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シルクロード   の旅


2002年8月


 トルファン〜(南彊鉄道)〜カシュガル〜インジーシャ〜ヤルカンド〜
ホータン〜ニヤ〜(タクラマカン砂漠縦断)〜クチャ〜コルラ〜インブルグ〜ウルムチ


第1日(8月15日)関西空港から広州へ 第  8日(8月22日)タクラマカン沙漠縦断
第2日(8月16日)広州〜ウルムチ 第  9日(8月23日)クチャと近郊
第3日(8月17日)トルファン 第10日(8月24日)クチャからコルラへ
第4日(8月18日)高昌故城〜火焔山 第11日(8月25日)草原と家畜のパオに泊る
第5日(8月19日)カシュガル 第12日(8月26日)氷河と4000mの峠
第6日(8月20日)インジーシャ・ヤルカンド 第13日(8月27日)ウルムチ、広州
第7日(8月21日)ホウタンからケリヤ、ニヤ 第14日(8月28日)広州から帰国へ

 

第1日(8月15日)                戻る
 
 関西空港 14時50分発 中国南方航空(CZ390便)にて広州へスタート。
12時20分 西遊旅行担当者より 中国ビザ取得のため預けていたパスポート &チケット等受け取り。
座席は確保してあり、中国入国カードも記入済みのもの渡される。
機内持込 荷物のチェック厳しいのでカミソリ、つめきりも持ち込まないようにとのこと。−−つめきりもですか?と思わず確認。
 航空会社の荷物チェック受け 13時30分再集合。
大阪からのスタートは5名。東京からの6名とあわせ今回のツアーは11名のグループとのこと。
少し遅れて15時ごろ機内へ 旅行社のサービスか指定された席はビジネスシートであった。
本日のレート 120.40円/$。
 広州 着陸17時52分 入国 荷物受け取りスムーズ。
18時25分 すべて終了 出迎えのガイドさんとともに東京組の到着を待つ、18時50分東京組到着し合流、バスにて
ホテルへ 19時25分ホテル着。
広州の町は1996年に来た時よりもずっときれいであり、車が多いが道路もよく整備されておりほとんど渋滞なくホテルに着く。
20時より夕食 ビール17元と今回のツアーでは高い。
レートは682元/1万円。(14.66円/元)
第2日(8月16日)                                              戻る

 広州発 9時10分のウルムチ行きへ乗機すべく7時35分ホテル発7時55分エアポート着。 中国も学生夏休みということもあり空港は混んでいる。40分かかって乗機手続き完了。 ところが飛行機11時まで遅れる見込みとのこと。
よくあることとみえ 搭乗券をみせると
 (1)カップ麺 (2)缶入りお粥 (3)ジュースorコーラ
 のセットを渡してくれる。
結局 予定より2時間30分おくれて 11時40分 離陸。 16時25分 ウルムチ空港 着陸 17時05分 バスにてトルファンへ 約3時間でトルファン着 ウルムチ〜トルファン 200KM道路良好。
 広州の空港ではバンドリング専門の業者がいて 大きな袋にPPバンドをかけ 荷造りサービスしており これを利用している人がまた結構多い。かばんと違って袋は無料なのでもっとも安い入れ物ということだろう。
時差を無視して北京時間(日本と1時間差)を使っているので夏のトルファンは22時前まで明るい。
本日は曇っており 8月半ばなのに暑さあまり感じない。砂漠の中の休憩では風が強く肌寒いぐらいだった。
 ホテル(=トルファン大飯店)バスタブもついておりお湯もちゃんと出るし エアコンもしっかりしており上等。
夕食は中華。ビール5元 (ガーデンの葡萄棚の下の店では2,5元)
 中国は広い 広州〜ウルムチ ジェット機で4時間以上かかる。
ウルムチ空港は完成したばかりで大きくきれい。 ウルムチ〜トルファンの間の風景もすばらしい。
トルファンの風の強いことを利用した200基以上ある風力発電の風車の列もすごい。
トルファンに近いほうでは一本の草木のない山の中腹に南彊鉄道の線路が見える。このあたりの風景だけでも日本ではとてもみることのできないものです。
第3日(8月17日)               戻る

 本日と明日 トルファン観光。
本日は ホテル〜交河故城〜カレーズ〜ホテル(昼食&休憩)〜蘇公塔〜バザール〜ホテル(夕食)〜トルファン賓館で民族舞踊見学〜ホテル
 朝 起きてカーテンを開けると下には民家が並んでいる。その屋上に大きなベッドがあり お父さんや子供が起きているところ、女性は早起き? 暑いのとあまりの乾燥で虫もいないので屋上で睡眠している。 話には聞いていたがみるのははじめて。失礼ではあるが寝床の跡を撮影しておく。

 交河故城は二つの河の交わる30メートルの高さの台地に作られた都市跡。 南北約1000メーター 東西約300メーターの孤島状の台地となっており天然の要塞であった。 NHKでシルクロードが放映された時には憧れではあったがまさかその大地の上に自分が立つことができるとは想像もしなかった。 その地を歩き、あの有名なかまどの煙の跡を見、はるか底で2002年の空を写している井戸を覗いている自分が本物だろうかと不思議でさえある。 修復されたメイン道路から分かれた路地は昔のままであり、一人で歩いているとふと 昔の人が現れそうな感じすらする。
 ひなたは暑いが 日陰は爽やかである。
 
 カレーズは干しブドウ屋の並ぶ簡易アーケードを通って入る。 カレーズの歴史、構造を説明した展示室があり、つづいてブドウを干す小屋をぬけてはじめてきれいな水の流れるカレーズに着きます。
 昨年は 民族衣装を着た女性を撮影したいがお礼はいくらか聞いたとき1枚50元と言われて交渉成立しなかった。 今年はブドウを干す小屋の中で民族衣装を着た二人の女性が衣装の裾を高く持ち上げるポーズをとり10元で商売していた。さすがーー発展は早い。
 現在 実際に使用しているカレーズがあるのは トルファンとハミだけとのこと。 なかでもトルファンには1100本もの使用中のカレーズがあるとのこと。 ブドウは80%がワインに 20%が干しブドウにするとのこと。 そのまま食べるのは少ない。

 13時45分 ホテルに帰り昼食 そして暑いので16時30分まで休憩。 16時45分 蘇公塔着 暑い日のあたっているところでは47度Cあった。 それでも日陰で風が少しあると爽やか。
 バザールを覗くがまだ暑い時なので人出はもうひとつ。ハミ瓜の大きなのが3元だったと買った人がおりあとでご馳走になったがたいへんおいしかった。
 夜 外のホテルに民族舞踊を見にでかける。男女とも眉が濃い。 女性は美しく、男性は眉が操り人形のそれの如く動くのがすごい。 昨年は歌のサービスで” 故郷”を日本語で歌ってくれたが今年はこのサービスはなかった。
第4日(8月18日)              戻る
 ホテル〜高昌故城〜アスターナ古墳〜ベゼクリク千仏洞〜火焔山〜ホテル(昼食)〜トルファン駅 17時40分発 カシュガル行き特快列車に乗車。

高昌故城はバスの駐車場からロバ車で玄奘三蔵が説法したという仏教寺院跡まで行く。この馬車には普通6人の観光客が乗るが 必ず地元の(=ウイグル族の)子供が同乗し土産ものを売る。これがたいへん!!熱心、ねばる、競争する。昨年も買ってしまったが、今年も買った。                                                
 
                                                                    <交河故城>

 ”おかあさんが作ったのですよ!”と小学高学年にみえる中学生の少女に言われると おじさんは弱い。今年はいっしょに写真撮影したら 住所を書いたメモを渡され写真送るよう頼まれた。帰国後 送ったが無事届いたかなぁ。先方からの連絡はない。

 アスターナ古墳 千何百年前のミイラや壁画が自然環境の下でこんなに完全に残っているのはおどろき!

