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シルクロード   の旅
第12日(7月19日)
 トルファン観光。 小生、離団して ピチャン沙山公園   トルファン泊


  早朝、トルファン駅に到着し、一日トルファン観光。4:30起きる。まだ暗い。下段の人の話だと2時頃どこかの駅に停車していた時の星はすばらしかったとのこと。まだ暗いので通路から上を見るが何も見えない。残念!。洗面、トイレを済ます。トイレは和式、洋式どちらもあるが、きれいで問題ない。(ビール3本飲んだので何回もお世話になった。)5:17トルファン駅に到着、改札口で待つ人多い。「○○様ご一行様」と(書いてあると思う)紙を掲げた人たちが10人はいる。この列車で来た観光客を迎えているのだろう。駅前の駐車場もバスでいっぱい。5:27にはバス出発。33人乗りバス、ガイドは陳さん、ドライバーは張さん。(偶然敦煌までのドライバーと同姓) とりあえず挨拶だけでホテルまでお休み下さいとなる。
  ホテル6:15着、まだ暗い、北京と時差なしにしてあるが、実際には3時間程度時差があることを思えば、暗いのは当然。幸いホテル空いており、この時間からチェックインできるとのこと。部屋で1時間休んで、7:30より朝食。ガイドの陳さんに聞くと夕食もここだという。楼蘭ワイン冷やしておくようたのむ。希望の”白”は無いというが、”赤”でもよいからとにかくよく冷やして欲しいと伝える。みなさんは午前中、火焔山、ベゼクリク千佛洞、アスターナ古墳群、高昌故城。午後交河故城、カレーズという予定。小生これらの観光地は過去に2回見ているので今回は隣り町(ピチャン=ぜん善)の沙山公園に行き、その後で2002年に来た時に高昌故城の馬車で出会って、写真を写して送ってあげた少女を訪ねる予定。そして、やはり2002年の時にホテル(トルファン大飯店)の食堂でツーショットで写した写真も持ってきているので、ホテルへ行って、もし彼女に会えたら写真渡すつもり。という個人旅行を考えている。
  8:00ロビーで探すと女性から”おおはらさんですか?”と声がかかる。彼女が本日の(日本語の)ガイドの(ウイグル人)グリさんとのこと、そしてもう一人男性が来る、彼がドライバーのソウさん。8:40にロビーで会って出発することにする。予定通り8:40ロビーで会い、車へ、車はフォルクスワーゲン。これでピチャンへ行き、その後トルファンに戻り、どこでも案内します。とグリさんいう。外は太陽は見えず、どんよりとしている。まず必需品の水を買いたいというと、スーパーに行ってくれる。スーパーでは水1本:1元と安い。ソウさんに今日は時間は十分にあるので、無理な追い越ししない安全運転するようグリさんから伝えてもらう。ソウさんニヤリとして了解という感じ。グリさん、まずトルファンのキーワード教えてくれる。それは”暑乾甘低”だという。即ち暑い、乾燥、(ぶどうやハミ瓜)甘い、そして低地の意味だと説明してくれる。トルファン人口58万人(うち市内:23万人)人口の80%はウイグル族。干し葡萄は天日で自然乾燥するには40日かかるが、薬品使って干すと7日で干し葡萄できる。等説明してくれる。彼女自身は高校卒業後、ウルムチで2年、蘇州で4年、語学(中国語と日本語だったと思う))を勉強したという頑張り屋さん。観光シーズンの5〜10月はガイド、11〜4月は中学で中国語の先生(ウイグル人にとっては中国は外国語になるーー小学校スタートはウイグル語。)をしているという。ヤクシムセス=おはよう。(こんにちはにも。)カエリホッシュ(に近い発音)=さようなら。とレクチャーうける。9:00には郊外に出るが、やはりどんよりとして左側遠くの火焔山も灰色に見える。
  火焔山は長さ約100km、幅約8kmの山脈でピークは851m、平均高さ510mという、ウイグル語ではキジル・タグ(赤い山)という。9:15ごろ火焔山の展望所通過するが火焔山の赤みは少ない。9:20左に入って行くとベゼクリク千佛洞というところを直進。今、火焔山脈を横切っているところ。草木1本もない山の谷あいを登って行く。ここまでくると山の赤みも出てくる。道路はりっぱな舗装道路、ハミから敦煌へとつながっていく312号線。前回ベゼクリク千仏洞に行く時に少し見えたこの道からの風景を見るのもこの旅の目的。途中2回停車してもらい火焔山や、この道路に立つ自分等写真写す&写してもらう。 
  
