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シルクロード   の旅
第9日(7月16日)
 安西発、楡林窟観光、敦煌へ   敦煌泊


  本日は楡林窟を見た後、敦煌までの270kmの旅。昨晩は24時頃クーラー切れたようだが、温度問題なし。朝、窓を開ける。風は昨日と同じ方向に吹いているが昨日よりは弱い。今日もよく晴れているが、朝の今は涼しい。7:20〜朝食。駐車場にはわれわれのバスの他にもう一台のバス。もう一組団体が宿泊したようだ。本日の朝食はバイキングではなく、昼食や夕食と同じようにテーブルに出たお皿の料理を1テーブル7人で食べる方式。なぜかお粥はなく、粟のスープとパンに中華の料理という組み合わせであった。8:00バス出発。ホテルの向かいはいろいろのオフィースがあるようでいろいろの制服を着た人たちが歩道いっぱいにならんで、音楽に合わせ体操している。中国版ラジオ体操というところ。この町でこんなに人を見たのは初めて。10分足らずで、郊外に出る。
  8:30タマリスクの群落、こんなに大きな群落は初めて見る。 
楡林窟
でもこちらにはいくらでもあるのだろう。高さんの説明はこれがタマリスクであることと、9月には紅葉するという説明だけである。ところどころに放牧のヤギや羊が見える。林の中に集落も見える。8:35途切れ途切れの高い土塀が見える。唐の時代の城跡だという。バスは幅5〜6mの用水路に沿って走る。幅は広くないが水流の勢いは強く、水量は多い。さきほどの集落もこの水を使っているのだろう。向こう側には舗装された道路見えるがどこか工事中でこちら側の砂利の臨時?道路をはしる。ゆっくり走るがすごい揺れだ。20分ほど臨時道路をはしり用水路を渡り殆どゴビだけの道を進み、小さい峠をこえる。
  9:25林&集落通る。やがて平らなゴビ灘、絶壁の谷があり(バスからは谷底までは見えないが、)下には楡林河が流れているとのこと。そのむこうの台地にときに小さい仏塔のようなものが見える。楡林窟へ行く途中に亡くなった僧を祀る捨利塔とのこと。それよりはおおきな烽火台跡も見える。9:35ゴビの中の駐車場に着く。ここも風は強い。長い階段を楡林河の流れる谷底へと下って、10分近くかかって楡林窟の入口まで行く。その間対岸の(非公開)の窟がいくつか入口だけが見える。この谷に下りていく途中からの景色がよく写真で見る楡林窟である。
タマリスクの大群落
  なぜか?見学手続きに15分を要し、10:00より見学開始。日本語で説明の学芸員、大学卒業したばかりで不慣れだということで、窟の説明は高さんがする。台本もなくすらすらと大したものだ。若い学芸員も一緒にまわる。うしろの方で彼に質問するとちゃんと日本語で答えてくれる。日本からの観光客も結構多いのであろう。楡林窟は楡林河の両側に合計42(31窟と対岸に11窟)の窟が保存されており、現在は31窟ある方の窟が公開されている。窟は唐の時代から清の時代までの長い間掘られたものだが、西夏時代の窟はまだよく解っていない西夏文化の貴重な資料とのこと。塑像は清の時代のもので新しく、ここの窟の見所は壁画にあるという。中でも25窟の唐の時代の壁画がハイライト。(われわれのツアーはここの料金は全体料金の中に含まれているが、この窟は200元もかかる特別有料窟とのこと。)添乗のMさんの旅日記だと11窟見学している。第6窟には高さ24,7mの大仏があり、大仏様には今もお供えがあって祀られている。中にはロシア兵が一時期住んでいた時の焚き火で天井が黒くなってしまった窟もあるが、異教徒に破壊されることも、探検家に持ち去られることもなくよく残っている。11:35見学終了。15分かかってバスにもどる。風が強い、帽子、頭からは飛ばされるが、登山の時に使う留め具でエリにつないでいてたすかる。日向は36℃と日差しは強い。来た道を安西に引き返す。