  ベゼクリク千仏洞異教徒と探検家に破壊された跡が痛ましい。 むしろ千仏洞のまわりの砂の火焔山がすばらしい。 観光客の増加に伴い駐車場の近くに孫悟空等のコンクリートのつくりものが増えているのは残念に思う。
 火焔山の撮影ポイントは中国の人たちの団体で大混雑。 交代で写真におさまる。                                                                      
                                                                          
                 
<ベゼクリクからの火焔山>
ホテルで昼食後 トルファン駅へ トルファンは大盆地で町(オアシス)は低地にあるので 駅を町のすぐ近くにつくると鉄道はすごい登り下りになりループ状でのアクセスとなり時間が大変。 このため駅は町に対しては55KMはなれた山の中腹にある。 ホテルから駅までバス ノンストップで55分かかる。
 この駅に向かう途中”湖”の蜃気楼を見ることができた。 シンキローはこちらでは珍しいものではないらしく、こちらが大騒ぎしているわりにはガイドさんは冷静であった。
  トルファン駅では特別待合室への入り口で飛行機と同じように荷物のX線チェックあり。 本日の夜のため”楼蘭ワイン”購入。冷やしたのを入手するのに苦労。 楼蘭50元(ホテルのレストランでの60元と差が少ない。) 列車では冷やしたビール無いとのことで売店で冷えたビールも購入。
 
 列車は 定刻どうり 17時29分着 17時40分発 で運行。 我らは4人一室のコンパートメント エアコンもしっかりしており快適。 とにかく明るい間はデッキに立ち 一生懸命車窓から外を見る。 時々 なにもないところに駅らしきものがあり複線になっている。 ここで列車すれちがうが相手は貨物列車ばかり それも貨物は殆ど石炭。 またなにもない所に集団住居の廃屋あり。南彊鉄道工事中の宿舎が工事終了後廃棄されたものと思われる。

 関東から参加のYさんも景色見るの好きとのことで二人でデッキの両側を占拠し ひたすら外をみる。 遥か昔北海道を旅したとき 列車の窓から外ばかり眺めていたことを思い出す。 40年経っても習性は変わらないようだ。
 NHKのシルクロードの本に載っていた高い高い鉄橋はまだかいな?と立ち続ける。20時前 右側に高い鉄橋見える。これが本の写真と同じものか不明だが 列車はずっと前方を右に回り 先ほど右に見えた鉄橋を渡った。 10分以上前に走った所がこんどは右下に見える 列車はあえぎ あえぎ とにかく登っている。
 20時過ぎより 食堂車で夕食。テーブルにビールおいてあるが冷えていない。 ガイドさんに冷えたビール出すよう交渉たのむが冷えたのは”ない!”とのこと。 仕方なしに 自然温度のビール飲む。けっこうつめたい。


 食事はスープと野菜中心におかず4品 それにご飯 女性ぐん提供の”ふりかけ” がおいしい。ふりかけこんなにおいしかったかと認識新たにす。 食事後は外は暗いので外を見ること断念。 冷えた楼蘭とビールで宴会。 時々外を見るが砂漠らしき荒地続く。寒そう。
 K-886/7列車運行時刻
    ウルムチ         15:14発
    トルファン         17:29着 17:40発
    魚児溝?         19:29  
    バロンタイ        23:02
    コルラ            1:31
    クチャ           5:12
    アクス            8:16
    巴 楚          11:00
    カシュガル        14:25着
 南彊鉄道 カシュガルまで開通したのは1999年12月6日とのこと。 この鉄道で旅をした日本人はまだ少数と思われ 幸運に感謝。
                                  第5日(8月19日)                  戻る

  7時15分 起床。列車は走り続けている。しかしピークは超えたようで 軽やかに走っている。 右側は 草木のないゴビの向こうにいろいろな色が縞模様に見える岩山。 生物の気配はない。この景色をみていると”火焔山”がかすんでしまう。 もっと太陽が強くなる時にこの景色をみたらトルファンの火焔山は小さかったなぁと思うことだろう
左側はずっと続くゴビ 遠くが低く短い草も見られる。列車は天山山脈の麓近くを走っているようだ。
 。時々 遠くに湖もみえ そのあたりにはポプラらしき林も見える。でも人は見えない。 8時過ぎ ほぼ定刻にアクス着 15分停車とのことでホームに降り列車をバックに記念撮影。ホームは乗降客や物売りで大混雑。 10時より食堂車で朝食 お粥とパン添乗員さん持参のふりかけと梅干がおいしい。パキスタンの奥地にもよく出かけたというベテラン添乗員 Tさんにはこれからあとでもいろいろ差し入れしてもらい大変助かる。 謝謝!。
  カシュガルに近づくにつれ 短いくさ、 人工を含む湖、そしてオアシスを中心とする林と集落が増える。 14時25分 定刻にカシュガル着この時刻は暑い。 すぐホテルへ。ホテルは元英国領事館であったというチニバーク賓館。雪解け水のためか洗面の水が冷たく気持ちよい。 カシュガルは人口32万 78%がウイグル人とのこと。 とにかく 遠くにきた感じがする。
昼食後観光。(ビール5元) 職人街〜エティガール寺院〜香妃墓〜大バザールとまわる。 夕食は旧ロシア領事館であった色満賓館で。 職人街 ポプラの木細工の店に大型のパイプあり、吸い口が少し太いと思ったが なんとこれがあかちゃんのオシッコ用の道具とのこと。 タバコを詰めるところに なにをいれてうまく”受け器”に導くーーーはず。
 エティガール寺院は一度に8000人がお祈りできるという大寺院。 お祈りの時間ではないので人は殆どいなく 中は暑くない。 香妃墓は17世紀カシュガルの政治、宗教の実権を握ったホージャ一族の廟。 緑の装飾タイルが美しい。

 バザール 布 縫製品 食品(野菜 果物 羊肉等々) 農機具 鍋、釜 食堂 乾物 電気製品とにかくなんでもあった。 カシュガルの人民公園には 毛 沢東 のあのポーズの像がある。 いまこの像が残っているのはカシュガルと成都の二ヶ所とのこと。 たかさ12.27メートル。なぜ12.27メートルか?理由があるとのこと 興味ある方はどうぞ調べてみて下さい。
 旧市街は古い伝統的なレンガつくりの住居を壊し コンクリートの高層アパートを建設中 急速に北京化(漢化)を進めている感じ。