火焔山ーーピチャンへの途中より
ピチャンの町、正面が沙山公園
ピチャン沙山公園
10分もかからずに火焔山を抜ける。左側の丘の上は城壁に見まがう程のブドウを干す小屋の連続。右はゴビ、そして左右ともうしろにずうっと火焔山が連なる。すぐに左にオアシスの緑、あの中に多くのブドウがあるのだろう。右はゴビ、中に四角に盛り上がった所がある、あれはカレーズですよ、とグリさん教えてくれる。車止めてもらい写真写すが、ただ黒っぽい石の盛り上がりでカレーズとでも文字を入れねばただの石ころの荒野というところ。でも目には見えぬがあの下を今も水がトウトウと流れているのだ。このあたり道路沿いにハミ瓜を売る仮小屋の店がならんでいる。軒先に小さく切ったハミ瓜がたくさんぶら下がっている。干しハミ瓜を作っているのだそうだ。明るくはなったが太陽は見えない。グリさん、”おおはらさんこの天気でよかったです。昨日のように(太陽が照って)暑かったら、沙山公園には案内できませんでした。昨日は砂のところは60度を越していました。”という。そんなことは考えてもいなかったがまぁ目的のところにいけるのだから助かる。10:05ピチャンの町並みに入る。 広い道路の両脇に新しい建物が並ぶ最近作られた町だ。トルファンから来た道路を右折し少し走ると正面に砂山が見える。 
  10:15公園前に到着。道路、鎖で止められていておばさんが座っている。グリさんおりておばさんと話している。ここで降りてくれという。これから少し進んだ公園の入口近くに駐車場あるが有料なのでここで降りて歩きましょう。という、とにかく従う。少しでも支出少なくしようということのようだ。50mほど歩くと公園の入場券売り場がある。去年来た時は5元だったという。しかし、チケット売り場に行ったグリさん30元に値上げされたといい、小生の分30元支払う。。グリさんはガイドの身分証明カード下げているので無料だという。彼女の説明だと、このガイドのカードを持っている人はどこに行っても入場無料なのだという。両側に大きな楡の木のある広い石段を登りきると眼前に風紋と足跡のある大砂丘、いや砂漠が広がる。 
   この砂漠1880平方km、内観光指定地域250平方kmという広さ(グリさんの説明)なのだ。階段登った所の広場には板の舞台のようなものが作ってある。左側のピークには屋根付きの展望台も見える。右側にはコンクリート製と思われるいろいろな像(西遊記のメンバーか?)が五つ以上見え、何人かの観光客もみえる。正面遠くには5〜6人の人が砂山の方にに向かっている。風紋の中の足跡はあの人たちのものであろう。まだ太陽は見えないが砂はかなり赤い。汗がでるほどの暑さもない。グリさん”どうします?像を見に行きますか?”と言う。(あの像を作ったこともあって入場料が5元から30元に跳ね上がったようだ。)像はいいからもう少し進んで砂漠の中に入りたい。と伝える。彼女OK,靴を脱いで裸足になって準備している。あぁそうか、鳥取砂丘では”砂丘を楽しむには素足で歩くべし”と言っていたあれと同じだな、(筆者の故郷は鳥取県)とかってに解釈し小生も裸足になる。靴と靴下を舞台に置いてグリさんと二人で歩きはじめる。10mほど歩くと足が熱い。足の裏は赤くなっている、それを見てグリさん大丈夫かと心配してくれるが、彼女は全然問題ない様子。まぁ辛抱して歩く。風はなく静か。太陽がはっきり見えないので砂漠の陰影がはっきりしないのが残念。それをしっかりと見るためには砂漠に泊らなければ見えないとグリさん言う。グリさんの旅行社では砂漠にテントを張って宿泊するという旅も準備できる。日本人を案内したこともあるという。朝夕はきれいだということは鳴沙山の経験からもわかる。が、ツアー参加の身ではそこまでは無理。この砂漠、真夏のよく晴れた昼間はとても中をうろうろすることはできないようだ。真夏はタマゴを砂の中に30分も埋めておけばゆで卵ができるという程熱くなる。昨日はそういう状態だったので砂漠の中には入れなかっただろうということのようだ。またここでは脚の痛い人が砂の中に脚を埋めて治療する(日本の砂湯)ということもやるという。足の熱いのは動かすのを早くすればなんとかなることを憶える、止まっている時も足踏みをしていればOK.きょろきょろしながら100mほど進んで引き返す。遠くの5〜6人のグループは山の方にまだ進んでいる。