oohara  page top に戻る        仲間のページ(旅日記)へ

パミール高原  11日間
2003年09月5日〜15日
第8日(9/12)の日記に新情報を追加(2006年)
イスラマバードを出発。断崖絶壁を削って造られたカラコラム・ハイウェイを走り、途中、桃源郷フンザでは2泊。7000m超の峰をいくつも眺め、氷河も訪問。 4733mの国境の峠を越え中国へ入国。 パミール高原を走り、再び4200mの峠を越え、幻の湖 カラクリ湖も訪ね、カシュガルに到る壮大なバスの旅。

                      
< 日または旅程をクリックするとジャンプします>
第1日 9月5日 成田14:00発 (パキスタン航空)PK-853 北京経由 イスラマバード21:05着
                                               イスラマバード泊
 
第2日 9月6日 イスラマバード〜仏教遺跡群 タキシラ〜ペシャワール        ペシャワール泊
第3日 9月7日 ペシャワール〜タフティバイ仏教遺跡〜サイドゥ・シャリフ(スワート渓谷) 
                                             サイドゥ・シャリフ泊
第4日 9月8日  サイドゥ・シャリフ〜シャングラ峠〜ペジャムよりカラコラム・ハイウエイ〜チラス  
                                                    チラス泊
第5日 9月9日  チラス〜ナンガパルバッド遠望〜ギルギット〜カリマバード(フンザ)     
                                                カリマバード泊
第6日 9月10日 カリマバード滞在。四輪駆動車でナガールへ(ホーバル氷河を見学) 
                                                カリマバード泊
第7日 9月11日 カリマバード〜ススト(パキスタン出国)〜クンジェラブ峠〜タシクルガン(中国入国)
                                                タシクルガン泊
第8日 9月12日 タシクルガン〜スバシ峠〜カラクリ湖〜カシュガル           カシュガル泊
第9日 9月13日 カシュガル観光。カシュガル23:55発 CZ9904 ウルムチ01:25着  
                                                  ウルムチ泊
第10日 9月14日 午前ウルムチ観光 ウルムチ15:55発 CZ1902 北京19:25着   
                                                    北京泊
第11日 9月15日 北京08:15発 PK852 成田12:40着

 
第1日(9月5日)
 成田からパキスタン航空でイスラマバードへ。
12時成田集合であり、松山からでも一番の飛行機なら間に合うが、安全策で4日に上京。西船橋の親戚に泊まる。 船橋より京成の特急でスタート。45分程で第2ターミナルに10:50着。 宅配便で送った荷物を受け取るべく3階に上がる。成田空港から出国するのは初めて。3階をきょろきょろしながら歩いていると、大きな荷物をカートに積んで運んでいる添乗員のTさんに会う。
 ”こんにちは!お世話になります。”というと彼女”ちっともお変わりないですね”とにっこり。 彼女も日焼けした健康そのものの顔色で変りないが、それは言わない。荷物受け取って集合場所に行きます。 ということで荷物を受け取り、11時ちょっと過ぎには集合場所へいく。1時間も前だからどうやら小生が一番のよう。 西遊旅行の人もすでに来ており、パキスタンのビザ取得のために送ってあったパスポートとチケット、旅行保険証、参加者名簿等受け取る。参加者15名とのこと。
 パキスタン航空のチェックインは11時30分からとのことだが、すでに数人並んでいる。 Tさんもチェックインするというので彼女の大きい荷物のうしろに小生もスーツケース置く。 この行列の間に彼女に二つ質問。
1)あなたが添乗と判ったのでフリカケの類はもって来なかったけど今年もでるのでしょうね!(彼女いたずらっぽく”今年は忘れました。”と言うが)その顔と荷物の大きさより大丈夫と確信。
2)パキスタンは禁酒の国とのことだが、機内でもアルコールは出ないのですか? (ありません。とのこと。手荷物での機内持込は可能のよう。
チェックイン正確に11時30分に開始。35分には終了。窓際のいい席とれる。(チェックイン後最初の集合場所に戻る。) 今回同行する人何人か集まっている。ここで再集合場所と時刻(12時40分)を聞き,一時解散。
 まず昼食。やはり蕎麦にする。当分ありつけない(はず)の生ビールも呑んでおく。ドル購入(1万円=84$)
本日のレート 1ドル=118.95円。  12時40分再集合。男性6名 女性9名。顔を合わす。 13時 出国。
 出国後 ビール335ml缶 2缶買い、ハイキングの保冷の袋に入れる。 13時35分 搭乗。ちょっと遅れて 14時36分 離陸。窓から下を見る。幕張、皇居の緑、東京ドーム、池袋、新宿の高層ビル(と思われる)風景見える。
 15時 最初の食事出る。主食はチキンのカレー。サラダでビール1缶呑み、カレー食べる。辛さ等味付けに問題なく美味しい。 しばらく曇り。15時25分頃やや大きい島ひとつとすぐ近くにかたまった小さな島4つ見える。隠岐の島か?
 15時55分 雲の間から陸地見える。韓国上空のはず。それからは曇り。
 17時52分 北京着陸。多少の乗り,降りはあるが、イスラマバードまでの人は座席に座ったまま。
 19時15分離陸。 20時40分食事。今度はフィッシュとチキンのチョイスであるが、昼に続いてチキンを選ぶ。
   まぁ昼食と大きな変りなし。成田で買っておいた貴重な缶ビール2缶目(=最後)を呑む。ビールは当分呑めないと思い、
 缶を逆さにし一滴も残さないよう振る。一缶でも気持ち良くなり眠る。22時30分頃添乗員さんに起こされる。”オヤスミ中ですがよろしかったら操縦席に行って見ませんか?”とのこと。なんか良くワカラナイけど”行く!行く!” という感じで隣の席のこのツアー一緒のYさんと共に添乗員さんのあとをついて行く。暗いビジネスクラスの席を通り一番前に行くとなんと操縦席へのドア−が開いていて、添乗員さん”どうぞ”という。おそるおそる操縦席に入る。操縦席には二人の人(パイロットと言うべき)が座って操縦中。
ハミ上空操縦席からの感動の景色
前方180度以上の広がりで上空の空色残照の赤と地上の黒の三色が視界いっぱい層を成している。先方中央には高い山であろうか?黒い尖がりも見える。 ”息をのむ”とはこういう時に言うのではないかと(後で)思う。その瞬間にはただ”おぉ”と口を開けただけだったんじゃぁなかろうか?とにかく意味のある言葉は口にしていない、いやできなかった。右モンゴル。左チャイナ。と操縦席の一人が英語で説明してくれる。写真もOKとのことで前方の絶景と、添乗員さんに(撮りましょうかと言われて)操縦席でのびっくり顔を写してもらう。我々が操縦席に入れてもらったのはハミ上空だと添乗員さんに教えてもらう。彼女の顔?で我々のグループ全員この貴重な経験が出来たようだ。Tさんありがとう。
 下には時々街の灯りが見える。ちょっとしてかなり大きく見えた灯りはウルムチか?。また眠る。 0時30分過ぎ目覚めると飛行機は高度を下げている少しすると、下に広く大きく灯り見えるかなり大きい町のようだ。 ここの近くに着陸するのかと思っていたが灯りを通り過ごしてまだ進みつづける。高度は下げつづけている。 また前方に大きい町見えてくる 今度は着陸のようだ。最初に見えた町はラワルピンディー(のはず。) 1時15分(現地時間21時15分)ほぼ定刻に着陸。荷物出てくるのに少し時間かかったが、厳しいチェックもなく、35分で全員入国完了。2時10分ホテル着。部屋に入るなりミニバー、チェック。やはりアルコールは無い! ノンアルコールビール(330ml缶)65ルピー。 ミネラルウオーター600ml35ルピー。 ホテルで両替。(このホテルは24時間両替可能。) 1ドル=56.5ルピー。 1ルピー=0,46円。 20ルピー札の裏には モヘンジョダロの遺跡が印刷されている。(と添乗員さんから説明ある。)
 ピン札一枚記念に持ち帰る。ホテルの部屋は涼しくクーラー切って眠る。

