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シルクロード   の旅
第11日(7月18日)
 敦煌郊外 玉門関、陽関、西千仏洞、観光。敦煌駅から夜行寝台車でトルファンへ   車中泊


  本日は玉門関〜陽関〜西千佛洞観光後敦煌の町経由で敦煌駅へ。夜行列車でトルファンへという予定。
7:00より朝食。今日も7時ジャストに行く。これが正解、10分頃から大団体で大行列。名古屋からチャーター機で来た団体がある、と誰か言っていたがそのグループであろう。昨日も混んでいたが、今日は大混雑。あの後ろに並んだら大変だろうなぁと思う。オムレツをオーダーしておいてしばらくして取りに行くと、よその人が持っていったという。もう一度同じこと。三度目は焼いている前に立ち続けてやっとオムレツにありつく。チェックアウト済ませ、別送の荷物だけ預ける。ホテルの前にはバスが何台も並んでいる、10台は十分あるようだ。あの団体はおそらく莫高窟であろう。8:00我らは玉門関に向けて出発。敦煌は今日も快晴。こちらでは快晴はあまりに暑いので、”天気が悪い”というとガイドの高さん言う。行政区域としての敦煌市は面積は日本の九州ほどある、しかし、オアシスの面積はその中の2,7%しかないそうだ。住んでいる人にとって、暑くて水不足になる快晴はよくないのだ。左に鳴沙山が見える。日没ほどではないが、朝も稜線を境にした明暗がきれいだ。当然のことながら、明暗は朝、夕で逆。敦煌の町の方から見ると、左側が東になる。夕方は稜線の左側が暗く、朝は左側が明るい。鳴沙山もトルファンの火焔山と同じように山脈なのだ、その長さは40kmもある。ということでバスの車窓左遠くにしばらく砂の明暗がみられる。8:20映画”敦煌”のセットとして作成された敦煌故城を通過。やがて右側は地平線までゴビ灘、左側はゴビの先遠くに山という風景になる。8:33左に西千佛洞への標識あるところ通過。8:36右折、両側ずうっとゴビ灘の中を走る。8:42ゲートでストップ、玉門関と漢長城のチケット売り場。高さんバスから降りてチケット購入。9:00左遠くにオアシス見える。
  9:25玉門関の入場ポイントに到着。玉門関文物陳列殿(だったと思う)という建物があり、何人かの人がいる。その建物の横にトイレがある。建物の前の方には砦の門という感じのゲートがあり、チケットチェックのおじさんが一人いる。
 
玉門関とゲート
漢代の長城
 ここから先にはトイレがないとのことでここでトイレすます。玉門関を左に見ながら通過し、先に漢の時代の長城に行く。ここから5kmあるとのこと。ここからは砂利道、玉門関のすぐ近くに水と草のある緑地があり、放牧の羊も見える。水の近くに白い物が見える、これは塩だという。1軒の民家もある。ここの家の羊なのであろう。それにしてもこの家の隣りまでは何キロあるのだろう。電気も無いであろうこの家、夜は淋しいことであろう。9:45漢の時代の長城に着く。高さは3m弱、レンガではなくて土、土の中に葦のような植物がいれてある。長城は地面に平行に40cmくらいの間隔で削られたようにスジがついている。削られずに残った部分に葦がつまれている。葦は2000年を経てなお朽ちずに残っている。四角、高く、烽火台も残っている。
 
 この烽火台には常時何人かが詰めていたのだろう。今は、風の強い荒野の中に全く無人ーーー無常! 10:00スタート、10分足らずで玉門関にもどる。漢の時代の西端の関所跡。ここから西は支配者なき西域。今は鉄柵に囲まれた25m四方の高さ10mの城壁だけが残っている。土の城壁からやはり葦が突き出ている。もっと厚く、もっと滑らかな壁だったのだろう。城壁の中には何も残っていないという。城壁を一回りする。風は強い。
