シルクロード、カラホトとゴビ砂漠紀行 | ||||||||||||
第4日 (7月31日) 銀川市内&郊外 (承天塔寺ー西塔。西夏王陵。賀蘭山岩画。拝寺口双塔。等)観光 (銀川泊) |
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本日は1日中銀川近くの遺跡観光。6時過ぎに起きて窓からおもての通りを見ると多くの人がたむろしている。後で聞くと求職者たちとのこと。ここで手配師(と言うかどうか知らないがーー)によってその日の職場に行くのだそうだ。仕事は土木工事が主。求職者は近郊の農家の人が多いとか。7:05より朝食。バイキング式だが昨日までと違って種類が多い。オーダーでのタマゴ焼きもある。フルーツ(スイカ)もある。ご飯はなくやはりお粥だけだが何種類かある。朝食後昨晩寄ったスーパーに行って半分凍った水を買う。1,5元。通りには求職者多数、どこまでも続いているという感じ。
8:40出発、10分で承天塔寺・寧夏回族自治区博物館に到着。承天寺塔は旧城の西南に位置することから”西塔”とも言われる。八角十一層で高さは64,5m、西夏時代(1050〜1055年)に創建されたが、現在の塔は1820年に再建されたもの。最上階までのぼることもできる。(実際にのぼった元気な方もいた。)塔のてっぺんには緑色が使われている。これはイスラム建築の影響だとのこと。庭は明代のもの。(塔ばかり見上げていて印象に残っていない。)博物館:(1)賀蘭山の岩画の拓本中心。岩画のレプリカもある。動物や狩猟や遊牧の様子が黒っぽい岩に彫り込んである。数千年前から明の時代までの長期にわたっていろいろなものが彫られたそうだ。3000〜4000年前にはいたが今は絶滅したトラが彫られていたり、西夏文字の掘り込まれた岩画もある。(2)回族の資料館。古い衣装等。トマトは西赤柿と書くので西方から伝来したのだろうとか言うことをここで聞いた。(3)西夏の館。賀蘭山のお寺の塔から出土した西夏文字の仏典、西夏文字にも草書がある。あの難しい文字の草書ですぞ!なにやら蒙古文字に近い感じもする。どっちにしろチンプンカンプン。ここには武威市博物館にあった西夏碑(表に西夏文字、裏に(その訳文を)漢字で刻んだ中国のロゼッタストーンと言われる)の拓本もある。塔を取り巻く建物の博物館の反対側の建物は土産物店でけっこう大きい。酒泉の夜光杯等もある。ツアーの仲間もここを覗くが殆ど買った人はいない。 10:10出発、西夏王陵へ向かう。新市街の道路は広いところでは片側4車線+分離帯+自転車道+歩道というとてつもない広さ。そして一直線。名前も北京公路!遠くに賀蘭山脈も見える。最高峰は3556mで富士山に近い高さ。途中”西夏王”というワインの広告がある。朱さんの説明だとこのワインはフランスで賞をもらった由緒あるワインだとのこと。道路も片側1車線の古い道路に入ると右側遠くにあのお椀を伏せたような形の大きな土の山がたくさん見える。これは豪族や家族の陪葬墓とのこと。ここで西夏王国について少し。チベット系のタングート族が吐蕃に迫害を受けチベット近くから銀川の方に民族移動。1038年に 李 元昊が建国し王朝名”夏”を名乗ったが、宋朝より西にあることより西夏と呼ばれた。都は興慶府(現在の銀川の近く)におき、現在の寧夏自治区、内蒙古自治区、甘粛省や青海省の一部にまたがる大帝国を築いた。内蒙古自治区西部に残る黒水城遺跡は西夏の巨大な要塞の遺跡である。李 元昊は法律、兵制、文字、服装などを整えた。なかでも西夏文字と呼ばれる漢字をより複雑にしたような文字は現在もまだ解読が完全には済まず、解読中とのこと。この王朝は10代まで続いたが1227年チンギス・ハンの蒙古軍に滅ぼされ、国と共に民族も歴史の舞台から消えてしまった。李 元昊は祖先(祖父と父)の陵墓と自らの陵墓の建設も行った。西夏王陵は南北10km 東西5kmのの範囲に九つの皇帝陵と多数の陪葬墓が存在する。