                              topへ
第2日(9月6日)
     
 本日はガンダーラ最大の仏教遺跡群タキシラを見学した後ペシャワールに行く。(本日より現地時間。日本より4時間遅い。) 7時より朝食 バイキングスタイル。 パンもナンもお粥もある。オーダーしてから目の前の鉄板で焼いてくれる卵料理もある。 目玉焼き食べる。8時05分スタート。20人乗りのマイクロバス2台でスタート。荷物は屋根ではなくバスのうしろの席につむ。 (英語)ガイドのイクバルさんはフンザ出身のハムサムマンだ。彼とTさんが2台のバスを時々乗り換えて説明してくれる。 イスラマバードは1961年着工、63年都市としてスタートした、新しい町であることから説明始まる。しかし,この地の歴史は古く、7000年前の人類の骨がこの地のそこかしこで発見されること。またあのアレキサンダー大王も東方制圧の時この地を訪れている。という。街で目につくのはやはりあのカラフルな装飾を施した車だ。トラックのそれは写真で何回も見ているが、軽トラックの荷台を長くしたような小型車(やはり軽トラックのようだ)もいっちょうまえに装飾を施してある。 これにスズナリに人が乗っている。こちらではスズキと呼ばれ乗合自動車だそうだ。どこのメーカーの車でも全てスズキと呼ばれ、とにかく、たくさんたくさん走りまわっている。バスとは違う”輸送手段スズキ”として独自の位置にあるようだ。 トラックの装飾にかかるお金は5000〜6000US$とのこと。トラック自体もそれくらいで購入できるそうだから、たいへんな金のかけようである。因みにガソリンは31〜34ルピー/g。見かけるガソリンスタンドに価格出ているが均一ではない。8時35分ニコルソンを記念するモニュメントのある所につき見学。ニコルソン(英国人)とは土地の部族を指揮してシク族と戦い”パンジャブの獅子”といわれた英雄とのことだが、浅学の私にはわからない。その丘の下に1545年頃に造られたという石畳の街道が一部残っている。幅4メートルはあろうか、結構広い幅で平らな石が並んでいる。今はこれから放牧にむかう羊の群れがゆっくりのんびり歩んでいる。往時はこの道がラホールからデリーを経て遠くカルカッタまで続いていたそうである。9時タキシラミュージアムに到着。
タキシラの遺跡。正面の丘をアクロポリスに見立てていた
タキシラ一帯での出土品が展示されている。添乗員Tさん非常に詳しく説明してくれる。よく勉強してある。聞けば彼女パキスタンに住んでいたことあるという。(留学なのであろうが自分では”住んでいた 事がある”とおっしゃるのでそう書く。)昨年”パキスタンが専門です。”と言っていたことがはんぱでないこと強く認識する。そう言えばイスラマバード到着後 彼女なにやら解らない言葉もしゃべっているが現地語のようだ。とにかく頼もしい。
 ガンダーラは仏陀の像を最初に創った所と言われていること、その2〜3世紀の仏像はギリシャ風であることなど説明あり。10時ミュージアムスタート。15分足らずでジョーリアンという紀元2世紀に建立されたという仏教遺跡につく。世界遺産になってから作られたという段差の大きい石段を上る。けっこうきつい。メイン・スト−パをはじめスト−パは基壇だけしか残っていないが基壇にいろいろな彫刻が残っている。となりには僧院跡があり周りに僧房が並んでいる修復もされているが石積みは見事である。日本の援助で保存工事しているとのことであるが、小スト−パの基壇の真中に柱を建てる等無神経に屋根が作られていて残念。11時から10分ほどで紀元前2世紀から2世紀までの都市遺跡であるシルカップにいく。近くに学校でもあるのか多くの子供たちが遠巻きにやってくる。素足に履いているサンダルのゴムのかかとがかなり擦り切れている。ゆたかではないようだ。今残っている石積みは紀元30年頃のものとのこと。 メインストリートと言われる広い道の両側に真っ直ぐに石積みが残っている。 多い時にはここに1万人もの人が住んでいたというが今は石積みのある静かな原っぱである。Tさん 双頭の鷲のスト−パ等いろいろ説明してくれているが、説明を聞く人達より離れたところで昔の人達はどこに行ってしまったのかなぁ。と風の中でふと考えた。 なぜか、10年以上前に亡くなった母の面影も浮かんできた。そんなことを感じさせる風景であった。Tさん説明聞かず ごめん!
  鎌を持った二人の男性がメインストリートを下ってきた。鎌を見せてもらい一緒に写真撮っている人もいる。顔はにっこりしているが、姿勢は直立不動というのが印象的。 11時40分より10分ほどでミュージアム前のホテルに戻りホテルのレストランで昼食。昼食前に参加者の自己紹介。 パキスタン2回目、今年1月にはパタゴニヤに行ったという若い女性の(後で聞くとギアナ高地、マチュピチュ、ナスカ<地上絵> にも行ったと言う)すごい旅行経験者もいる。いずれも海外旅行初めてと言う人はいない。 なかでも特筆すべきは1965年にこの地方の未踏峰に遠征(初登頂は出来なかったが−−)、5?年前にも当時の仲間とフンザを中心にジープで走破した経験者のMさんである。2台に別れたバスで幸運にも彼と一緒のバスになり、山の名前をはじめいろいろ教えていただいた。われわれが今いるところの高度(Mさん高度計持参)等勝手な質問にも何度か答えて戴いた。 Mさん本当にありがとうございました。
 密かに期待していたアルコールは無い! ノンアルコールビール245ml(50ルピー)をのむ。名前は”MALT−79”。苦味少なく甘い。缶を良く見るとSugar,Permited Food color added と書いてある。砂糖が加えられているようだ。
インダス川とカブール川の合流点。青色がインダス川