  タマリスクの群落の近くでラクダの放牧みかける。13:20安西のレストラン(宿泊したホテルのレストランとは別)に到着。ビールは酒泉西部ビールという会社の”2008ビール”アルコール3,6%でよく冷えているが、味はウスイ!14:20敦煌に向け出発。14:30楡林窟へ行く道との分岐通過。14:50左側:ゴビ、ずうっと遠く岩山、右側:草のある平野で羊の放牧も見える。という風景。そのうち両側ともゴビ灘。遠くに水--池--が見える。”蜃気楼?”というと高さん”逃げ水です。”という。確かに水が見えるだけで建物などは見えない。しかし日本でアスファルトの上に水溜りのように見えるのとは規模が違う。湖のように見えるのだ。自分では蜃気楼にしておく。この”マイシンキロウ”この日何回も現れた。バスはひたすらゴビの中を走る。15:40ごろ烽火台見える。漢の時代のものだと高さん言う。このあたり草も殆どない、オアシスも殆ど見られない、近くには人も住んでいないのだろう。
安西から敦煌へ行く途中の風景
  この風景どう書けばよいのだろう。やはりプロの表現を借りねばならない。昭和55年に出版されたNHKのシルクロード第1巻”長安から河西回廊へ”に蘭州を出てゴビに出会った時の記述がある。「-----見渡す限り灰色の原野だ。いや瓦礫の荒野である。ゴビタンと呼ばれるものだ。土の匂いはしない。石が土になったのか、土が石になったのか、よく見ると灰色に固まった土が波うって見える。わずかに地を這うようにのびている草がある。------限りない無の風景である----十分くらいの同じワンカットの連続でなければ、この荒涼たる広さは表現できそうにもない。----」そう、そうなんです。そういう風景なのです。われらもこの本に書かれたと同じように西安をスタートし、そして蘭州から烏鞘嶺を越え、武威を訪ね、張掖を通り酒泉から嘉峪関にも行って---。と、ほぼ同じルートを旅して、そして9日目の今日、敦煌に向かっているのだ。15:50敦煌空港を通過、16:00 敦煌賓館到着。
  19:00ホテルでの夕食までに時間があり、しかも連泊なので、絶好のチャンス!と洗濯する。洗濯機1回分を袋にいれた洗剤をバスタブに張ったお湯にいれ、洗濯もの入れてしばらくかき混ぜて、あとは濯ぎ。このホテルには日本食のレストランがある。Fさん、ご夫妻でレストラン利用されたのに出会う。様子を聞くと、蕎麦も美味しい!特にツユが日本の味。すしも美味い。お酒も日本のもので熱燗が美味い。とのこと。日本から取り寄せたものが殆どだから当然ですよ!ということのようだ。今日か、明日か、行こうと決める。19:00よりホテルのレストランで夕食。行くとわれわれの二つのテーブルに大きな、大きなお皿に山盛りの素麺が盛られている。聞くと添乗のMさんが日本から運び、レストランに依頼して出してもらったものとのこと。ツユも日本からのもの。こんなに食べられるだろうか?というほどの量。それに雪山駝掌という(雪の祁連山をイメージした白をバックにした)駱駝の(足の)名物料理。ビールは西涼ビール、よく冷えていて美味しいが10元とこの旅では高い。素麺は久しぶりの日本食の上、喉越しもよく、ツユも温度も日本と同じ感じで美味しい。これだけの量を食べきれるか?と思ったが食事前半で無くなる。日本を出て9日、ほぼ100%中国料理、その上、茹で方も上手、ツユも日本製とくれば当然か?Mさんに感謝!!駱駝の料理は駱駝の足の裏を醤油と味醂で煮込んだという感じのもの。ゼラチン質がコリコリと美味しい。満足、満足で夕食終わる。
  20:15より別館で莫高窟の専門家である楊先生の講義。楊先生は神戸に2年(留学?)住んでいたとのことで、講義は日本語なのがありがたい。敦煌石窟は基本的には1)莫高窟。2)楡林窟。3)東千仏洞。4)西千仏洞。5)ごこう廟。の五つからなり、合計812窟があるが、その中の735窟は莫高窟である。というところから50分にわたって説明される。楡林窟についても触れられ、西夏時代のものは莫高窟よりすばらしいとおっしゃる。莫高窟の北区にはまだ公開していない(=公開できない)窟がたくさん残っている、壁画が上塗りされているのでまだ実体がはっきりしていないのだ。という説明が印象に残った。まだすばらしいものが見つかる可能性があるということだ。先生のお薦めは?という質問には45窟とお答えになる。平山郁夫先生や井上靖先生の恋人とも言われる菩薩がある窟だそうだ。明日が楽しみ。質問多く、予定時間をオーバーして21:20講義終わる。凍った水(2元)を買い込み、日本レストランには本日は行かずに22:30就寝。
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