11:10車にもどる。次に高昌故城に行き、写真の彼女を探すことにする。昼食何を食べたいかグリさん聞く、ラグ麺食べたいが衛生的に問題ない店、トルファンまで戻らなくてもあるだろうか?というと。グリさんラグ麺なら私の家に来ませんかという。衛生的には冷たいのではなく、熱いのを食べれば問題ないとのこと。グリさん自分で作ってくれるという。しかもグリさんの家は高昌故城の近くだという。ご好意に甘えることにする。グリさん車中より携帯で家に連絡し本日の昼食決定。12:03左折、312号と分かれ、高昌故城へ向かう。この時には太陽ぎらぎら!、夏のトルファンの感じになる。15分ほどで高昌故城の駐車場に着く。2年前と同じ、狭い駐車場に大きなバスが乗り入れ混雑している。車降りると暑い。グリさん写真をもって探しに行く、小生もついて行く。写真の彼女(=グリさんに聞くと名前はラジャさん)と同じ年頃の子に尋ねるとすぐにつれて行ってくれる。お土産屋の前で身長が10cm近く伸びた写真の彼女に再会。服もウイグル民族の柄でなく、水玉模様のものを着ている。にっこりして寄ってくるが、2年前の無邪気な笑顔でなく、恥ずかしそうな笑顔である。”わたしの家はすぐ近くなので寄って欲しい”と言っていますよ、とグリさん通訳してくれる。せっかくなのでお邪魔することにする。駐車場から50mほどの道路沿いに彼女の家はある。彼女が中に声を掛けるとご両親が出て来てニコニコと迎えてくれる。同行しているグリさんに通訳たのむ。とにかく中へどうぞということのようだ。レンガの壁に四角にあけてある入口から入ると広い土間が裏まで抜けている。裏の方は土間の広さ壁がなくオープン。裏はブドウを主とする畑になっている。土間の両側に二間ずつ部屋があり、入口にはカーテンが吊り下げてある。土間の片側に流しやカマドがあって台所になっている。また縁台の上に絨毯を敷いたものがありそこに座るように案内される。僅かばかりのお土産を渡す。(実はグリさんの家にも招待されたのでお土産を二分したのでよけいに少なくなった。)まずスイカがでる。その間に裏の畑からラジャさんブドウ採ってくる。これもお皿にのって出てくる。お母さんラジャさんになにか言うと彼女自転車で出かける。そのうちラジャさんシシカバブ買って帰る。これも縁台の小生の前にならぶ。この間お母さんはスイカ切ったり、ラジャさんに指図したり、小生にどうぞ、どうぞ、(と言っているように聞こえる)と勧めたり忙しい。お父さんは小生のむかいのいすでただニコニコとしている。生ものの下痢が心配だが、私のためだけに出されたものなので少しずつ戴く。最後には干しブドウが出る。そしてお土産に干しブドウ(これもシシカバブといっしょに買ってきたもの)三袋(三つで1,5kg)も持たしてくれる。一袋でいいと言うが、どうぞどうぞと三つ持たされる。グリさんの通訳でラジャさんと話した概略は。1)今日、高昌故城に来ること書いた手紙出したが届いたか?−−届いた。今日くることだけがわかった。(2年前の写真同封していたので)相手もわかった。ただ英文なので殆どわからないとのこと。(いや、小生の英文らしきものはイギリスの人が読んでもわからないかもしれないと、内心思う。)2)彼女は馬車の上で日本語でお土産売っていたが日本語どれだけわかるのか?−−お土産を売るためだけで他の会話はわからない。3)15歳、来年は高校か?−−そうです。高校にいくつもり。 ラジャさんの家の前で両親と彼女&小生の4人、グリさんに写してもらい、12:50さよならする。別れの時、”お元気で、勉強も頑張ってね!”とグリさんに伝えてもらい握手する。彼女遠慮がちにわずかに小生の握手に応えてくれる。本当にかわいい。ラジャさんの幸せを願わずにはいられない思いで手をふる。車はすぐ近くで待っており、5分もせずに(国道の方に戻ったところの)グリさんの家に着く。グリさんの家は道路と家の間に車を止めて置くほどのスペースがあり家も大きいが、基本的な造りは同じ。表の日当たりはものすごく暑いが、土間はまぁまぁしのげる。グリさんの家ではご両親と兄嫁さんらしき人がラグ麺の材料を準備して待っていてくれる。さっそく兄嫁さんとグリさんの二人で準備。肉と野菜のスープ、すでに準備してある生地のをのばしての”麺”作り。
 
麺をのばすグリさん