  10:25玉門関出発。来た道をもどる。10:40マイシンキロウ=逃げ水見える、今日はすがたや位置を変えて10分近く続くが”逃げ水”と言われたためか話題にもならない。このあたり草も殆どないゴビが続く。11:05チケット売り場のゲート通過。(それにしてもなんでこんな離れた何もないところにゲートがあるのだろう。)11:17右折(朝、敦煌の町から来た)国道へ出る。3分ほど走って右折、”歓迎陽関”と書いた看板がある。11:40オアシスの中、ポプラ並木の道路をはしり、ぶどう園に囲まれた民家という感じというところに着く。高さん”ここの食事は非常に評判がいいです。”と案内。ここは南湖というブドウの産地だという。ビールは武威の西涼ビール。サービスの4本だけが冷やしてあったが、追加(5元)ぶんは冷えていないとのこと。Fさんがワインオーダー、みんなに飲ませてくれる。”敦煌ワイン(赤)”2000年のものアルコール11%。これはおいしい。みんなで飲むのですぐ無くなる。次に”全汁葡萄酒”(これもFさんの奢り)こちらは6%、甘く、酒飲みにはむかない。Fさん敦煌ワインをもう1本オーダー。こちらをもう一杯いただく。(Fさん遠慮なくいただき申し訳ない。ご馳走さま。)食事は野菜中心に8種、味付けがあっさりしており日本人むき。特に沙漠の野草という感じの炒めものはおかわり。ほかのお皿も殆どカラ!”評判いいですよ”というのは間違いない。民家風なので、トイレを心配したが清潔。ただ”大”の方も仕切りがなくオープンであった。
  13:00すぐ近くの陽関博物館へ。陽関博物館は2002年にできた立派な建物の博物館で陽関とセットで見るようになっている。博物館の前には”西のかた陽関を出ずれば故人無からん”の詩で有名な王維の大きな像があり、この詩が彫りこんである碑もある。この「送元ニ使安西」という(のだそうだ)詩の全文を添乗のMさん旅日記にちゃんと書いておいてくれる。館内の展示品は写真や複製品が多いが、建物のりっぱさに比べに展示品はまだ揃っていない感じ。この旅でずうっと感じていることだが、中国は今、バブルといわれる程経済発展中であるが、地方では道路を中心とした建設工事が盛んである。この博物館もその一つ。一時期の日本であった建設ブームと同じことをやっている感じ。道路や高層アパートの建設は抵抗ないが、公園にやたらと像が作られるのは小生には理解できない。例えば鳥取砂丘に何メーターもの大きさの大国主の命と白兎、月の沙漠のラクダに乗った王子さまとお姫様のコンクリートの作りものがならぶという感じなのだ。ここでは額に揮毫されている言葉から自分の名前の文字にこんな意味もあるのだとはじめて知った。恥ずかしながら自分の名前にこんな意味があることを今まで知りませんでした。額には「輝煌業績 永彪史冊」とあった。(だれが書いたかは聞き漏らした。)この中の”彪”の字が私の名前の一字なのだ。スルーガイドの王さんに意味を尋ねる。”永彪”は”永遠に残す”という意味だという。とすると彪は残すという意味もあるのだろう。しかし”彪”には”凛々しい”という意味もあるという。とすると小生は”凛々しいオス”ということになる。ウッシシ! いい名前だ。西安大学 日本語科卒の才媛のおっしゃることだ。正しいに決まっている。すばらしいことを知った旅になった。博物館を出るとベンチのついた車があるこれに乗って陽関に向かう3分程で陽関のそばに着く。この車の近くを馬に乗った少年たちが走る。車より早い。暑い、日の当たるところは40℃だ。陽関は小高い丘の上に四角い土の塊だけの烽火台だけが残っている。
陽関の烽火台
陽関の先の世界