第6日(8月20日)                                      戻る
 本日より いよいよ西域南道をニヤまで進み、タクラマカン砂漠を縦断し天山南路のクチャまでの1620キロのバスの旅の始まりである。 バスは32人乗りのバスで添乗員とガイドさんを入れ13人が乗るので二人掛けのシートに一人づつすわってまだ余裕がある。 外観もまぁまぁで一安心である。 いままでの経験より20人乗り程度の大きさのバスだとトランクがないので荷物も座席のところに積むために いくつかの座席をとられかなり窮屈。 そのうえ太陽の強い昼間はクーラーが能力不足で暑い。
        <ポプラ並木のハイウエイ>
 9時45分 ホテル出発。9時45分といっても実質の時差を考えるとあさ6時過ぎという感じで涼しい。ドライバーは漢人の スンさん。 ちょっときつい顔の男前だ。この人 ひとりの運転で5日間、2000KM近くを走ることになる。一日12時間以上走る日もあるのにご苦労さんなことだ。 20分も走ると ところどころに家の点在する農村地帯となる。このあたり両側に大きなポプラ並木の続く地平線までまっすぐな舗装道路で快適。 タマリスクの花がたくさん咲いているところで撮影のため停車。 かなりの面積が一面ピンクですばらしい。スタートして1時間弱 進行右に雪をかぶった山が見える。 山の名前は分らぬがかなりたかい山のようだ。このあたり人工の湖あり。 舗装道路ではあるが 穴があるらしくかなり揺れる。
 11時05分 インジーシャ到着。刃物の町として有名。 道路沿いに100メートル以上にわたってナイフいやカタナに近い長いものまでならべた店が並んでいる。 切れ味もともかく、握りと鞘の装飾が見事。通関に問題のない刃渡り10CM程度の握りに装飾のあるもの70元を50元まで交渉し購入。店の主人と並んで写真撮影。 トイレ休憩も兼ねているので、商店の並んでいる裏の方の公衆トイレに行く。 1メートル程度の溝の上にコンクリートの床があり 1メートル間隔にコンクリートの仕切りで左右が区切られている区画あり。 その中に幅約 20センチ×長さ50センチの穴があいておりそこに落とすことになっている。当然前の人 そのまた前の人そして前の前の前の人ーーーー何十人前の人までのものの上に自分のものを積み重ねる構造になっている。 見た目にも大変なヴォリュームだが 何よりもその臭いのヴォリュームが強烈であった。 (決して覗いたわけではありませんが、しゃがんだ前方はオープンなのでたまたま男性用に行く途中に女性用があり、用足し中の女性のヘアーを目にしドキッとしすぐ目をそらし失礼にならないよう行動したのも貴重な経験でした。)
 それにしてもあの臭気は強烈でした。                              <チャルバーグの町の人、人>

 これよりしばらくは どこまでも真っ直ぐな舗装道路とそれに沿った電信柱だけのそれ以外は地平線まで砂漠だけの中を走り続けました。 それだけの景色が決して日本では見ることのできないものだと思いひたすら見続けました。
 13時35分 ヤルカンド着 王宮跡の門の上に登り町を見ました。 王宮とのことだが、規模から推定するに砦という感じ。ガイドさんの説明聞くのをサボったことを 今 後悔。 門の奥は王宮だったはずですが、今は昔の面影なく立ち入りもできませんでした。 ヤルカンドで昼食 手打ちのラグメン(冷たい皿ウドン)ーシシカバブつきーを食べました。ラグメンなる名前は添乗員のTさんはともかく小生は名前さえ知りませんでした。 ツアーメンバーのMさんは料理の専門家とのことで発音から彼女に教えてもらって初めて知りました。それにしても美味しかったです。 最初に出たぶんでは不足で、麺の追加をたのみたべました。それにしてもここのラグメンは暑さの中最高の食べ物でした。ガイドさん差し入れの3元?のハミ瓜も最高。
 ヤルカンド近くでは日本と同じ水田風景も見ました。 15時15分 ヤルカンドスタート。30分ほどでポプラ並木途切れ、ヤルカンド川渡る。 このあたりより砂漠の中の悪路。バスの揺れ方すごい。 荷物置く棚に頭あたるほどの揺れ。両手で手すりを掴み懸命に体をささえる。 ここの揺れで人が飛び上がるのは体重によらないことを発見。 かなり細身のUさん飛び上がることないのに、100キロを遥かにオーバーするNさん荷物棚に頭が当たる程揺れる。  というほどとにかく大変な道となる。 砂漠の中&車の巻き上げる砂塵の中を走ること約1時間 羊の”いち”かすごい多くの人とこれまた多数の羊のいる チャールバーグトいう町に到着。ここで写真撮影。 子供と一緒に撮影してもらおうとしたらすごい大勢の人にかこまれる。 まるでスターのような感じ。バスの走ってきた道からまだまだ &どんどん馬車で 徒歩で人がこの町によってきていた。
 16時50分 チベットへの道のスタート(=ゼロキロ)−−右側に行くと”阿里”の文字ありこれがチベットを意味するようだ。 17時30分ごろどこまでも砂と石の続く悪路をひたすら走り続ける。 少し走ると遠くには草もあるのか 駱駝が見える。 時々遠くにオアシス見える。
        <チベットへの分れ道>

 20時35分 墨玉という町通過。 20時50分頃 水田多く見える。 とにかくよく揺れる 道路ひたすら走り続け 21時15分ホータン着。 22時30分より夕食。ビール5元 おいしい!
 本日の走行 540KM。
 

                     第7日(8月21日)               戻る   
 本日は午前中 ホウタン市内及び近郊観光し 午後ケリヤを通りニヤまで進む予定。
8時35分ホテル出発 白玉河〜マリクワット故城に向かう。本日は現地ガイドのかわいい美人の成岩さんがついてくれる。 約30分でウイグル人の墓地のある 白玉河の見える台地に到着。写真とるため停止。 河からの風が心地よく爽やか。その後川岸のウイグルのマリクワット村を通りマリクワット故城の入り口に着く。
 
 <マリクワット故城 遺跡>
ここから土を積み上げただけの遺跡の残るところまで ロバのひく馬車で行く。馬車には4人しか乗らないが砂の道なのでロバは結構 しんどそう。ホコリがすごい。マリクワット故城遺跡は風化がはげしく土を積み上げた遺跡が3〜4ヶ所見えるだけだが それでも遺跡撮影するならカメラ 5元 ヴィデオ 10元 必要とのことで5元、払いウテン国の夏の都であったといわれるところを撮影。砂の中に土の塊が残るのみの都の址はわびしい。 ここで つぼの破片か 小さい茶色の陶器のかけら拾う。勝手に千数百年前の焼き物のかけらにしておく。白玉河の岸に下り玉をさがす どの石も角がとれ丸い。村の人もきているが、玉を捜すのでなく お土産売りが目的 小さな子供までがほんの少しの商品や小さな玉?を持ち10元!とか 20元!と日本語で売りにくる。はなをたらしている子もおり衣類も穴のあいているもの多くこのあたりは貧しそう。ボールペンをねだる子もいる。町にもどる途中 ポプラ並木の道の写真とる。ポプラ並木の道は多いが舗装されたものが多く我々がいく未舗装の道ではここが一番すばらしいとのこと。                                                             
                                                            
 <ホウタン近郊のポプラ並木道。(右端のおじさんの手に感激)>

町にもどり 和田文物展覧館にいく 石器や木簡 コイン ミイラ 楽器織物等等 多くの出土品が展示されている。もっとも古いものは3000年前というすごく貴重なものと思われが、空調のない暑い部屋にならべられておりこれからも風化が進まないか心配。次に織物を生業としている民家を訪問 あのウイグル独特のたてに模様の入った織物を織っているところ見学 縦糸にすでにあの柄がでており、縦糸をひきそろえるのに大変な手間と技術がいると思った。奥の応接間と思われるところに座りお茶をいただく、外の暑さを思うとこの部屋の中は涼しい。ホウタンは地球上で最も海から離れた町とのこと。ホテルに帰り 昼食後 14時10分 ホテルスタート、ニヤに向かう。少し走るとポプラ無くなり ゴビの中を走る。その内舗装無くなり、大揺れ。道路工事中のところ多く ゴビの中の凸凹の仮設道を走る、いや凸凹ひどく走れなくのろのろすすむ。見渡すかぎり砂と小石ばかり。
 17時頃オアシスあり少しほっとするが ちょっとでまた大揺れ道。この間 遠くに竜巻があがるのをたくさん目撃。これを繰り返しながら 20時過ぎケリヤの町につく まだ明るい。 ここは 女性が世界一小さい帽子を被ることで有名とのこと。 
<ケリヤの帽子 
(しゃがんだおばさんの頭の上の黒いのが帽子)
ガイドさんがこの帽子をかぶった人探すが、今では着用している人少なくかなり探しやっと見つけ ガイドさんが本人の了承を得てく みんなで撮影。確かに直径10センチ足らずの小さい帽子であった。車窓からずっと見ていると町を出るまでには着用している人数人は見えた。それにしてもこの町の公衆トイレの臭気は強烈でした。鼻はつまめばなんとかなるが目をつむるわけにはいかず 目にしみて涙がでました。 それからは揺れる道をそこそこのスピードではしり続けました。
 ニヤのホテルについたのは22時50分でした。 本日の走行320キロ それを9時間近くかかったことになる。 いかに道が凄まじかったかーーー想像ください。