 12時40分昼食終了。ペシャワールへスタート。このあたりの並木はユーカリが多いようだ。 パキスタンは 面積日本の1.4倍 人口1.4億人 。(1990年の統計では)就学率50%以下。識字率 男性47%、女性24%等の説明もある。イスラム教はパキスタン内だけでも72の宗派があるとの説明には中東の複雑さ、大変さを思った。
  ここらあたり道路は舗装されており問題ない。車窓よりテントの集落時々見える。ジプシーの集落とのこと。14時頃 左側に砦のようなアトック城(というそうだ。)の見えるところのインダス川に架かる橋を渡る。 水の色、川のほぼ中央で2色にわかれている。上流から見て 左の青色がインダス川。右の茶色がカブール川の水とのこと。 写真スポットだが橋の上では停車できないとのこと。スピードおとしてくれている間に車窓より撮影。写真ストップはもうすぐとのこと。5分もするとインダス川とカブール川の合流点に着く。ここには広いパーキングエリアやトイレがある。ここでストップ。 交通量の多い片側二車線の広い道路を横切り合流点の良く見える所に行き撮影。ここでインダスが青いのは上流にある大きなダムのせいとのこと。確かにこれから二日後に(ここよりは遥か上流の)ベシャムで出会ったインダス川は灰色であり、それからもずうっと灰色であり続けた。とにかく車で何分間か走るほどの距離以上を混じり合うことなく流れていることになる。
 15時20分 ペシャワールミュージアム。この博物館は敦煌をはじめ中央アジア探検で有名なイギリスの考古学者 スタインがかって館長を務めたこともあるという由緒ある博物館とのこと。仏陀の生涯をテーマ(Life Story of theBUDAHA)に展示されている。 王妃マーヤーの右脇腹から王子ゴータマ・シッダールタが誕生したといういくつかのあのレリーフの他に方々で収集された貴重なレリーフが多数展示されている。Tさん1時間の予定時間いっぱい使いそれを説明する。たいしたものだ。が,小生は途中からズルして単独行動。2階に二つある民族衣装や手工芸品の展示室に行く。片方はだれもいなく照明も消えている。やはり1階の仏陀の生涯がメインのようだ。16時30分ミュージアムを出て すぐ近くのキッサハニバザールへ。400年も前の住家が残っているという狭い迷路のような道路の両脇にたくさん小さないろいろな店が並んでいる。みんなとはぐれたらとても一人では歩けそうにない。ひたすらイクバルさんの後を追う。小生には買い物の余裕はない。狭い道路では小さいロバの牽く荷物をいっぱい積んだ馬車(いやロバ車か)が活躍していること。帽子の製造直売の店が多いことが印象に残った。1時間近く迷路のようなバザール見た後、なぜかモスクの見える屋上のような所に上る。ここでなぜか熱いお茶が出る。お茶を飲みながらモスクのお祈りの混雑終わるのを待つ。
 17時45分マルバット・カーン・モスクへ。靴を脱いで内部見学。このモスクは1674年にインドのタージマハールを造った人の設計で出来たとのこと。18時05分 バスへ5分で本日宿泊のパールコンチネンタルホテルにつく。 ロビーに入ると花のレイをかけてくれる歓迎。”地球の歩き方”によるとこのホテルにはパキスタン 唯一のバーがあり,ビールとウイスキーが呑める!という。呑みたい!という人(僕一人ではない。)アルコール許可書なるもの取得を添乗員さんにたのむ。 が、市長さんが原理主義の人に変り現在はアルコール不許可とのこと。ああぁあ!夕食は20時より。本日はバーベキューとのこと。 それまでに部屋で持参の900mlパック入りの大関を半分弱持参の紙コップで呑む。つまみはこれも持参のヒダラ。うまい!
 入浴も済ませ、いい気持ちで夕食へ。やはり何か飲み物が欲しい。昼とは違うノンアルコールビール缶(105ルピー)でバーベキュー食べる。羊,牛,チキン、等あるが、やはりシシカバブ−がおいしい。日本酒のまわりがよくいい気持ち。 21時過ぎには部屋へ。すぐ寝る。

                               topへ
第3日(9月7日)
 本日はスワ−ト渓谷の中心地サイドシャリフへ。途中タフティバイ等の仏教遺跡を見ることになっている。 昨夜は前日の睡眠時間が短かったうえに、酒の酔いもあり,またエアコンも完璧でよく眠る。5時気持ちよく目覚める。  6時より朝食。早いので料理が完全には揃っていなく食べている間にもあたらしい料理がでてくる。  ここではマンゴウが完熟という感じで、甘くおいしかった。今までマンゴウは方々で食べたが、ここのマンゴウに比べると完熟前のものを食べていたようだ。出発前にホテルの前で記念撮影すべく(私は旅行ではできる限り宿泊したホテルの前に立ち記念写真撮るようにしている。)出てみると襟巻きカラスがいる。日本で見るカラスと同じ形だが、少し小形で首のところに灰色の羽が円形にはえている。きのうTさんから聞いていたが今日は近くで見ることできた。写真撮る前に飛び立ってしまう。残念。
 7時10分 スタート。郊外に出ると並木の向こうに砂糖キビ畑見える。時にお墓見られるがごくシンプルである。トルファンのあたりで見られる大きなお家のようなお墓とは大違い。地域の違いか?宗派の違いか?とにかくシンプルに土を盛り、飾りが少しあるという感じだ。途中、村のそばの広場に小さなメリィーゴーランドがある。移動式で今日はこの村に来ているらしい。 動かす=回転は人力のハズだとのこと。それでもこの辺の子供達には人気があって商売成り立っているのだろう。まれに、畑の隅の方にしゃがみ込んでいる男性を見かける。あの姿勢は殆どがトイレとのこと。パキスタンの男性は外で用をたす時は小もしゃがんでするのだそうだ。8時20分 食堂と雑貨屋のところでトイレ休憩。(これから行くタフティバイの遺跡にはトイレ無いとのことーーー)
仏教遺跡 タフティバイ メインストーパ〜中庭&テラス〜僧院

