home  トップページへ    前日へ   翌日へ
シルクロード   の旅
第6日(7月13日)
 烏鞘嶺(約2800m.黄土高原と河西回廊の境)を越え、河西回廊 東端の町武威へ  武威泊


  本日は烏鞘嶺を越え武威へ、280kmのバスの旅。7:00より朝食。ホテルの案内書には朝食58元と書いてある。中国の物価からすると高価である。(月収1000元は高給) 空はすっきりとは言えないが、湿度低く風は爽やかである。西安からのバスとは昨日で別れ、本日より酒泉のバス。座席が昨日までのバスより一列少ない33人乗り。8:05バス出発。ガイドは高さん。ドライバーは張さん。二人とも酒泉の人とのこと。高さん本日より敦煌駅出発まで6日間ガイドつとめてくれるとのこと。これから毎日バスの旅が続くが”トイレはどこにでもあるわけではないが、どこででもできます。”とユーモアのある説明。途中スプリングクーラーで植林した木に水をかけているのを見かける。水は黄河からポンプ&パイプで送水しているとのこと。劉家峡ダムの水であろうか?。 茶色の山、谷間に畑、木のみどりのあるところに集落。山に横段の見えるところには遠くからは見えないほどの大きさの木。植えてから3年ほど経ったのだろうはっきりと列をなしている木も時には見える。そういう風景の中バスはきれいな舗装道路を快調にはしる。
黄土高原の村
水道橋
 8:55舗装きれる。となりで高速道工事中。少しの機械と多くの男女が道路を作っている。9:30ごろ昨日と同じように植林している人たち見かける。ガイドさんによると、ここらあたりの植林には服役者も動員されているとのこと。9:40工事区間終わり、舗装道路にもどる。すぐにガソリンスタンドでトイレストップ。山は遠くからは土と岩だけのように見えるが、時に道路が山に近いところを通る時に見るとホコリまみれではあるがたくさんの短い草が生えている。10:20右側に工場と町が見える。永登県とのこと。工場はセメント工場。またここはバラの産地としても有名との説明ある。左側遠くにはキレン山脈の岩山が続くが万年雪は見えない。おそらくもっと奥、雲の中にもっと高い峰があるのだろう。永登の出口を通過してすぐに片側一車線の高速道でUターンしているトラックがある。出口を通過してしまい引き返すつもりなのだろう。上下両車線とも1時ストップ。よくあることなのかガイドさん説明なし。
  10:30青海省から甘粛省に送水する水道橋を通過。高架橋が延々と続いている。 水の貴重さを実感する。10:35武威へ157kmの標識のあるところ通過。10:40人口の50%がチベット族という天祝チベット族自治県通過。11:05烏鞘嶺トンネル工事中のところ通過。長さ10kmのトンネル掘っているとのこと。烏鞘嶺は海抜2500m(旧道は2800m)あり冬通行止めなることがあるので、その問題解決のためトンネル工事中。坂を登り続ける事15分、11:20烏鞘嶺の峠に到着。写真ストップ。日差しは強いが風があり爽やか。道路の両側は草地で鉄条網が張ってあり牧場である。峠近くに牧舎や羊が見える。ここで黄土高原は終わり、これから河西回廊が始まる。バスはカーブの多い道を下る。集落もあり畑にはたくさんの菜の花が咲いており、牧草のみどりとのコントラストがすばらしい。11:40料金所、ここにはプレハブの有料(5角=約7円)トイレがある。トイレの並びは崖→丁度立ションによい。中国の人たちもならんで用をたしている。男性はそれに習い無料ですます。12時過ぎ両側に岩山迫った谷に差し掛かる。
河西回廊