 



第8日(8月22日)               戻る  
 いよいよ 憧れのタクラマカン沙漠縦断の日
 ホテルー(315線)−砂漠公路出口〜塔中(昼食)〜タリム川渡る〜砂漠公路入口〜(輪台)〜クチャ   本日の走行距離760キロ(内砂漠縦断部546キロ)予定。
 ここ ニヤのホテル(華都賓館)は部屋には電話なく朝 7時 添乗員さんのドアーのノックがモーニングコールで目覚める。こちらの7時はまだ日の出前。 昨夜  ホテルに着いたのが23時前 それから食事を済ませその日の整理をしおそらく就寝は1時過ぎたと想像されるが 添乗員の彼女のタフさには頭が下がる。 ともかく参加者全員 弱音も吐かず全員揃う。 水 いつもは一本づつ買うが本日は二本準備。一本ホテルで購入するが冷え不十分。 ホテルを出て通りを歩くと店が開いている。台の上にならべてある見本を指差しあとはすべて指の本数で何本か 何元か決め 買う。因みに同じ水500ミリリットルがホテル5元 外では2元 しかも外のはキンキンに凍っている。何かすごい得した感じ。
  <朝のタクラマカン沙漠>
 8時25分 ホテルスタート 10分ほどでカシュガルからずっと走ってきた315線と分かれ 左の道に入る。ところどころに農家や羊がみえまた草や木も見られる道路をすすむ。ホテルからこのあたり道は良い。 10分ほどで砂漠公路出口の碑のあるところで写真とる。これからいよいよタクラマカンへ (タクラマカン砂漠公路は 砂漠の中の油田開発のために作られたハイウエイで1995年に完成。観光のために作られたものではないのでいい景色の所には”展望台”というようなものはない。 われわれはこの公路の南から入ったので出口から入ったことになる(ようだ。) 入口は精製基地のある 北側のコルラ市サイド。) 遠くに砂山見える 日の出後 間がないので 稜線の陰影がはっきりしてきれい。 期待に胸が膨らむ。葦のような草やぽつんぽつんと見えていた胡楊?の木も30分ほどで見られなくなり 一面 砂ーーー砂ーーー 砂ーーーーーの世界。 9時35分写真撮影のため停車。
  まだ陽が低いので砂丘や風紋の陰影がはっきりしていてきれい。まだ暑さもなく爽やか。 これからもこれらの景色 写真に収めんと撮影ポイントでのバス停車を東京から参加のIさんに決めてもらいドライバーに停車をたのんでもらうことにする。 砂漠の中のまっすぐな道なので見通しはよいはずだが、実際は起伏があり峠を越したところや峠の直前に車を止めると追突や(対向車の)衝突の危険非常に大きい。 ところが撮影ポイントはまさにこの峠を越えたところがベスト。 こちらの要望と安全の問題がマッチしなく、回数もドライバーは昼食までに1〜2回を想像していたようで不機嫌 Iさんももう頼めないと言い出す。結局 なるべくいいしかも安全な所で適当に止まってもらうことになる。 (途中で故障したり パンクしたりした車は自分の車の前後 何十Mかの自分側の道路に石をならべ追突や衝突をさけるようにしている。修理後この石をそのままにしていってしまう車があり、運転しにくいと思う。) デジカメを使い 車窓より撮影続ける。陽は高くなったが 風紋ははっきりしており丘の上まで続いているのがはっきり見える。 途中道路の近くに小高い畝のあるところでトイレ。いや、見事に吸い込まれました。 途中一面砂の中に 高さ1Mたらずのタマリスクが一本見えたりときには胡陽の木も見え植物の生命力には驚かされる。 途中でかすかに飛んでいる砂を主体に小壜に砂を入れる 黄金色で粒もそろいあくまでさらさらとしてすばらしい。わたしにとっては”甲子園の土”というところ。

 12時過ぎバス停車 エンジン点検とのこと。 今までも途中で故障やパンクのため停車しているのを何回もみており 故障車多いと思っていたが、バスは少なかった。30分足らずでスタート。さすがこの時刻は暑い。(点検中 クーラーなし。) 12時45分塔中到着。宿泊所(一部はトレーラーを改造したクーラーつきの部屋)、何軒かの食堂を主体とした店 ガソリンスタンドがある。 ここではラグメンをたべる。まぁおいしい。ここで添乗員さん日本より持ってきた赤飯も出る。これは美味しかったです。この店のビールは冷えていないとのことでどこかに冷えたないか聞いた(どう聞いたかなぁ)ところ 隣にあるとのことで隣の食堂兼喫茶の店に行く。 新彊ビール 1本4元 よく冷えており最高。 タクラマカン砂漠の真中で飲むよく冷えたビール。のんべぇにとっては まさに”至福の時”でした。 ラグメンを茹でた後 洗っていた水はヤバカッタという情報あり念のため正露丸 飲んでおく。−−結果としてだれも問題なかったよう。 ここの 中国式 トイレなぜか水洗で水流れっぱなし。なぜか水はあるよう。 14時過ぎ スタート。バス(エンジン後部にあり。)エンジンカバーあけてはしる。 ばす20分ぐらい走った所で自転車に乗った人3〜4人見かける。 まわりには建物 まったく見えないのにどこからきて どこにいくのだろうか。 真昼間 砂、砂、砂、の風景は迫力はあるが単純 それでも少しでも多く この目に残して置こうとひたすら眺め続ける。目を痛めないようサングラス着用。 1時間30分ほど走ったところで車10台ほど連なる。 
 <バスのフロントガラス越しの道路。
(これを撮影したすぐ後に事故跡にあう。)>


交通事故で片側通れないため片側交互通行。トラックと乗用車の正面衝突乗用車のひとは(3〜4人)車内に閉じ込められたまま バスの窓から見たかぎり前の座席の二人はピクリともしない。救急車といってもどちらの町から来るにしても3時間以上かかりそうなことを思うとまず助からないのではないかと暗い気持ち。 至福のビールとの落差が大きい。 16時30分頃よりタマリスクや胡楊時々見えだす。 17時50分頃 まわり殆ど緑となる。時に畑も見え出す。 このあたりより遠くに竜巻何回も見える高さや時間の長さよりかなり大きい感じ。

 18時05分 タリム川 渡る 渡ったところでバス停車 橋の途中まで引き返し写真撮影。 水量豊かで 幅も広い こんな大河が砂漠の中のどこかで消えてしまうとは信じられない。しかし地図を見るかぎり砂漠の中で消えている。 
 <タリム川 この川が消えてしまう>
タリム川渡った輪台側胡楊の大木多くみごと。すごい年を経た木と思われる。 タリム川から約40分で砂漠入口の塔に着くやれやれのような終わってしまったような複雑な感じここで参加者全員で記念撮影。 またバスでスタート途中よりあまり車の走っていない道にはいる。 入口に立て看板あり #*?$#限定とか書いてあったように思う。 とにかくこの道を走る最初のうちは時々ダンプとすれ違うがその内時々オートバイが走るぐらい。 前後車見えなくほんのたまに車とすれちがう。 道路両側地平線まで草だけの道(この風景だけでもすごい)を我らのバスのみひたすら走る。 なんとなく不安、みんな無口になりバスのなか静か。1時間以上走ったところで対向してきたバンが止まり 両手を交差ーー即ち進むこと不可のようす。 私にはそう見えたが前になにも障害も見えず バスはまた前にすすむ。
 20時45分ついにユンボで道路全面堀上げ中の工事現場にぶつかる。とにかく これから先はすすめない様子。薄暗くなってきたがユンボはドラム缶から油を補給し、ライトもつけ、われらがすすむはずだった道を堀つづける。ドライバーさん携帯電話でどこかに連絡するもはっきりしない。 小型車でクチャサイドから迎えにこられないか?等も連絡した様子だが約1時間の後に引き返す以外に方法ないことに決定。この間に真っ暗になった道を引き返す。
  <間違えた道路からの風景 草だけ>