 やがてバスは人の多い街に入る。タフティバイの街とのこと。ここでイクバルさん大きな黄色いウリ(ハミウリ)を買う。 街の中でバスはメイン道路をはずれ細い道に入り家の建て込んだ狭い坂道を進む。道端の子供。路地からわざわざ出てきた子供。 みんなにこにこしながらバスに手を振ってくれる。9時 村を出てすぐタフティバイ遺跡の駐車場に着く。 遥か上に遺跡らしきレンガの壁や人が見える。”ひゃぁあそこまで行くの”という声も聞こえる。いや、そう叫んだのは私かも。 15分ほどで僧院跡に着く。暑い! この遺跡の管理をしている人と思われる人の案内(Tさんの通訳&解説つき)で見学。  ”タフティバイ”とは”丘の上の泉”という意味。1〜7世紀に建造されたものであること。 かなり離れた中腹にも建造物の跡が見られ、随分大きな僧院だったと想像される。修復もされているが、保存状態もよく、千数百年前の精巧な石積みが見事に残っている。メインスト−パのもっと上からはメインスト−パ〜中庭・テラス〜僧院が一望できる。
  10時10分 駐車場にもどる。手持ちの簡易温度計では36度ある。ここの鉄筋コンクリートの休憩所には冷たい飲み物を売っている人もいる。われわれは先ほど街でイクバルさんが買ったハミウリを戴く。彼はナイフまで用意しており、大きいウリをきれいに切りわけみんなに渡してくれる。冷やした訳でも無いのに,36度天候の中でけっこう冷たい。味も甘くておいしい。10時35分スタート。11時前にガソリンスタンド、バス給油。ついでにトイレも。とにかくTさんか?イクバルさんか? なるべくそれなりのトイレが使えるよう気を使ってくれているのがよくわかる。11時40分ガレガイ(といったと思う)の町通過。 やがて坂道となりマラカンド峠に、12時05分峠のピーク直前の駐車場で写真ストップ。ここには売店もある。 何台かのトラックも止まっている。トラックの運転席を見せてもらい写真写している人も。見せる方も自分の自慢の作品を披露するという感じで何か誇らしげである。峠からは広い緑の平野が見渡せる。やがて売店の前に座っている人のまわりに人だかり。 何事か?と小生も行く。座っている人が燻らしているのは大麻とのこと。このひと陶然としている感じではなくただにこにこ、 (いや、にやにやが正確か)しているだけ。かなり傍に寄ったがあまり臭いは感じなかった。ただ近寄ったのはわれわれのグループだけで現地の人は関心を示していないようだった。20分ほどで峠を下り平地を走る。
シャンカンダ−ル大塔

 13時40分シャルカンダール・ストーパ着。道路にバスを止め、畑の中の小道を3分ほど歩く。このあたりの道路の並木は太くて大きく,よく繁って年代を感じさせる。このスト−パは3〜4世紀に建立されたもので高さ27.5m 直径13mという大きなもの。一部補修されたというが見事な石積みの大きなドームだ。 かっては黄金に輝いていたという。その存在は”大唐西域記”にも記されているとのこと。すぐ近くには民家がある。 昔からポツンとこのスト−パだけがあったのだろうか。まだ周りから何かが出てくるのではないか?と勝手に想像した。
 14時スタート。5分もしないでガーリガイの磨崖仏に着く。みんなバスから降りて、”さぁどっちに行くの?”という感じでTさんの周りに集まるが動く気配ない。と、にこにこして”どなたか気がつくかと思ったのですが。”と自分のうしろの白い岩を指さす。言われて見れば確かに足組みとその上におかれた両手がはっきり残っている。しかもふっくらときれいだ。 しかし、上部は殆ど破壊されている。この磨崖仏は3世紀ごろのもので、3mはあったものだとのこと。 バーミヤンほど巨大でなくても磨崖仏といえば数メートルはあるだろうと勝手に想像し上の方ばかり眺めていて全く気が付かなかったのは私だけではなかったようだ。14時10分スタート。子供たちが凧揚げで遊んでいるのが見られる。 14時30分サイドシャリフの本日宿泊するスワート セレナ ホテル着。このホテルのレストランで昼食。ホテルはコテージ式で部屋は広く,天井も高くがっしりしたものである。プールもあり誰か遊んでいる。15時45分まで部屋で休憩。
 15時50分ホテル発。すぐスワート博物館に着く。この博物館は土足禁止で靴を脱いで見学する。紀元前3000年も前の骨器や土器から、いろいろな仏教彫刻が展示されている。有名(だそうな)な釈迦の足跡と言われる大きな足跡のついた石も展示されている。 カロシュティ文字で”釈迦の足跡”と彫られているとのこと。古くから道端にあったが博物館に収蔵したもので、この仏足跡のことは「大唐西域記」にも記録があるとのこと。見学中に停電となりTさん懐中電灯で照らしながらの説明。停電は短時間で回復。 なかにデジタルカメラ、寸法測定のためのノギス、ノート等を持ち展示品詳細に調査中の学者?さんがいる。彼はCDで目録作成中とのこと。またこの博物館は昨年大雨で壊れ、日本の援助で最近修復したものであること。パキスタンの他の博物館のガラスはよく見るとひずみの入ったもの多いがここのガラスにはそれが全く無いこと等Tさん展示品はもちろんだが、展示品のこと以外にそんな最新情報まで説明してくれる。確かにここのガラスケースはきれいである。16時45分バススタート。5分で駐車場。ぬかるみのある細い道を約5分歩きブトカラ遺跡に。この歩きにくい道を歩く間中子供たちが何かをくれとまとわりついてくる。これにはウンザリだ。
 パキスタンのほかの所でも手を出して近づいて来ることあったがここほどひどいことはなかった。どこかのツアーでよほどいいことがあったのだろうか?あまりのしつこさにイクバルさん怒る(言葉は解らないがーーー)それで一時離れる。遺跡は林の中に大きく円形に穴が空いたような感じのところに多くのレンガの基壇が並んでいる。BUT KARAは仏陀のお墓という意味とのこと。 紀元前3世紀頃に中央の大スト−パ(基底部17m)が造られ、その周りに215もの小スト−パが次々と造られた。拡張は10世紀にいたるまで続き、(現在は林になっているあたりに)僧院や信徒の村もあったという。スト−パを取り巻く回廊には鮮明な青色のタイルの一部が残っている。またスト−パを守護するためという獅子の像も1基は残っており、対をなすとなりの1基は胴体中央からさきが破壊された状態で残っている。中には漆喰を練ったという水入れと浅い箱状の石の遺跡も残っていた。日没近く、この古代の遺跡は林の中に静かに眠っているようだった。帰り林の中で蚊に刺される。ホテルの窓にも網戸があった。この地,蚊が多そう。
 17時30分から約10分でミンゴラのバザール着。1時間自由行動で各自たくさんの人が歩いているバザールに散る。ここのバザールは  湾曲した1キロ以上のメイン通りにところどころ枝状に路地があり、そこにもまた店があるという感じだ。小生はパキスタン音楽のカセットテープ買うべく、メイン道路を30分近くかかり歩いて見るが、CDやテープ売っている店は見つからない。 待ち合わせ場所の所に戻りそこの土産物店に入る、そこにイクバルさんがいる。テープを買いたいが、店を見つけること出来ないと言うと彼”どんな音楽のテープ欲しいか?”という。古い伝統的なパキスタン音楽(と言ったつもり)というと彼はその店の店員らしき人に何か言う。OK.とのこと。その店員さん出ていく。やがて3本のテープを持って戻ってくる。1本100ルピーとのこと。 1本だけ欲しいが問題ないか?イクバルさんに聞いて貰う。彼は買いに行った人に聞くことも無く問題ないと言う。 イクバルさんに1本を選んでもらって100ルピー払う。ここでの買い物では若い男性のFさんパキスタンで日常みんなが着ている服(=民族衣装)をオーダーしたとのこと。ポリエステル/棉の布で400ルピー。本日ホテルまで届けてくれるという。
 18時45分バススタート。あまり店には入っていないようだがとにかく通りは多くの人(殆ど男性)が歩いている。 ホテルへの途中でTさんマンゴー買う。20時より夕食。夕食までに部屋で持参の日本酒をコップで飲む。残り約300mlは持参のスポーツドリンクの空き瓶に移す。これも持参のの蚊取線香をつけた後、食事へ。 本日は屋外でバーベキュー。芝生の庭の片隅に常設のバーベキュー場所がある。  民族楽器の生演奏つき。屋台のように並んだ焼き場所でいろいろな種類の肉を焼いている。やはりシシカバブ−を主体にたべる。 飲み物はノンアルコールビール。(ここでは単にビールという)ここで先ほど買ったマンゴーが出る。真中を切り半分づつ食べる。 種の無い方はスプーンですくって食べる。それほど柔らかい=よく熟している。よく熟したのは端を切り落とし皮をしぼりながら吸い出して食べるのだそうだ。イクバルさん実演してくれる。熟し柿と同じ感じである。甘いが私には(朝ホテルで食べたくらいの)少し歯ごたえのある方がよい。食事中に停電あるもテーブルをはじめいろいろなところに予めロウソクがたっており、全く問題ない。 途中でFさんオーダーした服が届いたと中座。しばらくして出来たての服を着て現れる。全く違和感なくよく似合う。ズボンに当たる方は非常にゆったりしていて快適だとのこと。約800円でオーダーの上下の服が4時間足らずでできる。布もしっかりしているし、 早くて安い、いい買い物だと思う。エアコン使用し眠る。蚊取線香のお陰か蚊の問題はなかった。

