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シルクロード   の旅
第10日(7月17日)
 敦煌 莫高窟、鳴沙山、月牙泉、観光   敦煌泊


  本日は1日莫高窟を見学し、夕方から鳴沙山、月牙泉の観光。7:00〜ホテルのレストランで朝食。バイキングスタイル。7:00ジャストに行く。朝のレストラン混雑、80%は日本人だという。莫高窟が仏教遺跡ということもあり、敦煌は日本人に人気があるということだろう。8:00出発、莫高窟への道路は2001年に来た時より良くなっている。途中、左に空港の新しいビルも見える。右側、砂漠の中に土を盛ったお墓があり、その向こうに鳴沙山があるという風景は変わらない。30分足らずで莫高窟駐車場に到着。石窟への入口から少し離れた所の莫高窟の象徴である、96窟の正面でそれぞれに、何枚か写真撮影。参加者全員揃っての記念撮影もここでする。8:50入場。莫高窟専門のガイドは張さん。(昨晩講義された)”楊先生の学生です。”と自己紹介される。午前中は所謂一般窟9窟(+1陳列館)を見学。前回はメモなしで漠然とガイドさんについて回ったので、96窟の大弥勒菩薩と、5万点ものお経が隠されていた17窟のこと以外は殆ど憶えていない。今回は添乗員のMさんが、見学した窟のナンバーとその概略をしっかりとメモしておいてみんなに渡してくれる。因みに彼女のメモによる午前中の見学はーーー16,17窟→蔵経洞陳列館(資料館)→328窟→427窟→428窟→61窟→96窟→130窟→148窟 である。−−−その上、ビデオの名手のFさんが(ビデオやカメラ持込できないので)ガイドさんの説明を録音しておいて、購入した写真集からこの録音にあわせてその場面をビデオ撮影したという作品(ビデオ)を帰国後作ってくれたので莫高窟見学の記録は完璧である。20世紀はじめに発見されたお経約5万点の中4万7千点は外国にあるという説明が印象にのこっている。各窟の説明は省略するとして、シンボルでもある96窟についてのみふれておく。シンボルとしてよく写真で見るのは九層の楼閣である。この43mの大建築に覆われているのが96窟でその本尊が高さ35.5mの弥勒菩薩ということになる。もとは唐の時代のものであるが、楼閣も菩薩もその後何回も修復されている。地面はその都度高くなったとのことで、唐、西夏、元、清、中華民国、のものという層が見えるように残してある。大仏の高さ35,5mは世界3位とのこと。やはりバーミヤンの大仏が破壊されたことによりビッグ3入りしたそうだ。11:20〜駐車場近くのレストランで昼食。ビールは黄河ビール(4%)と黄河純生(3,6%)5元。温度良し。12:20には食事終了。土産物屋を覗く人もいるが、小生は駐車場からの風景を撮影。ここからの楡の林の上に見える96窟の楼閣がいい。
楡の並木と第96窟
  また北側のだれもいない、崖にただ穴が残ったという感じの生活窟(だった)の風景には寂しさを感じる。12:40〜特別窟見学。まず楊先生お薦めの45窟。盛唐を代表する塑像がたくさんある。釈迦を中心にいろいろの菩薩が並ぶ。怖いお顔の像の中に白いやさしいお顔の像が左右に一体ずつある。このやさしいお顔のどちらか(Mさんのメモでは勢至菩薩)が平山 郁夫先生の恋人と呼ばれ、もう一方(観音菩薩)が井上 靖先生の恋人と呼ばれているとのこと。高名な両先生もこの窟がお気に入りのようだ。続いて57窟。初唐時代、左側の”樹下説法図”がメイン。美人窟と呼ばれ、左側の観音菩薩が非常に美しい。Mさんのメモでは平山先生の「夢の中の恋人」とも呼ばれているとのこと。最後に158窟 釈迦涅槃像、右壁に釈迦入滅を聞き集まった諸国の王が描かれているが、各民族の顔が描かれており仏教が広く信仰されていたことを表している。13:30見学終了。ガイドさんもいる(公式 と思う)お土産店に行く。部厚い写真集を買う人が多い。小生は模写した先生自身が売っている、平山先生の”夢の中の恋人”を絹地に模写したものを買う。(交渉し日本円で1万円)14:05バス出発、14:30ホテル到着。18:00まで自由行動&休憩。とにかく暑いのでこの真昼間に外を歩いている人は少ない。小生はクーラーのよく効いた部屋で休む。ホテルの部屋は快適だ。18:00出発 外の温度36℃。5分ほどで鳴沙山が正面に見える広い道路に面したレストラン到着。歌つきの楽団が迎えてくれる。ビールは黄河ビール。食事を終えて外に出るとまた楽団のサービス。チップを出す人もいていっそう盛り上がる。出発前にトイレに行くと各朝顔の前に約20cm×15cmのタイルに(この国では最近解禁されたであろう)一糸まとわぬヌードが焼き付けてある。こういうことはすぐ伝わる、用事の無い?人までトイレに行く。このサービスは男性トイレのみで女性の方には無かったとのこと。
  19:15バス出発、10分もかからず鳴沙山のゲートに到着。鳴沙山の観光はみんなこの時間からのようでゲート付近は大混雑。鳴沙山の撮影ポイントの一つはこのゲート入ってすぐのところ。あの稜線を境に正面に明暗を見るにはここが一番だ。
夕方の鳴沙山