  麺作りや家族揃った写真写す。グリさん写真送ってよ。ということで住所書いたメモくれる。ウイグル人はラグ麺が作れなければお嫁さんに行けないのですよ。とグリさん言っていたが、彼女りっぱにお嫁入りできる腕前。ここのラグ麺は茹でた熱い麺に野菜と鶏肉(と思う)のピリ辛の炒めものかけて食べる。おいしい。しかし、風通しのよい日陰とはいえ、これは暖まる。汗をふきふき絨毯敷いた縁台に(ドライバーのソウさんと二人)座っていただく。果物はハミ瓜。13:45グリさんの家出発。途中展望所とは違う火焔山のきれいなところで止まってもらい写真撮影。火焔山、朝とは違って赤くなっている。もう1枚の写真を渡すべくトルファン大飯店に行ってもらう。建物、2年前と同じ。グリさん写真持ってレストランに入る、小生も入口までついて行く、グリさん、一人のウエイトレスに写真見せて説明したが、すぐ戻ってくる、写真の彼女は1年以上前に辞めて連絡もとれないという。残念、写真もって帰る。ここでグリさんにツアーのみなさんどこにいるか?ツアーのガイドの陳さんに携帯電話してもらう。みなさんは宿泊しているホテル(=緑州賓館)で昼食中だという。緑州賓館に向かってもらう。14:30ホテルにもどり、写真送ることを約束し、ここでグリさん、ソウさんとお別れ。レストランに直行、みなさんほぼ食事終了したというところだが、テーブルにはまだ料理残っている。とりあえずビール飲む。天山ビール(3,4%)6元。14:50部屋へ。(外は暑いので)16:00まで休憩。16:05ホテル発、20分ほどで交河故城の駐車場に着く。半分凍った水を買ってスタート。この遺跡の保存については日本も協力したということ以前に聞いていたので陳さんに質問し確認する。(みんなに日本の協力があったことを言わせるーーー)NHKで放映された「シルクロード」で見たとき”すごいなぁ”とは思ったが、とにかくここに自分が立つことなど及びもつかなかった。それが3回目!ここの遺跡はすばらしい。この天然の要塞、唐の時代には1万人もの人々が暮らしていたのだ。井戸の水は今年も涸れていない。滅んでしまってからでも700年以上涸れずにいた井戸が3年や4年で涸れるはずはない。ただ(覗けば見えるのに)石を落として水音を確認している(一昨年もだった)のが気にかかった。それにしても暑い、温度計は42℃だが、スルーガイドの王さんその温度計は狂っています、もっと暑いですという。確かにもっと暑い感じだ、目盛りが50℃までしかない温度計では40℃以上正しく出ないかもしれない。彼女日傘をさしているが、それでもかなり赤くなっている。17:50バス出発。18:05カレーズに。ここは(前に見たところとは違い)カレーズの模型のある大きな建物の中、トンネルから出た水路がオープンになり、またトンネルに入るという見学スペースとして作られたカレーズ博物館という感じだ。18:30発ホテルへ。19:30〜夕食。本日のメインディッシュは子羊の丸焼き。車に乗せられた丸焼きがそのカタチのままテーブルの近くまで運ばれてくる。 
  
子羊の丸焼き
お客さんが最初のナイフをいれるのがしきたりだとのこと。だれも手を挙げない、多数の声におされてFさんの奥さんがナイフをいれる。その後その場で全部切り、お皿に盛って出してくれる。王さんや陳さんにも応援たのみ、ほぼ食い尽くす。たのんでいた”楼蘭”はよく冷えていておいしい。1本70元。日本では酒屋で買うのと、レストランで飲むのでは随分値段が違うのに、なぜかホテルのレストランでも、駅の売店でも値段はほぼ同じ。王さんや陳さんとの”カンペイ”もはいり今日の夕食は盛り上がる。21:00食事終わり、ホテル内の民族舞踊の会場へ行く。(今までの二回はオプションであったが、今回はツアーに組み込んである。)21:20より開始。観客は約50人まぁまぁ?の入り。われわれのとなりに座った熟年の女性は”フロム パリ”と言っていた。踊りは女性の首から上だけの平行移動、男性の濃い眉の動きがすごい。22:10ごろ(屋根のない)会場に雨おちる、トルファンで雨に巡り合う?すごいこと!でもほんの数滴で終わる。降ったうちにはいらないが、確かに数滴はきた。最後には観客も舞台に引っ張られて踊り盛り上がる。22:20終了。部屋へ、110Vのコンセントあり、電気カミソリ充電する。それにしても写真一枚のことであんなに歓迎されたのには感激した。すばらしい一日でした。

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