                                topへ
第4日(9月8日)
 本日はシャングラ峠を越えベシャムへ。べシャムからカラコルムハイウェイ(K.K.H)をチラスまで走る。 本日より2組のメンバーはそのままでバスを変る。ドライバーはラジャーさん。7時05分スタート。20分でバスはスワ−ト川沿いの避暑リゾート(フィザガット?)に着く。広い川岸のスワ−ト川と緑の平野がきれい。川幅もかなりある。橋は見られず、川の上にワイヤーを渡し4人乗り程度の簡易ケーブルカーが見られる。乗りかごは二つありひとつが対岸に着くともう一つが反対側の岸に着くことになっている。動力は(人力か?)不明。川と平野のみどりのよく見えるところで写真ストップ。 川の中に人と馬がいくつも見える。こちらの方に向かって来る馬は背に袋を積んでいる。砂利とりをしているとのこと。
シャングラ峠(2134m)のちょっと前

 8時前にスワ−ト渓谷のカラームへの道とシャングラ峠への道が分岐しているところ(フワザヘラの町)通過。多くの人がいるが、道路は狭くてがたがた。分岐のところはちょっとした渋滞であった。バスはみどり多い谷をどんどん登っていく。荷物をいっぱい積んだトラックが今にも止まりそうなスピードで登っている。バスはたいしたスピードではないが、トラックを何台も追い越してすすむ。8時45分峠のピーク前の見晴らしの良いところで写真&(青空)トイレストップ。峠のピークは2134mとのことなのでこのあたりも2000m以上。風は涼しく気持ちよい。少し離れたところにはたくさん民家も見える。 日本の棚田と同じカタチの小さい段段畑が遥か下の方まで続いている。畑の間には細いジグザグの道がこれも下の方まで続いている。 ここで収穫したものを運ぶのは大変だろうなぁと考えてしまう。と荷物を背負った背の高いオジサンが来る。私のそばにくると右手を上げて挨拶、こちらは思わず頭を下げて返礼。オジサンまっすぐ前を見てやがて谷の方に下りる細道に入って行った。 動作は速くは見えないがスピードはかなりのものだ。9時スタート、バスはすぐピークに着く。ここにはポリスの検問所がある。 イクバルさんバスから降りていろいろ話ている様子、とにかくバスはすぐには動かない。やがてライフルを持ったポリスさんが前のバス(われわれのバスでない方のバス)に乗る。ふもとの町まで護衛してくれるとのこと。髭をはやし、眼光鋭く、怖い(頼もしいというべきか)護衛さんだ。バスはカーブばっかりの道をゆっくりゆっくり下りる。カーブがきつくてとてもスピードはだせない。道から見える山の斜面に家が見える。畑らしき小さい平らなところも見える。それにしてもすごくきつい傾斜のところで生活しているものだ。9時45分川のほとりの小さい町(アルプーリーと聞いた)に着く。町は小さいが道路にはいっぱいの人がいる。
 ここにポリスボックスあり、護衛のポリスさんバスを降りてポリスボックスに寄って行く。車窓から町の人たちを見ているが、怖い雰囲気だ。今までのように誰かが手を振ってくれるということもなく、笑顔は見られず、時にバスに向ける眼は鋭い。女性のすがたはない。護衛のポリスさんすぐバスにもどりスタート。もし自由行動で町に降りたとしても単独行動の自信はない、そんな感じであった。10時20分小さな町通過。10時53分小さな町で護衛のポリスさん降りる。山中だれもいないところでの強盗警戒のためと勝手に決めて護衛の目的質問しなかった。それにしてもあのポリスさん峠までどのようにして帰るのかなぁ。 とあまり私が心配しなくてもいいことを考えた。11時30分前町が見える。ベシャムの町と(よくは見えないが)インダス川とカラコルムハイウエイだ。11時30分バスはべシャムの町に入るがインダスの下流の方向に走る。どうやら昼食のレストランに行くためのようだ。くだること7分でPTDCのホテルに着く。少し早いが昼食。豪華なパキスタン料理だ。炒飯、焼きそばもどきのヌードルもおいしい。副食の種類も多く、スープもでる。ホテルの庭からインダス川のほとりに下りれるようになっている。 Tさんの話だとインダスの水に手を浸けることができるのは(このツアーでは)ここだけだという。食後さっそく下りてみる。 水量多い、水は黒っぽい灰色、色の素は砂。水温は冷たい。私の温度計で(気温28度)水温13度。川原にはところどころ黒っぽい砂のところがある、砂の粒は非常に小さい。どこまでも沈まないで流れていき、どこまでもこの色が続くのはこのためであろう。
 ここのホテルの売店でパキスタンの地図を買う。日本に留学していたことのあるというマスター”たいした地図ではないですが。” と日本語でいう。Karrakoram Highway GAIDE MAP(約50cm×35cm)1ドルで買う。後でよく見るとだいぶ古いようでアフガニスタンの北はU.S.S,Rであった。バスの中で希望者に頼まれイクバルさんが昨日ミンゴラのバザールで買った塩がいくつか残っているので希望者にはわけてあげますよ。とのこと。一袋買う。20ルピー。100gはある大きな塩の結晶が3こ入っている。
 12時50分出発。空は曇っていて、この旅で初めての雨が降りそう。ベシャムの町の中心と思われるところ人も車も多くのろのろ運転しかできない。鉄砲やピストルを売っている店が見える。普通の商店とならんで入口はオープン。 ガラスケースにピストル。壁に鉄砲がならんで掛かっている。とにかくすぐ手にとれる感じで売られている。
 13時30分谷間にあるドベイルという村で写真ストップ。ここの村を流れる川の水はよく澄んでいてきれいである。 村はずれではあるが子供たちが寄ってきてペットボトルをくれと手をだす。たまたま空いていたのが一本あり、出す。可愛いはだかの幼子を抱いた少女にあげようかと考えていたが、バスの外に出たところで元気のいい少年にとられてしまう。 ”一度あげると次からどんどん集まってくるのでーー”と添乗員のTさんはあまり賛成ではない様子。確かに昨日のブトカラではあまりにシツコイので愉快ではなかった。観光客が安易にものをやるので、子供たちが観光客につきまとうようになってかなしい。 と土地の人も言っているとも聞くと、これからはやめようと思う。それにしてもペットボトルどうするのかと聞くと。10本1ルピーで売れるとのこと。空は暗く、傾斜のきつい岩山の中腹を削って作られた道がより険しく細く見える。対岸にも時々村が見える。そして対岸にもほぼ同じ高さのところに人の歩くであろう道が見える。対岸の道はとぎれとぎれである。川は遥か下で殆どみえないが、どこかにつり橋があってそこから村まで続く道なのであろう。K.K.Hできる前のメイン道路か場所によってはジープなら走れそうなところもあるようだ。
 14時05分K.K.Hより下の渓谷に村の見えるところで写真ストップ。村のゆるい傾斜地のみどりはまわりのきびしい岩の壁と対照的でみずみずしい。バスは左側、岩を削った崖。右側、天然の絶壁という小さいカーブの続く道を走り続ける。 道幅があるのでそんなに怖さは感じない。しかし落ちたら”全員即死間違いなし!”というロケーションだ。しかもこれが長く長く続く。15時 道からインダス川までの絶壁が最も高いというところで写真ストップ。道からインダス川まで400mあるという。道路の横にちょっとした平地があるが、柵はない。
下に見えるインダス川まで標高差400m。
右側中腹に見えるスジがカラコルム・ハイウェイ