   朝から給油なしでほぼ目的のクチャに到着予定の時間を走っており 燃料残り少ないとのこと。 クーラー切り 室内燈も消して この道路から一番近いところにあるというガソリンスタンドに向かう。途中よりこの道路とわかれ一車線の細い道に 入りガソリンスタンドをめざす。23時前 やっと燃料のある間にガソリンスタンドにたどり着く。給油中に添乗員さん ガイドさん 近くの店でオムスビの加熱と飲み物補給し差し入れこれはありがたかった。実は小生ずっと前から朝 買った2本の水はなくなっていた。 給油後すぐに314線(天山南路にあたる)に出るが これが工事中ですごい道。途中では仮設の橋に重量制限があり 乗客はバスを降り 徒歩でわたるというようなこともあり、クチャのホテル(亀滋賓館)着は翌日に入った 0時30分。 走行予定は760キロだったが 間違った道の走行200キロちかくあるはず。 1000キロ近いはず。 食事終了後タクラマカンの砂を落とすべく入浴。連泊となるこのホテルの初日に洗濯しようと決めていたので洗濯もして2時50分就寝。この時間だとクーラー不要。
第9日(8月23日)               戻る  
  本日はクチャのこのホテルを拠点に近郊の観光。 ホテル〜キジル千仏洞〜昼食(千仏洞の下)〜塩水渓谷〜クズルガハ千仏洞〜クズルガハ土塔〜スバシ故城 と回る。 昨夜遅かったので10時スタートは助かる。
                                                                   <キジル千仏洞>
キジル千仏洞は市の北西70キロのムザルト河の北岸にある。バスで30分も走ると ヤルダンと呼ばれる硬いところだけが風化されずに残ったすごい風景が見られる。そしてその先が塩水渓谷である。この季節は水はほんの少しで川岸は白い この白いものは塩そのものである。少し舐めてみると食事で使っているものよりからい感じがする。この塩水渓谷の風景は生物の存在を全く感じさせない。川原は塩分のため植物なく、山は赤い岩だけでここにも草木一本もない。空は青く 赤い岩山とのコントラストがきれい。ここだけでも立派な観光地だと思う。 塩水渓谷より低い峠を越えるとやがて広い草原とその先に岩だけの山がある風景の中を走る。ここで遠くにラクダの放牧見える。狭い岩と岩の間につくられたところを抜けると下の方に川が見え緑も多い。 これがムザルト川 かなり遠くからも水の見える大きな川である。
                                                                                                                                                                                                               <塩水渓谷>
 バスは千仏洞のある壁の方から入るので下におり振り返った感じではじめてみえる。 正面高くに千仏洞見られるが、これは一部で、長さ3キロの間に236もの窟があるとのこと。 われわれはその中の8窟を現地ガイドの説明つきで回る。 3世紀から10世紀までの長い間にわたって造営が続けられた大きな遺跡である。 敦煌と同じくひとつの窟の説明がすむといちいち鍵をかける。 急な階段を上り下りするので結構疲れる。壁画は破壊されたところ少なくかなり保存は良い。 われわれが見た窟は少し色がうすい感じであるがもっともっときれいなのもあるとのこと。 13時45分より千仏洞施設内にある招待所の食堂で食事。 来る時に素通りした塩水渓谷で写真撮影。ヤルダンは車中より撮影。
  16時40分クズルガハ千仏洞   キジル千仏洞と同じ現地ガイドの案内でまわる。4〜5世紀ごろのものといわれ、46窟あるとのこと。この内8窟見学。 僧侶の修行した窟が多く、壁画の印象はうすい。   
 <クズルガハ土塔>
                                              
それでもここでガイドさんによると京都大学の教授に引率されたという日本人に会う。”こんにちは”と挨拶しただけだが、研究者にとってはまだ未開発で価値のあるところかもしれないーーと想像。 続いてすぐ近くのクズルガハ土塔に行く。 高さ16メートルの上に望楼のある烽火台、上の方にはまだしっかりと建設時に使用された木が残っている。 2000年間もこの地を見つづけて木と思うとすごいなぁとーみつめる。 ここに行く途中ウイグルの人のお墓多く見えるドーム型の随分立派なものもある。 ここからスバシ故城に向かうこの約45分の間に激しい雨に会う。
 
 昨年の8日間今度の9日間を通しシルクロードで初めて会う雨。それも舗装道路が白く見える程の激しさ、空も暗い。でもやはり夕立のようで18時40分スバシ故城につきバスを降りる時に合わせやむ。ラッキー。このためスバシ故城のレンガ赤み帯び生き生きとして見える。
<スバシ故城 (遠くが東側遺跡)>

 スバシ故城はクチャ河をはさんで東西に遺跡が残っている仏教遺跡、われらはその西遺跡を見る。雨あがりのホコリの立たない快適な道を中央の高い仏塔跡へ登る。        
この仏塔では最近ミイラが発見されたとのことでその区画も見る 通常の見学通路から2メートルも離れて いない所で今まで1000年以上もなぜみつからなかったか不思議。 この塔からクチャ河をはさんだ東の遺跡を見るが、土の壁が見えるのみ。それほど遠い。 
玄奘三蔵の”大唐西域記”にも”大城西門の外に路の左右に高さ90尺余の仏像がある”と記載されているとのことでもあり盛時にはどんなにはなやかでまたにぎやかなことであっただろうかと偲ばれる。 20時前ホテル着20時より夕食  Iさん提唱(&ワイン、ビール提供)で宴会。 談笑そしてもう一組の日本のグループに了承を得た上での歌。 歌はウイグル人ガイドのトルスンジャンさんが日本の歌(歌詞まで)一番よく知っており一番活躍。北国の春 昴etcすべて歌詞を暗記しておりいい声で うまい。 ウイグルの人は音楽に秀でているようだ。13人でワイン4本+ビール7本あける。 Iさん ありがとうございました。
第10日(8月24日)               戻る  
 本日は午前中 クチャに滞在。 クムトラ千仏洞& バザールを見る。 ホテルにて昼食後午後 280キロ 走りコルラに向かう。 9時過ぎ ホテル発 15分ほどでムザルト川の水力発電をしているダムの所に着く。 本日も 昨日と同じ現地ガイド( 王 超)さん一緒。この人は千仏洞については詳しいようだが日本語はもうひとつ、窟の説明よどみないが聞き取りにくい。 バス降りる前にダムや発電所の写真絶対に撮影しないよう伝えられる。 徒歩で、拾いあげられた流木その他いろいろの物が置かれているダムをわたる。 渡った所に何台かのロバがひく馬車があり千仏洞までこれでいくとのこと。 4人づつ乗り ムザルト川のほとりの狭い道を進む。 洞近く砂なつめの木が並木となっており実がたくさんなっている。
 