10:55西夏王陵の入口に到着。好天、日差し強く暑い。ここから西夏博物館まで電気自動車で移動距離は自動車で1分強だが、この暑さの中では助かる。博物館は1996年に開館した新しい建物で600点余りの展示物がある。西夏王国の系図、西夏文字の石碑の拓本、装飾品(壷、磁器など)、今日見学する李 元昊の陵と言われる三号陵の模型、内部まで調査された唯一の陵墓である六号陵の断面図等をみる。この二つによると陵墓は(どれもほぼ同じ形式に作られているとのこと)四方に門を設けた長方形の城壁の中心に霊台という八角形の塔を建て、墓室は地下に作られた。墓室までは長い階段の通路がある。墓室は塔の真下ではなく少し前にある。また塔は城壁の中心から少しずらしてある、これは中心は仏の道であるのであけておくという考えだと推定されている。八角形の塔は南向きで、瓦屋根つきであり六層の庇もついていた。現在見られる土の丸い山は霊台が朽ち果てた姿である。博物館には西夏文字の作成規律例表という西夏文字がどのような規則で作られたか調べた研究成果も展示してあった。発音は今はわからないとのことだ。とにかく国だけでなく民族ごと滅んだというのはきびしい。11:35〜歩いて三号陵へ。西夏時代の城壁より遥か離れたところに現代の門と参道がある。ここからまっすぐ陵にむかう。太陽の光きつい、まぶしい、暑い。ここはわれわれだけでなく中国の団体さんもいる。こちらの観光客は日傘を準備している。現代の門から10分近く歩いて三号陵の近くに行く。ここは今回のツアーでカラホトの次の準メインというところ、陵の前にみんな集まり各自のカメラで記念撮影してもらう。三号陵近くに行くと八角形の痕跡なくほぼ円形、六層の方は僅かに段のあとが残っている。ガイドさんによると蒙古軍は10万人の兵が3ヶ月かかって徹底的に破壊したのだという。その上800年近い風化。元のかたちを求めるのは無理か。三号陵の右側、原っぱの中にはたくさんの陪葬墓が見える。12:15門の所までもどり電気自動車でバスのところにもどる。12:25バススタート昼食へ。 12:55頃 明代と清代の城の映画用のセット(一部は明代の要塞跡と”地球の歩き方”書いてある)のところ通過。現在も映画製作に使うが、敦煌の”敦煌故城”のように観光にも使うとのこと。2,3台バスが止まっている、お客さんあるようだ。13:00果樹園の中の蘭一山荘に到着、昼食。プールもあるリゾート施設のようだ。食堂も大きく、お客さんも多い。(今日は日曜日なのだ!)ビールは西夏ビール アルコール% 4,0 追加1本 5元。とにかく外が暑いのでことさら美味しい。ここでガイドの朱さんに夕食のレストランに西夏王あるか携帯電話で聞いてもらう。80〜130元の”西夏王”あるとのこと。すべて赤と言う、赤でも冷たいほ方が好きなので100元のを冷やしておくよう予約たのむ。13:55レストラン発 賀蘭山岩画へ。
19:40ホテル着。一休みし南門近くの地下のおおきなスーパーへ西夏王ワイン買いに行く。スーパーで”西夏王”と書いたメモを店のお兄さんに見せるとワイン売り場につれていってくれる。さまざまなワインがある。たまたまワインを買いに来ていたUさん夫妻と会い2本入り98元のを買い、二人で1本ずつわけることにする。21:00ホテルに帰りゆっくり入浴(快適!)し眠る。本日は観光もりだくさん、食事もよく、かつよく飲み充実の一日だった。本日の走行 140km。 |