  古浪峡といい河西回廊でもっとも狭いところ通過。両側の山の間は50mほど、少し水のある川が流れている。1300年前もこれに近い風景の中をラクダで通って行ったのだろう。10分も走ると谷は広くなる。道路左は木のない山、右側は平野で麦やトウモロコシの畑や林もみえる。12:30武威へ38kmの標識のところ通過。平野広くなり山は遠くに見える。やがて右遠くに薄い黄色が霞んで見える。サバクのようだ。みどりの畑、林が連続し集落も多くなる。そのうち道路渋滞。すぐ近くの料金所通過に15分かかる。原因は事故。料金所手前のコンクリートにローリーがぶつかり2ヶ所ある料金所の一方をふさいでいる。13:10ホテル着。暑い。ほてるのレストランですぐ昼食。肉ジャガが美味しかった。ビールは蘭州産の”純生”アルコール3,6% 5元。ここでもビールはよく冷やしてある。13:55昼食終わり。ホテルテェックインできるとのことで各自部屋で1時間休憩。15:05武威市内観光に出発。武威のメインロード片側3車線の立派なもの。ホテルの前の交差点シグナルもあるが、なぜかポリス6人も出て交通指導?中。中国はここに限らず歩行者は赤信号でもどんどん横断する。(それの指導かと勝手に推測する。)まず雷台へ。雷台は南北106m、東西60m、高さ8,5mの土台の上に建てられた雷神廟にちなんで呼ばれている。樹齢1680年という樹木も残る古い廟であるが、文化大革命の時に焼かれてしまったとのことで今の建物は新しい。ここが有名になったのは1969年に後漢時代の墳墓が発見されたことによる。この墳墓の副葬品に馬、人、車、牛のミニチュア軍団のすばらしい銅製品があったためである。雷台の真下の長さ19mの墳墓に入って見学。外は34℃あるのに中は20℃と涼しい。奥の墓室に修復、複製(発見された本物は北京の博物館に収蔵)されたものが陳列されている。墓室には盗掘された時のレンガを壊した跡も残っている。メインは飛燕を踏む馬(馬踏飛燕)と呼ばれる高さ34,5cm、長さ45cm重さ1,5kgの馬の像である。中国観光局のシンボルマークにもなっているというこの像の躍動感は凄い。これを6倍にして作成した像が広場のにある。この像をバックに記念撮影。
  
飛燕を踏む馬
続いてバスで3分ほどの”鳩摩羅什塔”へ行く。鳩摩羅什については宮本 輝さんの”ひとたびはポプラに臥す”という本(講談社文庫)を読むまでは全然知らなかった。シルクロードの一部を旅してシルクロードに関心を持っている時にこの本に巡り合い、一気に6冊を読んだ。そして三蔵法師さんとこの鳩摩羅什さんの歩んだところ(=宮本 輝さんの旅したところ)に近いルートを旅しようと思い4回目のシルクロードの旅をしているところである。ということで少し長くなるが自分の記録のためにも宮本先生の記述(の概略)を引用させていただく。
””世紀350年に現在の新疆ウイグル自治区であるクチャという広大なオアシスの町で鳩摩羅什は生まれました。当時は亀じ国とよばれ、羅什はその国の王の妹とインド人とのあいだに生を受けたのです。羅什が没したのは西紀409年。59年の生涯でした。羅什は7歳で母とともに出家しました。そして、9歳の時、ガンダーラのケイヒン国へと留学の旅に出るのです。タクラマカン砂漠の西を進み、カラコルム山脈を越える険難な旅でした。9歳でケイヒン国に到着した羅什は、バン頭達多に師事し、小乗仏教を深く学んだあと、3年後に疏ロク国に立ち寄り、そこで須利耶蘇摩と出会って大乗仏教の深義に目覚めます。疏ロク国は現在のカシュガルであるとする説が有力でしたが、そうではなく、カシュガルから南へ約200キロのところにある現在のヤルカンドだという説のほうが正しいようです。363年、羅什は母とともに亀じ国に帰国し、持ち帰った膨大な大乗仏教を研鑚する日々をつづけ、たちまちのうちに、その名を中国の都にまで知られる存在となっていくのです。384年、羅什の頭脳と仏教知識を得ようとした前秦の王・フ堅は、将軍・呂光に命じて亀じ国に攻め入ります。そのときの兵は7万人。まだ35歳の、たったひとりの人間の頭脳を得るために。7万の兵をおこし、都から遠く離れた亀じ国を滅ぼそうしたことには、ただ茫然とするばかりです。