 実はこの道は我々が日本を出発する時には洪水のため道(道路とはいえない)崩壊しており、その時点では通れないと説明されていた。こちらにきて確認のところ最近通れるようになったとのこと。確かに小さな谷から少し水の流れているところあるが橋はない。川底の石の上を行く。このあたりが通れなかったのだろうと一人で決めておく。 馬車約20分で千仏洞に着く。
                              <クムトラ千仏洞>
千仏洞とほぼ同じ高さの台地に人の住む家がある。 クムトラ千仏洞の管理人一家の住家(官舎?)である。鍵を開けてまわってくれるのは中学生くらいのお嬢さん、われらより少し遅れて大きなお父さんがついてくる。 即ち監視人が前後につく感じ。彼女爪に真っ赤なマニキュアをしている。 それを指さしぼくの親指をたて”グウッド”というと彼女にっこりしてくれる。 通じたかな? 六つの窟を見る。壁画や文字(未解読)に歴史的価値のあるとのことだが素人の私には保存状態悪く異教徒による破壊もあったとのことで暗い,煤けた窟が印象に残った。 12時過ぎ市内にもどりバザールに。ここで亀滋の伝統音楽のテープひとつ買う。−5元。 お互い共通語はない。筆談。僕:古歌 国民歌 民謡 有? 相手のオバサン:維族人的滋帯有 要? 1?全部? というような文字を交互に書いてとにかくひとつ買う。あとでガイドのトルスンジジャンに聞くと確かにここの伝統音楽とのこと。
僕の買ったのは一部でこの音楽はテープで7巻セットのものもあるとのこと。 ウイグル族維の文字の糸偏の下(小)のない漢字で書いてある。
 ホテルで昼食後。 バスにお別れ。 添乗員,ガイドを加え 合計13名はこれから5台のランドクルーザーに分乗しコルラに向かう。はるばるカシュガルから五日間走り続けたバスは1500キロを越す道をドライバーの宋さんひとりで帰っていくという。寂しいだろうなぁ。宋さんとならんで写真撮影。  宋さん”気をつけてね”と日本語でいう。彼にこぉとし手を握り合う。  さようなら! お元気で!
 ランドクルーザーに 3,3,3,2,2、に分かれて乗る。 わたしは東京より参加のNさんと二人で4号車に乗る。5台のドライバー全員漢人。 後で聞いた話だが中国で大型の免許とるには3ヶ月が必要とのこと。 運転1ヶ月,整備(修理)2ヶ月勉強する。車はよく故障するし修理屋など近くにあることはマレであるし、とにかく自分でかなり修理できなければやっていけない。ということのよう。ということで大型のドライバーは漢人が多いみたいだ。 われらのドライバーはキョウさん(この漢字は日本にはない。)元紅衛兵のヴェテランこのルートも3ヶ月前に走ったとのこと。ドライバーのとなりにすわったNさんは少し中国語ができるので二人で話している。
                                            <新彊鉄道を走る貨物列車(クチャ〜コルラ間)>
 車は三日前の夜中に走った悪路を引き返す形ではしっている。かなり揺れるがバスよりは揺れ少ない。 1.5時間もはしると道路良くなる。途中見渡すかぎり地平線という風景の中を何分間もはしる。
 19時前 南彊鉄道を クチャ方面からコルラ方面に向かう 長い長い貨物列車を見る。トルファンからカシュガルに向かう夜行列車でここを反対方向にはしったのはもう7日も前になる。 7日前ここらあたりを通ったのは深夜3時ごろと思われもちろんなんの記憶もない。 思えばはるばる旅したものだ。 やがてビルの多い町が見えてくるこれがコルラとのこと。ウルムチを出てからはじめての大都会。タクラマカン石油基地として発展中の町とのこと。 19時40分本日宿泊するキンキラキンの塔里木石油賓館に到着。


<ホテルの部屋から見たコルラの町(写真では見えないが遠く山の方には古い住居ある。)>












第11日(8月25日)               戻る 
 8時25分ホテル発。 30分足らず走ると小さな峠を越える遥か遠くにチラッと雪を被った山も見える。 9時過ぎ工場のある小さな町を通過、町外れのガソリンスタンドで給油。ついでにトイレ。 10時過ぎ大きな緑地に入る。少し走ると町バザールと思われる所にすごい人の群れ。 われらはノンストップで走る。
<峠の先の真っ直ぐな道。(車で30分以上直線続く所もある>
われらの車の前方から馬車や徒歩ですごく多くの人々がバザールに向かっている。日本を出てからあまり”曜日”のことを考えなかったが、今日は日曜日なのだ。週1回のバザールなのか、馬車や人の列は車が5分以上走る間続いていたようだ。 やがて大きな川を渡る。川の名前は分らない。 そうだ昨日の午後からこの車にはガイドさんいないのだ。時々同乗のNさんがドライバーのキョウさんに話かけるが、やはり口数は少ない。その上わたしは中国語は全くだめなので時々 Nさんが日本語で伝えてくれる以外,耳からの情報はない。 バザールの町から20分後くらいから車は川に沿ってはしる。 このあたりの川かなり水量あり,川原も広い。対岸には新彊鉄道の線路も見える。 8月18日深夜通ったところを逆に向かっている(はず。) 11時過ぎ川岸の道路で休憩何かの木の種子か白いものがふわふわと飛んでいる。
 川の水は透明できれい 高度がかなりあるのか日差し強いのに涼しく快適。 12時少し前バロンタイの町通過。道路に沿って100M以上 商店や家の続く町。 役所の支所もありこれから走る奥地にとっては大切な町のよう。 12時過ぎより道路舗装なくなる。 ところどころに家やパオがあり煙突からは煙もでている。 遊牧の人たちが羊を追っているのが見られる。道路を歩いている群れにも何回も出会う。8月なのにもう夏が終わりウルムチの方に帰る群れもあるとのことあとで知る。 その内風強くしかも気温も下がり車の窓閉めるーー実は車のクーラー 効くが温度調整完全ではないので、自然温度でなんとかなるところは窓の開度で調整していた。ーー道路両側の風景は殆ど木はないが草原が山すそまで続きそこから岩だけの山が立ち上がるという風景が続く。その中に羊の群れとそれを追っているらしい馬に乗った人もみえる。道路土煙りひどいがヴェテランのドライバーは前の車との間隔を土煙りの影響ない距離を保ち走る。どんどん高度をかせぎ13時ツァンノール峠につく。タルチョと思われる布のはためく塔がある。ここで写真&トイレストップ。ここは高度2571Mの峠とのこと。風非常に強く、長袖ポロシャツに棉のベスト着ているが寒い。帽子をおさえながら記念写真とる。 (青空トイレ:正確に風下に向かっていたさないと大変ーー蛇足!!)
 このあたり広い草原であり遠く,近くにたくさんの羊の群見える。またそ向うのさらにその向うの山には白雪も見られる。いや!絶景!絶景!そしてすこし寒いが乾いた風が心地よい。
 