 下の方に屋根付きの展望台がある、ここから見た砂漠が陽関を出ずれば故人なからんの世界なのだ。 やはり風は強い。オアシスも見えるが更にその先は砂漠、そしてそのずっとずうっと先に楼蘭があったという。あのオアシスを越えてさらに先に進むには勇気がいっただろう。車で博物館の方にもどる。馬の少年たち馬に乗れとすすめる、博物館まで10元という。しかし車があるのでだれも乗らない。博物館にもどると絨毯の工場兼販売所(その他の土産ものもある)を通って出口に行くようになっている。Aさんカードでの支払いを条件に数万円の絹の絨毯買うことにする。どういう訳かカード読み取りの機械がうまく作動しない。Aさんそれじゃ要らないと言ってバスに乗車、14:20バス出発。14:30高老庄という村を通過、なぜか三蔵法師の像がある。14:50国道にもどる。14:56右折し西千佛洞への道にはいり15:00西千佛洞駐車場着。すごい強風、砂が飛びまわりは霞んでいる。楡林窟を小型にしたような千佛洞、全体では19窟あるが、未公開のものが多い。われわれは、3・4窟→5窟→6窟→7窟→9窟とみる。やはり莫高窟を見た後では印象はうすい。15:25バスへ千佛洞ではあまり感じなかったが、駐車場はすごい風だ。15:45敦煌故城、写真ストップ。道路から写真写す、駐車場には3台のバスが止まっている。入場しての観光の団体もあるようだ。朝見えた鳴沙山、霞んで見えない。16:00宿泊していたホテル(=敦煌賓館)にもどり休憩。この間によく凍った水2本買う。16:20ホテル発敦煌駅へ向かう。すぐに敦煌博物館の前を通る。2001年の時にはここや敦煌故城見たのを思い出す。バスはすぐ郊外に出る。17:20またあの逃げ水が見える。空には雲ひとつない快晴、このあたりではもう飛ぶ砂も無いのか遠くまでよく見える。でも遠くに時に見える竜巻はやはり砂を巻き上げている。無いのではなく非常に少ないということか。右側地平線までゴビ灘、左側ゴビの先遠くに山が見える。18:10黒いゴビ地帯を通過。18:20安西方面からハミ方面への国道312との交差点通過。
  18:30敦煌駅のすぐ近くの柳園賓館に着く、ここで夕食。ビールは兵馬ようのレストランで飲んだ”シに又という字(漢の新しい字だそうだ)”と斯という字のビール。(英字ではKans Beer)。5元 冷えたものが無く、高さんが言ったのか急ぎ外から冷えたを買ってくる。19:20すぐ近くの駅へ。ガイドの高さんドライバーの張さんとはここでお別れ。13日から6日間、バスの走行距離2000kmにおよぶという長い旅の間いろいろとありがとう。高さんは敦煌に帰るが、張さんはここに泊り明日団体を敦煌に案内するそうだ。駅では飛行場と同じようにX線での手荷物検査を受けてから改札を出る。列車は敦煌始発ウルムチ行きの臨時列車。われらは4人一部屋の寝台車。まぁ飲める人ばかりの男4人が同室。19:41定時きっちりに発車。すぐに荒野の中、左側はゴビ灘、右はゴビの先すぐに岩山、岩が赤い。しばらくデッキや通路で景色見るが、寝るには早い、皆それぞれに飲む。みなさんは強い蒸留酒、小生は車内販売のビール。ビールはウルムチ産”清苦瓜ビール”アルコール3,6%、価格5元。ところが冷やしていない。ガイドの王さんに聞いてもらうが列車には冷やしたビールはないとのこと。しょうがない冷やしてないヤツを買う。つまみはどこからかオカキ。それと小生日本から運んだ塩からいあぶった干鱈、敦煌で買った氷った水はまだ半分以上氷が残っている。飲みかけのボトルに水を移し、氷だけにしたボトルに苦労しながらビールを移して冷やして飲む。もともとうすい感じのビールがもっとうすくなるがそれでも冷たいほうがよい。だんだん調子が出て来てビール3本も飲む。列車はゴビの中を走り続けている。22:002段ベットの上段にあがって寝る。クーラーよく効いていて快適に眠る。

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