亀じ国は簡単に敗れ、国王は殺され、羅什は捕らわれの身となって長安へと向かうのですが、その途中、涼州のコゾウ、現在の武威に入った時点で、前秦の王・フ堅は殺され、代わってヨウチョウが政権を握り、後秦国を建ててしまいます。帰る地を失った呂光は涼州でみずからの国を作って後涼国の支配者となります。羅什もまた捕らわれの身のまま、涼州で16年間も留め置かれるはめになるのです。けれども、401年、ヨウチョウの跡を継いだ後秦の王・ヨウコウは後涼国に兵を送り、これを滅ぼし、51歳になっていた羅什を長安に招聘し、サンスクリット語の大乗仏典を漢語に翻訳する作業に没頭させます。””
  という事情で鳩摩羅什塔がここ武威にあるわけです。羅什はこの塔の建つ地で経典を講じたとされているそうです。この塔は8角12層で高さ32mと高い。古くからあったが、現在の塔は1927年の大地震で倒壊した後に大修理したものとのこと。塔は武威市の看守所ベン公院(宮本先生の記述だと刑務所)の敷地の中にあったとのことだが2004年の今は塀などは無く、まわりに大きな寺院建設中。ただ予算と寄付が不十分で現在は工事中断しており、いつ完成するか分らない状況。塔の中には入れないが塔見学は全く問題ない。つづいて甘粛省最大の孔子廟である文廟と武威し博物館へ。明の時代から残る門をはじめ由緒ある建物、この地から出た進士の額(42枚)等がある。目玉は新しく建てられた博物館にある”西夏碑”。表に西文字、裏にその訳文を漢字で刻んだという1804年に発見された中国のロゼッタストーン。1094年作成の碑でサイズは高さ260cm、幅90cm、厚さ30cmの大きなもの。謎の多い西夏についての貴重な資料である。があまり知識の無い者にはあのやたら角の多い文字を良くぞ使ったものだという感じ。あんなのが書き取りのテストに出たらたいへんだろうなぁーと次元の低いことを思う。博物館入口には日報らしきものがあり、朝からの入場者数が記録されているようだ。それによるとわれら14人をいれてトータル49人。あまり見学者はいないようだ。でも2軒のお土産屋さんがあり、バスのところまで拓本(なんの拓本かは解らない)を持って売り込んでいる。17:20ホテルにもどる。19:00の夕食まで時間があるので古い城壁を見るべく町に出てみる。本の地図を見て見当たてて歩いてみるが10分も歩けば到達するはずの城壁にたどり着かない。町では夜店の準備をはじめているところもある。日本人などまだ少ないのだろうが、注目されることも声をかけられることもなく歩きまわる。そのうち見学した羅什塔に出てしまう。40分ほどの散歩で目的を達することなくホテルに戻る。部屋で地図を確認するとスタートの通りが45度間違っていた。即ちホテルから東に行くべきを北に行ってしまっていたのだ。山でなくてよかった!19:00よりホテルのレストラン(昼食と同じところ)で夕食。ビールは昼と同じよく冷やしてある。武威名物という高級蒸留酒を瓶で買った人のオコボレをいただく。アルコール度45にしては甘味もあって飲みやすい。20:15よりホテルのすぐ近くのバザールへ高さん案内してくれる。店も多く人も結構賑わっている。果物の市場、衣類屋さんのならんでいるところ、しかしなによりも肉の串焼きの店がずらぁっと並び炭火焼きの煙が濛々という一角が圧巻。”adidas"のロゴ入りの帽子13元で買う。(同行の人が15元で買ったあとで13元で購入。この国では直前に買った人が同じ仲間であることがわかっていても更に安くしてでも商売する。値切った2元でシシカバブー買う5本来る。 15元で帽子買った人に2本まわす。シシカバブーここでは新疆ほどの強烈な香料のニオイはしない。)21:10ホテル帰着。部屋にベープマットに近いものが置いてある。蚊がいるのだろう。コンセントに差してから寝る。蚊のトラブルは無かった。110Vのコンセントもあり電機カミソリ充電しておく。

       
home  トップページへ    前日へ   翌日へ