 峠をジグザグに下りる。 谷には何川かの源流であるはずの幅1〜2Mの小川が見られる。 すぐに下りは終わり車は高度を保ったまま走る。 14時半何軒かの家のあるドライブインに着く。ここで昼食。食堂にはストーブ焚いてある。 ここの食堂の名前ー草原ウイグル族飯店(ウイグルは日本語にない、が漢字。=計6文字ということ) ラグメンをメインに添乗員さん 差し入れの五目ごはん。ガイドさん差し入れのうり。 どれもすべておいしい。ラグメンはやはり手打ちのヤルカンドには及ばぬが、この草原の真中もタクラマカン沙漠の真中もおいしい! でも、念のため食後に正露丸をのんでおく。 ここは定期バスの停留所にもなっており食事中2台のバスが来る。両方満員という感じ。 多くの人がトイレに行き、食事はせずスタートしていった。 15時20分スタート土煙りの上がる凸凹の多い,少し起伏のある。 そして何よりも真っ直ぐな道を前の車の土煙りのかからない距離を保ち走り続ける。道の両側のはずうっと草原が続き(木は見られない)その平らの遠く遠くに山のねっこがありそこから草原が坂になり、そしてその坂がどこからか岩だけの山になっているという風景が続く。右側の一番遠くの山には白く雪が見られるが,左側の山は岩だけである。 16時30分左にパインブルグ75KMの標識のあるところ左折すぐ停止 写真=上記の風景。 ここからの道は凸凹今までよりひどい。なにかにつかまっていなくては天井に頭あたる。 それでもドライバーのキョウさんは3月前に来た時より良いと言っていると同乗のNさんが教えてくれる。                     <17時20分頃の風景>
  17時20分頃道路近く 羊の外、馬、ヤクなどたくさんの家畜の放牧されている所で写真ストップ。草原の中央には川も流れ,パオも何軒もありこのあたりが放牧の中心のよう。 無数にいる羊のどれも我らに関心示さず、ひたすら短い草を食べている。とにかく写しておく。 それから約1時間とにかくよく揺れる道を走り続け向うに見える町の手前のパオのならんだ所に車ははいる。入口に門がありその上に招待所(だったと思う)幕をくぐって車乗り入れる。 計画ではひとつのパオに2〜3人で泊まる予定だったが今日は余裕があるとのことで15〜6のパオのうち10パオをわれらのグループで使用。 パオの土間は土で少し湿っている。三つのベッドとひとつの机がパオの壁(=布)に沿って置いてあり,中央に石炭焚きのダルマストーブがある。机の上に洗面器があり朝はこれをもって食堂(大きなパオ)の前のタンクまで水を汲みに行き洗顔とのこと。 電気は中央に裸電球が1個。スイッチは昔懐かしい手でひねるやつ。トイレは外共用。 

  <宿泊した招待所のパオ(ここの10パオをわれらのグループで使用)>
ここでパオに案内してくれた奥さんに日本から持ってきて時々使った洗濯ハサミつきの洗濯ヒモをプレゼント。(そのためかどうか不明だが)食堂にあるカラオケーーなんとこの地にリモコンで選曲まで操作できるカラオケがある。−−しかも北国の春をはじめ10曲以上の日本の歌もあるーーで適当に日本の歌を入れ歌えとサービス、ただ鳴らしておくのも失礼かと。 Kさんと歌う。 ロマンチックに星でも見ようかと思っていた女性をはじめムードを台無しにされたと思われた人にはここでお詫び致します。 このパオの周辺も景色は草原を走っている時の続きで同じ。パオのすぐ近く 遠くに無数の羊の群見られる。夕暮れ近く馬で羊を追って(集めて?)いる人も見える。 われらのほかに中国人の家族らしきお客さんあり彼らは羊をオーダーしパオのすぐ近くで生きている羊を肉にしてもらう。その様子をヴィデオに収録している。 
ちょっと感覚が違う。夕食は羊肉はもちろん鯉に似た魚もでる。ビールは5元。 食事後パオに帰る為外に出ると寒い近くのもうひとつの食堂ではドライバーの皆さんとガイドさんが蒸留酒で宴会中。シシカバブー少しと先ほどのビールの残りで少し付き合う。彼らはわれらが食事した大きなパオにみんな一緒に寝るとのこと。 空見上げるとよく澄んで星は近いが,月も明るくキラキラもうひとつ。 パオに帰るとストーブに火が入り 追加用の石炭も置いてある。 ストーブのお陰で下着と毛布で就寝,途中残りの石炭追加使用。
   本日の走行356KM.
第12日(8月26日)               戻る   
   6時15分 添乗員Tさんのパオの戸のノックのモーニングコールで起床6時45分と伝えられた日の出を見るため 希望者早起き。外はまだ暗い持参の懐中電灯を照らしかなり離れたトイレにいく。 トイレ電灯なく暗い。懐中電灯の灯りをたよりに用をすます。 寒い!残っていた水冷たくすべくパオの外に置いていたが、飲んでみると冷蔵庫に入れておいた時より良く冷えている。冷蔵庫なみの温度まで下がった様子。 
            <パインブルグ地区 遊牧の少年と羊>
そういえば明け方ストーブの余熱が少なくなってからは寒かった。 中央の水タンクのとなりにストーブがありすでに火が入りストーブの上でお湯が沸かしてある。 大阪から参加のUさんにこのストーブから火種を運びもう一度自分のパオのストーブに火を入れることを教わる。パオはすぐ温まる。6時45分うす明るくなるが日の出の気配ない。 日がのぼるという山の方に雲が出ているので、今日は天候のため日の出見えなっかものとあきらめる。 それにしても日の出の時刻にしては暗いなぁとみなで話す。 水タンクには小さな蛇口が5ヶほどついており、ここで歯みがき。洗顔は各パオにある 洗面器をもってきてストーブの上の熱いお湯と水を混ぜてパオに持ち帰り行う。 結局日の出は7時45分かなり高い山のところから昇る。地平線からの日の出でないので時間遅くなったか?それほど大きくは見えないが無事日の出も拝むことできた。 
ドライバーの皆さんの寝床の跡であるはずの大きなパオで朝食。
 8時30分 パオスタート。バロンタイまでは昨日の道を引き返す。 車によっては前の車と近く土煙に悩まされたグループもあったという反省から今日は各車十分間隔をとってスタート。昨日と同じ道だが広い広い草原とその向うの岩山そして青い空とのコントラストすばらしい。ひたすら見続ける。遠くにラクダの放牧も見られる。 馬やヤクは羊の近くで一緒という感じだが,ラクダはラクダだけのグループでいる。途中 2回写真ストップ11時40分、昨日昼食をたべた”草原飯店”を通過。 この道は定期バスも通るし車も多い。道路の風下の方に土けむりが霞のように漂っている。 雨で洗はれることなく堆積したらこの緑どうなるだろうかと心配。何百年も人と動物だけの世界でこんなにつちけむりを上げるものなど無かった所だったはず。
                                       <峠への道。−左に光るのは川。右のジグザグが道路>
 12時50分 ツァハンノール峠 ここで小休止、今日も風強い。 14時30分バロンタイ着朝あんなに寒かったのにここは熱い。みないくらか着ているもの減らす。ここで昼食ここでは熱い麺(ラーメンの麺と違いスイトンのような平べったいもの)を食べる。スープはまぁまぁだが麺はやはり細長いのがいい。 ここでもTさんからの差し入れのオムスビ出る。また麺についてでる白飯にかけるふりかけもおいしい。この旅に参加された女性は添乗員のTさんだけでなくふりかけやうめぼしそしてロールのウエットティッシュ等いろいろ準備されており不精なわたしなどは大変助かりました。ありがとう。 ここで子供と写真写そうとすると仲間を連れてきて4名となるVサインをだす仕草は日本と同じ。 15時スタート昨日走ってきた道を川沿いに更に奥にすすむことになる。 時々山すそに鉄道が見える。また川の近くには集団住宅らしきものが廃屋として放置されている。
新彊鉄道建設時の宿舎跡ではないかと思う。その数は多い。 

<第1号氷河。右上のくぼみが道路の通っている峠。この峠が高度4000m.>
 
   16時過ぎ鉄道と分れランドクルーザーは氷河があるという峠へと向かう。 バロンタイでの強い太陽は姿を消し空は黒い雲に覆われ岩山も黒く午前中とは全く違う風景、道路も凸凹。 道幅も狭くなり徐行しないと離合困難。 この道でも時々対向車来る。ところがお互い今にも衝突するのではないかというところまでつっこんでくる。あたるぅ〜と思うギリギリのところでハンドルをきり、かわす。 前を見ていると怖いのでなるべく横を見ている。それにしても毎度毎度よくやるものだ。 空ますます暗くそのあたりの風景も暗い。その中を時々来る対向車をひょい!とカワシしながら登りつづける。道は石ころだらけという感じでランドクルーザーと言えどもスピードは出せない。 やがて右の遥か上の方の峰に人工的に切り込んだようなところが見える。
 今、進んでいる方向とは90度右側だし、メインの谷は車の直進方向なのでまさかあそこはこれから行く峠ではないだろうと勝手に想像する。 ところがその内車は右に曲がりその方向に向かい、ジグザグの大きな石だらけの道を登り続ける。ついさっき通ったところが真下に見える。ガードレールなどというものはない。 路肩崩れたら落ちる谷底まで落ちるだけ。ドライバーのキョウさん余裕の感じで道路の下の方を見ろというゼスチャー。サービスはよいが”よそみしないでぇー”と言いたいが言葉解らない。 解った!解った!ととにかく頭をふる。 ジグザグは続きわれらの仲間の車がつずらおりとなった道の上と下で交差することもある。石をおとすなよ!と祈る。 とにかくそのような思いを30分も続けた頃 まさかと思っていたあの切り込みを通過。 即ち、峠を越える。 峠の高度 4000M 富士山より高い。氷河のある山(テンゲル2峰) は4476mの高さ。
 
