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シルクロード   の旅
第7日(7月14日)
 武威発、時に万里の長城を見ながら張エキへ、市内観光後、河西回廊の中心 酒泉へ   酒泉泊


  本日は張掖により酒泉までの460kmの旅。7:00より朝食。朝食後ミネラルウオーター買いに行く。1本2元。朝早くから道路に電気クーラー(日本ではアイスクリームを入れているようなボックス)にビーチパラソルをさした屋台という感じの店をだして商売している。8:00バス出発。8:40高速道に入る。周りはポプラの並木のある畑、そのむこうの方に集落があるという風景しばらく続く。オアシスというとまわりは砂漠でその中にせいぜい何百mかの緑のあるところを勝手に想像していたが、ここのオアシスは大きな平野である。ここでは回廊という感じもしない。9:05永昌出口通過。ポプラと畑と時々集落の景色続いているが、左遠くは砂漠か?砂の色で霞んでいる。右は遠くにぼんやりと岩山見える。道路は空いておりバスは快調に走る。運転手さんこの国によくある無理な追い越しはしない慎重な運転で、ひやっとすることもない。だんだん山が近づいてくる。9:15右はすぐ近くがほとんどが岩、そして少しの砂がある山、短い草もすこし生えている。畑も村も見えなくなる。9:20周りはゴビタン。青空トイレ。すこし走るとまた畑と村のある風景になる。放牧の羊も見える。9:50ごろ崩れた土の壁が見える。明の時代の城跡、万里の長城のところどころに城をつくり100人ほどの兵士が駐屯していたのだそうだ。9:55またゴビタンの中。ところどころに草が見える。遠く草のあるところには羊の群れもみえる。そのさらに遠くは岩山。ゴビの中に高さ1mほどの塔がたくさんある。ねずみ(だったと思う)を獲るため放した鷹が飛び立つための台とのこと。あまりにも広い平地では鷹は飛び立つことができないのだそうだ。右側にはところどころ途切れてはいるが万里の長城が見える。
万里の長城ー1 黒っぽい色との境目のあたり

  
20分以上途切れ途切れの万里の長城続き道路に近づく、このあたり長城崩れずにしっかりと残っている。10:25道路と長城が交錯するところ(道路が長城を突ききるところ)にガソリンスタンドがあり、写真ストップ。漢代の長城しっかりと残っている。”山丹県文化財”らしき標識もある このあたりが一番よく保存されていると添乗のMさん教えてくれる。ここで見えるのはレンガではなく土の壁だ。2000年近い風雨(雨はそんなになかった?)に曝されながらよくもったものだ。高さ3mは傍に行くと高い。しかしハシゴを掛ければ登れる高さだ。大軍隊の馬車や荷物をかんたんに通さないことを主目的にしていたのであろう。トイレもあるが青空の方がいいよ。という情報が入り、ガソリンスタンドの塀の陰ですます。10:35出発10分も走ると畑や草が見られるところになる。何十mはあろうかという橋を渡るが橋の下には水はない。左側には鉄道も見える。蘭州と新疆を結ぶ蘭新鉄道とのこと。10:55高速道を出る。みどりの多い畑、ポプラ並木の道、を走り、11:50張掖の町に入る。(江沢民の書いた”金張掖”の看板のあるところ通る。)12:00大仏寺到着。1098年、西夏の時代に創建されたという仏教寺。現在の建物は明の時代のもの。大仏殿(間口約50m、奥行き約25m、高さやく20mという大きな建物)には室内の涅槃仏では中国最大という体長35mの涅槃大仏がある。
万里の長城(2)
張掖 大仏殿