ヘッピリ腰でのぞくが真下の水を見ることはできない。少し斜めのところなら見える。高所恐怖症気味の私にはそれでも高度感十分。足がすくむ。鳥肌がたつ。川は泡だっておりかなりの急流のようだが音は聞こえない。そのうえ少し雨も降り出す。岩はより黒く、険しく見える。本日の目的地チラスまではまだ遠い。 対岸の道は消えたり現れたりの繰り返しであるが何回も見える。そして村も時々。道が見えるたびにどこで谷に入っていくのだろう? 村はどこにあるのだろう?と道の運命を思う気持ちで見つめる。中には谷に入ることもなく、また村にたどり着く前に消えてしまう道もある。廃道か?それにしてもあんなところによくぞ延々と道をつけたものだ。ダイナマイトや機械を使った現代のハイウエイは1968年着工。1982年に開通したという。昔の道はつながるまでには気の遠くなるような時間を要したことであろう。 区間によっては親子二代かかってつながったというところもあるだろう。
 15時30分橋を渡る。インダス川は進行右側から左側に変る。16時35分日パ友好橋といわれるつり橋を下に見る。橋の向こうは狭い谷、しかし、谷から流れ出る澄んだ水はけっこう多い。谷は深く人も多く住んでいるのであろう。 K.K.Hはだんだんインダスに近づく。17時10分道路が右に大きくカーブしたところで写真ストップ。インダス川とハイウエイの両方を写すベストポイントとのこと。確かに正面にインダスと道路が平行に走っているのがかなり長く見える。はるか先で谷が曲がり川も道も曲がって見えなくなるが、両側の黒い岩山は一緒になることなくどこまでも谷は続いている。 イクバルさんの配慮であろうが(これから後も)写真ストップ、的確に取ってくれることたいへんうれしい。
 17時45分道路からインダスに少し降りたところのシャーチアールの岩絵を見る。4〜8世紀に描かれたものとのこと。 赤みがかった茶色の大きな岩に白い線で仏像が描かれている。雨はやんでいるがうす暗い。やがて暗くなり景色見えなくなる。 バスの中も沈黙。19時25分 チラスのシャングリラ インダスビューホテルに着く。チラスは暑い!と聞いていたが、今日は暑くない。ロビーでウエルカムドリンクのジュースが出る。部屋に行く前にすぐ食事。パキスタン料理のバイキング。  昨日、瓶に移しておいた大関を食堂で飲みながら食事。やがて部屋へ。部屋は大きい部屋にシンプルにベッドが二つおいてある。 その奥に広い洗面所とバストイレの部屋がくっついている。クーラーはない。天井に大きなファンと外気を取り入れる大きなサイドファンがある。部屋の温度27度、天井ファンだけで十分。床は植物の細い綱を編んだ民芸風なもの、あんどんも素焼きの土器。 電話、クローゼット、冷蔵庫なし。とちょっと趣きのかわったホテルであった。机の上にはロウソクとベープマットが置いてあるが、マットだけなので使えない。蚊が多いのだろうと思い持参の蚊取線香使う。結果的に”蚊”の問題はなかった。