 峠を越えると同時に右手に大きな白いもの見える。これが氷河よ。という雰囲気。(少し黒く汚れているところもあるが、これが中国で一号と呼ばれる氷河であるとあとで確認。)雪のようにも見えるが氷河に間違いないとのこと。 30分近く峠を下り、車を止めるスペースのある少し平らなところで写真ストップ。 車外は寒い。当然だ。このあたりでも富士山の頂上ぐらいの高度があるはず。 その上雨もポツポツしてきた。氷雨という感じ。車にもどる。 われらの車止めたすぐ近くに氷河観測所があり、そこに民家や商店もある。 ウルムチからの氷河観光の車はここまで来るようで,観光客と数台の車も見られる。 18時前ここを通過。登ってきた道よりはずっと凸凹は少ない2車線にしてはあまり広くない道をかなりのスピードで時にくる、対向車とは相変わらずあわやっというところでひょいとかわすスリル満点の運転を続けながらはしる。途中で3号車パンク。後続の4,5号車協力し取り替え。 この停車中オジサン一人でラクダ数頭,牛10数頭つれて移動中のキャラバンが追いついてくる。修理待ちのみんながカメラを向けるとオジサン止まってラクダの上でポーズをとってくれる。谷は深い遥か下に川は見えるが非常に遠い。川音聞こえない。 また走り続ける。ガードレールのない絶壁に掘り込んだ狭い平面の道を走る。 このあたり、あまりの絶壁で窓のガラス越しに額が痛いほど押し付けても谷の底を流れているはずの川は見えない。カーブもきついがスピードさほど落とさず走る。 まぁいいかここで谷に落ちたら苦しむことなく”100%死ぬ!”はずという思いもうかぶ。 それにしてもここの景色撮影したかった。しかしカーブ続きのこの道に停車している車は無いことを前提にみんな走っている。撮影のため止めて!とは言えない。 これから行く人はこの渓谷の撮影ポイントないか?(あるはず。)出発前に聞いておくことを勧めます。 20時前に渓谷ぬける。快適なハイウエイ。あのヒョイとかわすスリルともお別れ。 ひたすらウルムチへと走る。
 21時近く,宿泊するホテルのすぐ近くのレストラン。 新疆旅行社(トルスンジャンさん) サービスの北京ダックのついた豪華な夕食。 ついでにビールーー3元と安い。 新疆最後の夕食一人で4本ちかくをあける。幸せ!!。 23時ホテル到着。ドライバーのキョウさんと握手し別れる。
 本日の走行 427キロ。それにしてもあのヒョイとかわすすれ違いはスリル十分過ぎるほどだった。
第13日(8月27日)     戻る 
  本日は午前中 ウルムチ観光 昼食後飛行機で広州に飛び、広州のホテルに宿泊予定。 朝食はホテル 24階の展望レストラン エレヴェーターで24階にあがると制服の美女に左に行くよう指示される。左に進むとヨーロッパスタイルの料理中心のバイキング。 久しぶりでベーコン&エッグとトーストの朝食。しかし、席は360度続いている様子。 フルーツまですませたが更に進んでみる。こちらには(最初入った反対側)中華のバイキングがある。ついでにこちらの焼きソバも食べておく。 おおきなホテルの朝食バイキングでは 洋食と中華の両方がありそれが少しはなれて置かれているケースがある。両方取り混ぜて食したい時は十分歩き回った後に席を決めお皿を取るのがお勧め。
 観光は
  1)ウイグル自治区博物館
  2)紅山公園         の2ヶ所。
 
ウイグル自治区博物館
 正面の大きなモスク風の建物 改装工事中。臨時の入口より入る。博物館の中は博物館のガイドさんが説明。  シルクロード各地から 
出土した 陶磁器,織物、古銭、等々いろいろあるが、やはりミイラが圧巻。 ミイラは4000年〜1000年前のものまで13種展示されている。  NHKのシルクロード取材中に発見された あの有名な”楼蘭の美女 ”も展示されている。 でも発見された時の写真でみた血の気が残っているような感じは減って(自分でかってに持っている)ミイラのイメージに近くなっているようだ。  13種のミイラの説明 聞いたあと”楼蘭の美女”の所にもう一度戻りこの美女の姿をまぶたに焼き付けるべく見つめておく。 説明終わる とガイドさん博物館の中の土産もの売っているところに案内。  みやげ物だけでなく博物館の展示されていたもの?予備品?販売の説明はじめる。 唐の時代のものという玉のブレスレッド ウン万円,300年前の人形(馬と馬上には帽子を被った胡人が乗っている)ウン万円などといっている。  もちろん もっとおおきな金額の張るものも販売可能で別送も可能とのこと。 だれも買った様子ないが、小生あの胡人の乗った人形欲しかったと今でも思っている。  しかし博物館で収集した本物の出土品を販売するのだろうか?ホンマモンかなぁ? ??
紅山公園
  ウルムチ市の案内には必ず出てくる鎮龍塔のある公園。バスで公園の上まで入り駐車場から歩く。中国の人の観光客も多い。彼らもこの塔を背景に記念撮影している。 小生もこの有名な塔の前に立ち 現地の人にシャッター押してもらう。 ここからはウルムチの町一望できる。どんどん新しい高層アパートが建設されている。 肉眼でみることのできるほどの距離の山すそにはまだレンガと土でできた伝統的な住居もたくさん見られる。温度だけで考えれば伝統的な住所ならおそらくクーラー不要であろうにアパートではクーラー必需品になるだろう。クーラー代 電気代 どんどん現金が必要になるだろうウイグルの人達たいへんだろうなぁ。と余分なことを考える。  しかし,今この公園にいる人達はにぎやかであかるい。

13時45分 ホテル発 14時10分 エアポート着
  ここで17日からずうぅっと案内してくれたスルーガイドのトルスンジャンさんとお別れ。  長い長い間ありがとう。あなたのユーモアで随分助かったこともありました。  それにしても日本語の歌お上手でした。まいりました。
どうぞお元気で。また日本人を案内して下さい。
15時30分ウルムチ発 20時00分 広州着。
今日は機中より真っ白に雪を被ったボグダ峰がはっきりと見えました。
 さようなら ウルムチ.さようなら シルクロード。

 広州ホテル着 ホテル内レストランで夕食。
第14日(8月28日)     戻る
東京組 6時20分 ホテル発 広州8時00分発
大阪組 7時40分 ホテル発 広州9時30分発  でそれぞれ帰国。
 
今回の旅では 殆どのところで 昼食や夕食にひとつのテーブルにビールが2本つきました。
ビールを飲む人少なく、いつも半分以上を小生一人でイタダキました。
同行のみなさま すいません。ありがとうございました。
添乗員のTさん、いろいろの日本の食べ物の差し入れ感謝します。レトルトものの準備大変なご苦労だったと思います.新彊鉄道の朝食での”ふりかけ”の味 忘れられません。
ありがとうございました。
                                      
おわり