ということで、山をバックに記念写真写す人も多くちょっと順番待ちとなる。続いてラクダに乗って月牙泉の近くまで行くことになる。番号手書きのチケットをもらいその番号のラクダに乗る。ラクダはしゃがんでいてもけっこう高いのでまたがるのには精一杯足をのばさなければならない。そして跨ったらしっかりと前の棒につかまることが大切。ラクダはうしろ足から立つので前にかなりの傾斜になる。とにかく前が低くなるということを知ってしっかりとつかまるということです。今回は一人の御者(われわれのグループはおばさん)が3頭のラクダを連れて歩く。ラクダが立ち上がると少年がシャッターを押してやるというゼスチャーでよってくる。カメラ渡すとシャッター押してくれる。お人よしの私はラクダに乗ったサービスと思い込んで、”謝々!”と言ってカメラ受け取る。サービスとの思い込みが強かったので何も出さずに出発したが、どうもチップを期待しての行動であったようだ。あの少年”このケチジジイ!”と思ったことだろう。ごめんね。 風が強い、同じグループのTさんの帽子が飛んで鳴沙山に登って行く、回収不能!Tさんあぁーあとため息。15分足らず?(時計見ていない)でラクダの終点。ここから希望者だけ有料(=10元)の直登階段(Mさんによると約600段)で鳴沙山に登る。途中がまたすごい風!細かい砂がどんどん飛んで来る、出発前に友人のHa医師が薬とともにくれたマスク着用する。帽子は襟にがっちり留める。還暦を過ぎた身には直登は堪える。最後の5m強は階段なし、とにかく歩かないとどんどんさがってしまう。ニ歩進んでも砂が崩れて一歩進まないという感じで這いながら登る、ここだけでも重労働。10分以上かかってやっと稜線にたどり着く。稜線の風はなお強い、風上を向くと口を開けることも出来ないほど砂が飛んでくる。登る前にMさんが”カメラは撮影しない時は袋にしまうようにした方がいいですよ”と言っていたことがよくわかる。(実際にカメラが動かなくなった→レンズが引っ込まないーという人もいる)稜線よりちょっと下がったところに立つ。月牙泉が左下に見える。月牙泉をめぐる人々が小さいく見える。
日の沈む頃の月牙泉
  正面右 遠くにみどりの森が見える、これが敦煌の町とのこと。ここから見る敦煌の町はオアシスのイメージにぴったり。上にいること5分足らずで下りる。下りは早いが、直進すると自分で巻き上げた砂で口だけでなく目も開けられない風が時々来る。これを避けるためジグザグに歩く。下りて靴も靴下も脱いで砂を出す。15分程ラクダを待つ。待っている時、女性の凄い声がする。30代と思われる女性がすごい剣幕で細身の女性に詰め寄っている。凄い迫力、強風の中カナキリ声が響く。たちまち野次馬の人垣。好奇心旺盛、いや野次馬根性に富む小生も輪に加わる。だんな?らしき男性がカナキリ声の女性を止めているが、振り切って一発見舞う。殴られた方の女性無言!やがて携帯電話を出して電話機操作しながら少し移動、一目散に逃げることはしない。かなきり声の女性は男性に止められ近寄れない。そのうち細身の女性にここを去るようにと背中を押す男性が現れ、彼女どこかに去る。カナキリ声は彼女が遠ざかるまで続く。ガイドの王さん”三角関係です。”と解説。何故ここで出会ったの?という質問にはだれかが携帯で教えたみたい、と王さん解説。あの剣幕でせめられたらだんなこわいだろうなぁと余分なことを思う。やがてラクダくる。来た時と同じナンバーのラクダを来た時と同じおばさんが牽いて帰る。ラクダを下りる前にラクダに乗ったところを、おばさんもシャッター押してくれる。ラクダ下りる時”切符”というのであのナンバーの書いてある切符渡す。彼女、渡しても”切符”と言っている。今度も切符と思い込んでいたので”切符”としか聞こえなかったが、実は”チップ”と言っていたのだと同行の人に教えられる。お人よしの勝手な解釈、おばちゃんどう思っているだろうか?今もちょっとほろ苦い思い。21:00過ぎゲイト発ホテルへ。
  21:25ホテル到着。部屋に帰り砂だらけであろう頭、顔、手、足をさっと洗って、1階の日本レストラン富士へ。客はだれもいない、即ち私一人。黄河ビール(麒麟もあるが中国ビールとする)と枝豆 オーダー。店員さん冷奴もおいしいですよと勧めるのでこれもたのむ。枝豆、ゆでたてのあつあつ出してくれる。おいしい、量は日本の3人前はある。冷奴も醤油が日本の味なのでこれもおいしい。サービスか?カラオケかけっぱなし。”スバル”と”夜来香”かかかっていた。画面はスバルはオーストリア、ザルツブルグ。夜来香はベニスというチグハグな感じだった。お勘定はこの3つで50元にサービス料がついて60元。30分ほどいたが、この間お客は小生以外なし。宿泊客の割にはここのお客さん少ないようだ。22時過ぎ部屋にもどる。明晩は夜行列車、スーツケースはトルファンのホテルまで別送とのことなので手荷物整理(少し増やして)し、23:20就寝。


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