                                topへ
第5日(9月9日)
 本日はチラスをスタートしギルギット経由カリマバード(フンザ)までひたすらK.K.Hを走る予定。途中、運がよければ名峰ナンガパルパット(8126m)を見ることができるところを通る。 5時30分Tさんのドア−ノック&肉声のモーニングコール。室温24度涼しい。(天井ファンは夜中に止める)
  6時より朝食。朝食に行くためにドア−に鍵をかけようとするが、いにしえからある錠前の重く大きいやつ、両手を使って力いっぱいでやっとかかる。テーブルにはTさんの差し入れの梅干が出ているのでお粥をたべる。パキスタン米ではあるが日本食という感じ。 昨日到着した時は暗くて分らなかったが、ホテルのすぐ下はインダス川。川とK.K.Hの間のゆるい傾斜地に平屋が3段に建てられているという造りだ。一番川近くの建物の前は芝生の広い庭になっている。ホテルの前はK.K.Hだが、街という感じではない。 あとで聞くと、チラスの中心はK.K.Hから1kmほど山手に入ったところだそうだ。気になる空模様は曇りだ。山は見えるだろうか? 部屋に冷蔵庫がなかった関係で冷たいミネラルウォーターがない。レストランで冷やしてあるもの買う、1.5L 70ルピー。
カラコルム・ハイウエイの怖い場所。この崖今にも崩れそう

 7時10分スタート。 5分でハイウェイ沿いのチラスの岩絵に着く。5〜6世紀のもの。菩薩。アイべックスを襲う狼。古い文字。 等が描かれている。Tさんの解説によるとここは昔の旅人の休息を兼ねた宿場であったとのこと。難路を越えてやっとたどりついた人々がここで体力を回復し、また難路へと旅立って行った。その間にこれまでの無事に感謝しこれからの無事を祈願したのだろうか。 大唐西域記にもこのあたりがすごい難所であったという記載があるそうだ。Tさん読んでくれる。趣旨は”ギルギットより15日、ダルドの谷は川幅80歩、すごい断崖絶壁である。岩をうがいて道をつくり、はしごをよじ登り、つり橋もある。”と聞き取った。 岩絵よりちょっと離れた高いところに白ペンキで書かれた文字がある。岩絵の存在でも知らせるものかと思ったら、選挙運動の文句とのこと。ようやってくれるで!日本なら逆に票が減るだろうにと思った。
 8時05分地震被災地通過。4月にはこの地震のためにk.k.H 一ヶ月不通になっていたとのこと。崩れた岩石を取り除きなんとか通れるが山側の崖は今にも落ちそうな岩がいくらでも見える。それがまた大きい。大雨でもあったらどうなることか?怖い! ところでk.k.Hの管理は軍隊とのこと、当然修復も軍隊。そういう意味のある重要な道路なのだ。とにかく無事通過。
 8時35分イクバルさん命名のポタラ宮で写真ストップ。対岸の白っぽい岩にたくさんの小さい穴がありこれが窓のように見える。
 9時05分 崖をお湯が流れているところでストップ。温泉とのこと。手をつけてみると熱い!道路脇の水と混ざったところでちょうどよい温度。短時間ながら足湯を楽しんでいる女性もいる。温泉は利用されることもなく道端の排水溝に入り流れているだけもった無いと思うのは日本人だけか?
 9時30分タリチというナンガパルバット(8126m)のビューポイントに着く。バスを降り、さぁどこだ。とみんな構える。 我々が立っているところは雲がきれ日がさしているが、イクバルさんがこちらの方と指差す方は雲しか見えない。道路の向う側に行ってその方向を眺めるがやはり雲ばかり。あのあたりに頂上があるであろう方向をバックに記念撮影。15分も経っただろうか、道路の向こうでイクバルさんが見えた!(そう聞こえた。)と言っている。続いてハリアップ!と言う声も聞こえる。 向こう側に残っていた人たちは歓声とともにカメラをかまえている。急いでそちらにもどる。ところが道路からみんながいるところは1mほどの傾斜がある。一番最後そこを登ろうとした私はけつまずいてこける。カメラをかばって手の甲を少しすりむく。 みんながナンガパルパットの方を向いてシャッターをきっている背後で這いつくばってい無様な姿。我ながら恥ずかしい!
 膝と手が痛いがそんなことを言っている場合ではない。すぐ起き上がりみんなのところに行く。黒く見える近くの山の少し上を見るがそれらしき山は見えない。どこどこ?というと明るいところという。最初に想像していたところより遥か上に雲より白く雪山が見える。はっきり見える稜線の左に高く尖がったピークが雲に巻かれるようにうすく見えた。あれが頂上か? 8000mはやはり随分と上の方だ!と。いまさら納得。雲は絶えず動いていて頂上はすぐに雲の中に隠れる。 でもやったぁ!とにかく魔の山ナンガパルバットを見ることができた。感激!
 10時スタート。バスの中でナンガパルバットの説明がある。1953年の初登頂までに38名もの登山家が遭難死した山で ”魔の山”といわれたこと。Tさんは(初登頂者の)ヘルマン ブールの「8000mの上と下」を読んでおり、登頂のところの記録を説明してくれる。頂上アタックの相棒の不調で単独登攀。8000mでのビバーク。アイゼンを片方無くしての困難な下山。等ーー。
 10時25分ドライビングスクールが見える。教習で走る道は白い石を並べて作ってある。パキスタンでは18歳から免許取得可能とのこと。ここのすぐ近くで給油。青空が広がり日差しは強い。気温は34度まで上がっているが湿度低く日陰は爽やかである。
 10時40分フンザ川とギルギット川の合流点で写真ストップ。合流してインダス川。(ただし、インダスの本流はここより下流で湾曲して右側の谷に入っている。)上流に向かって右フンザ、左ギルギット。そして右遠方はヒマラヤ山脈。中央奥はカラコルム山脈。 左遥かはヒンズークシという位置関係になる場所である。三大山脈ジャンクションポイントともいうようである。 バスはギルギット川沿いに走る。11時47分街に入る。街に入るところには飛行場が見える。イスラマバードとの間に定期便があるとのこと。すぐホテル&レストラン着、昼食。昼食はパキスタン料理。しかし差し入れの赤飯がよく消化されている。 ギルギットは方々に分岐しているところで 民族の交流が多く、言語も五つ使われているとのこと。 当然ながら日本語は含まれておりません。従って今日は言葉六つ。
 13時00分5台の四輪駆動車に分乗しカルガ磨崖仏へ向かう。すこし走り、わき道に入ると狭くデコボコ。四駆に乗り換えたわけ納得。揺られること20分弱、13時25分 磨崖仏の駐車場に着く。村の中の道をほんの少し歩いて磨崖仏見えるところに。 かなり高いところに高さ4〜5mといわれる仏像(立像)が彫ってある。かなり高いところなので仏像のまわりには足場にする梁木を入れた穴が見られる。スタインは7〜8世紀のものと推定しているとのこと。
 14時、市内にもどりギルギット川に架かるつり橋を歩いて渡る。ツアーのサービス。一度はやってみたかった徒歩でのつり橋通過を体験することができた。つり橋を渡ったところでモスクをバックに記念写真。その後歩いてバザールへ。ここではドライ杏を買う。 500g25ルピアの安い方を買う。イクバルさんに見せる。彼は触ってみてこれは安い方という。なぜ? これは硬い。 サンドライは柔らかい。だから高い。乾燥に火を使っているのは硬い。だから安い。とのご詮議。やはり買う前に相談しておくべきだった。どうも子供みたいに知らないところで自分だけで買い物して喜ぶ性格直らないようだ。
 14時45分 イクバルさん勤務の旅行社”WALTJIS”のギルギット オフィースでトイレかりる。 15時過ぎ、バス スタート。ギルギット川を下流へ(午前中来た方向へ)はしる。飛行場のすぐ近くにグランドありクリケットをやっている、自分もクリケットのプレイヤーというFさん臨時にバスを止めてもらいクリケット撮影。バスはすぐに左折する。 正面に雪を被って真っ白な高い山見える。わぁ写真!という声いっせいに起こりバス停車。ラカポシ(7788m)の一部とのこと。 こちらに詳しいMさん”あれはラカポシの頂上ではないですよ。頂上はあの左側のピークの奥のはずです。”とおっしゃる。 それでも随分高く、真っ白でピークも三角に尖がってきれいなので殆どラカポシとして何枚も写真写す。Tさんもここからあんなにきれいに山が見えるのはめずらしいと言う。そんなに好天に恵まれたということだ。ラッキー! 橋を渡りフンザの谷に向かう。
ラカポシすごい!と写したが実はラカポシでなかった山

