄せられた黄色い砂が見える。時に竜巻も見えるが大きくはならない、巻き上げられる砂がごく少ないので大きく見えないのか?15:30青空トイレでストップ。額済納まで約190kmの地点だそうだ。バスを降りて見上げる空が青い。またゴビの中を走る。人間を感じさせるのは道路に沿って連なる高圧線と時々行き交うトラックだけ。午後はオアシスも少ない。「1km」も(「1m」もと言いたいがここでは単位をかえて言ったほうがよい)目を閉じることなく貪欲にゴビを見つめようとつとめるが、これだけ続くとついうとうとしてしまう。道路はそれだけ快適なのだ。似た風景がこれでもか!これでもか!という感じで続く。17:00 このところバスはずうっと西に向かって走っている。右側の先はモンゴルなのだ。17:25左遠くに丘のように四角っぽい赤い土見える。遺跡にしては大きすぎるか?17:40湖が見えラクダも見える。太陽はバスの正面にちかい方向、道路も光ってみえる。運転さん大変だろう。17:50写真&トイレストップ 。左側には大きな砂丘があり、今の時間の陰影は敦煌の鳴沙山のようにきれい、一番きれいに見える所はカーブで止まれない。ちょっと行き過ぎて止まる。右側はタマリスクと胡楊の林。17:58前方にオアシス見える、あそこが額済納か?!と期待するが、額済納まではまだ30kmあるとのこと。18:10タマリスクと胡楊の中進む。このあたり胡楊の木多い、秋の紅葉(金色になる)の時には台湾、香港をはじめ遠くからカメラマンが押し寄せるのだそうだ。
エチナの鳴沙山
  18:20左に村が見える。18:28額済納の門を通過、町に入る。すぐに広い通りを左折、この通りも広い、すぐに右折し18:30ホテル到着。左旗より10時間強。走行距離は623km。ドライバーの馬さん本当にお疲れ様、安全運転をありがとう。ホテルの額済納賓館は元政府の招待所であったという白いきれいな建物、クーラーはあるが、バスタブはない。部屋は清潔。19:15〜ホテルの敷地内の別棟の建物の大汗食堂で夕食。羊肉中心、スープに入った太い麺が美味しい。ビールは西凉花雨、武威市のビール アルコール3,6%。追加5元 2本飲む。20:25終了。連泊でもあり洗濯。シャワーも済ませ22:20〜星を見に外に出る。ホテルの庭はホテルのネオンが明るくてだめ。少し歩いて見る、一部雲があり満天とはいかないが大きなきらきらした星がたくさん見える。残念ながら北斗七星以外は名前はわからない(ではなく、知らない)。15分ほどで戻って寝る。

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