  その周りにこれまた大きな十大弟子の塑像がある。この寺はマルコポーロも訪れ、東方見聞録にも記述されていることでも知られる。大きな建物だが砂嵐のためか?かなり埃っぽく汚れている。涅槃仏も色があせている上、埃の汚れが目立つ。その上照明がないのでよけいに黒っぽい。でも赤い色が鮮明に見えるところもあり、わずかに往時の豪華さが偲ばれる。奈良の大仏のようにこまめに”煤払い”などはしていないようだ。12:40より江沢民、張掖視察の時宿泊&食事したという張掖賓館の同じレストランで昼食。池に沿った廊下を渡っていくレストラン。もちろんわれらの食事は国家主席の食事のメニュウとは違う(断らなくても当たり前)ので特に変わった昼食ではなかったが、少なくとも国家主席が食事したことのあるところで食事というのはリッチな感じ。ビールは武威の西涼ビール(アルコール3,6%)5元。味は変わらず。13:30酒泉に向かって出発。13:45黒水を横切る。みどり少なくなってくる。14:15ガソリンスタンドでトイレストップ。コンクリートに細長い穴があるのがならんでいる。境はなくオープン。シャガンで大の方の用を足している(中国の)人のとなりで用をすます。粗相の無い様(しぶきなどかけないよう)に気をつけてすませました。周りはゴビ、その中に低い草がてんてんとあるという風景。”やっと想像していた風景になったなぁ。”という声聞こえる。同感! 14:40タマリスクの群落見える。花は少ない。15:00遠くに山が霞んで見えるがそこまでずうっと砂と赤土と小石そしててんてんと草の世界。15:45ラクダの放牧。あのてんてんの草(らくだ草?)を食べているのだろう。15:50 200〜300mの林、その中に集落見える。小生の想像していた”オアシス”。すぐに片側交互通行になる。5分ほど待って動きだす。トラックの追突事故で片側が塞がっている。16:25頃このあたりのゴビは黒い。16:40畑 作物はホップだそうだ。(毎日お世話になっています。)17:20酒泉公園到着。小さい門をくぐり、花壇や林や池もある公園の中を歩くこと数分。大きな柳の木のところに4m×4mほどの石の塀で囲まれた泉に着く。ここが伝説(=前漢の武帝の時代の将軍 霍去病が匈奴をやぶった時、武帝が長安からお酒を贈った。そのお酒を兵全員に配るために将軍がそのお酒を泉に注いだところ泉から酒が湧いた。)の酒泉とのこと。今もきれいな水がこんこんと湧いている。ガイドさん”−20℃になっても凍らない。このまま飲めますよ”と言っている。確かにきれいな水だがお酒と結びつけるには多過ぎる量のように思う。続いて鐘鼓楼ーーもとは前涼の時代に創建されたと言われているが現存のものは清代の1905年に再建されたもので高さ27mの楼ーー建物もすばらしいがその基壇の四方に開かれた通路の上の門額で有名。
酒泉 鐘鼓楼
  門額は石に彫られたものであまり目立たない。西はハミに達するというあたりに河西回廊の中心の町であったことが偲ばれる。因みに門額には 東迎華岳。西達伊吾。南望祁連。北通沙漠。と書いてある。歩いて夜光杯の生産工場&販売所へ。(この工場は国営工場とのこと)黒い原石から円柱形に切り出し→粗砥石でおうまかな形を削り出し→細かい砥石とサンドペーパーで透き通るほどに薄く磨いて、完成。もちろん機械を使うが殆どが人の手を使った作業。原石は黒一色だがうすくすると黒と透明部分がまだらに入っているのが不思議。敦煌のような有名観光地でよく売られているが、ここが本家本元とのこと。王翰という詩人の涼州詞ーー葡萄の美酒 夜光の杯ーーーーーという詩で有名。小生2001年敦煌で買ったが安いワインがまろやかになること実感。昔ふうにいうと2級酒が特級酒の味になるという感じ。でも1対を持っているので今回は買わない。18:35酒泉賓館着。狭い町なので観光地の移動短時間で済む。すぐにホテルのレストランで夕食。ビールは西部ビール(3,6%)5元。添乗員のMさんよく冷えているもの手で触ってチェック。彼女の検査にパスしたものはよく冷えている。味はややうすいいつもの感じだが温度がグウ!19:55夕食終了するも外はまだ明るい。北京との実質時差は2時間はある。ホテルの前の通りに出てみる。フラッシュなしで写真撮る。夜市に行くという感じの人たちが歩いている。ミネラルウオーター買っておく。1本2元。ホテルの駐車場には数台のバスが駐車している。ホテルは混んでいる。21:00ホテルの窓の外はまだ明るい。21時という時刻と外の明るさ、はるばる来たなぁ!とあらためて感じる。
 

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