 16時00分、16時22分と小さな村を通過。16時30分過ぎさっきよりも近くによりはっきり、より白くあのピークが見える。 再び臨時の写真ストップ。ラカポシそのものではないと聞いているが、あまりにきれいなので(ひょっとしてラカポシ見えない時の保険も兼ね)写真写す。バスはフンザへK.K.Hをひたはしる。
  17時15分ラカポシのビューポイントの喫茶&お土産屋さんに着く。ここのテラスからは(本当の)ラカポシが氷河の谷の上に正面に見える。つい1時間前にうぉーと叫んで眺めたあのピークはラカポシの頂上の右遥か下にラカポシの肩の尖がりのように見える。 ここの標高が約2000m、ラカポシが7788m。6000mの標高差をこんなにはっきりみることができる場所は世界でもめずらしいとMさんに教えてもらう。この山に初登頂した早稲田大学隊もここからスタートしたとのこと。 この絶景のテラスでミルクティーのサービスあり。Tさん差し入れのパキスタンビスケットもおいしい。
 17時45分スタート。すぐ橋を渡る。17時53分 ディラン(7273m)よく見えるところで写真ストップ。 ラカポシよりはなだらかだが真っ白で雪はより多いように見える。この山が 北 杜夫の「白きたおやかな峰」に書かれた山だとMさん教えてくれる。6時05分また高い山が少し見える。ウルタルとのことこの山は明日もっと近くではっきり見えるのでストップなく通過。瞬間的に見える山を含めイクバルさんも山の名前いくつも教えてくれる。彼の故郷にだんだん近づいているのだ。
本当のラカポシ(7788m)谷の奥は氷河。上の写真の山はこの写真の右端のピーク

 18時10分頃バスUターンして5分もどる。予定していたエメラルド探しの場所を通過してしまったのでもどるとのこと。 道端で20分以上エメラルド探し。少し赤く少し重い小さな丸い石何個か見つける。お金にはなりそうもないが記念に持って帰る。 だれも宝石は見つけなかった様子。もっとも宝くじも大きいの当たった人は黙っているそうだから我らのツアーでも大玉のエメラルド拾って黙っている人いるかも知れない。いて欲しい!! 18時30分スタート。 18時55分 テラスからの景色が有名なフンザビューホテル着。このあたりはすでにうす暗いが私の部屋のテラスからは夕日に照らされたディランがよく見える。ホテルは4階建て、エレベーターはない。部屋には電話、冷蔵庫なし。TVはある。シャワーはあるがバスタブは無い。超特大のバケツが置いてあり、これで行水するのだとのこと。水もお湯も少し黒く着色。バスで配られたミネラルウオーターをテラスに出しておく。天然クーラーのつもり。急いで200mlの松竹梅のパックを飲み、4階の食堂へ行く。
 19時30分より夕食。明日の予定連絡とともに日の出は5時30分の予定。その時間にテラスと屋上に出ることできるとのこと。 ここではなんと本物の、即ちアルコール入りのビールがあるという。中国からの密輸品のようだ。普通では入手できないものなので、355ml缶が300ルピーと高価!小麦粉1キロ12ルピーという国でですよ。しかし、飲む!飲む!と大喜びする。 私以外にも希望者多い。ビールは中国製。CBRという名前。湖北省−−−公司 出品となっている。アルコール%3.4%以上とある。 よく冷やしてあり美味しいが、やはり味がうすい感じ。でもビールにありつけて満足。食事後、食堂につづく広いテラスで空を見る。 まん丸な月がとても明るい。その右手には火星が赤く輝いている。真上は星だらけ。星を近く感じる。 ここらあたりの標高は約2500m。それもあるが空気が澄んでいることが星を明るく、より近く感じさせる最大の原因であろう。 
  やがて食堂のテーブルを片付けたステージでイクバルさんの踊りが始まる。手を肩に水平にあげ、腕から指先までをゆっくり動かし身体を回転させながらの踊りだ。われわれのツアー以外の多くの宿泊客も見ている。いつのまにか民族楽器の演奏者も来ている。 イクバルさん目を半分瞑ったような感じで踊りに没入している。回転が絶妙である。パキスタン人と思われる人たちが踊っている彼のところにかわるがわる行き、彼の帽子にルピーの紙幣のオヒネリをさしている。それだけ踊りがすばらしいということなのだろう。 一曲終わるとイクバルさんそのオヒネリすべてを楽器演奏者に渡す。つづいて彼は観客の中の顔見知りを手招きしここで踊れ!というジェスチャー。その人登場。イクバルさんに代わって踊る。この人にもオヒネリあるが、イクバルさんよりは少ない感じ。 やがてイクバルさんも踊りだす、そしてみんなも一緒に踊ろうと手招き。われらのツアーの若い女性達も参加。リズム感よく、サマになっている。小生は明日早いので(日の出を見るつもりなので)踊りの途中で引き上げる。若い人の話ではその後参加者も増え、更にもりあがったようだ。
                                    topへ
第6日(9月10日)
  本日はカリマバードにとどまり午前中ジープでホーバル氷河を訪ね、午後は領主の城 バルチット城やバザールを見る予定。
  峰々のモルゲンロートを見るべく5時前に起床。室温20℃と肌寒い。部屋のテラスに出て見ると完全に寒い。よく晴れている。
  ウインドジャケットを着て屋上へあがる。このあたりはまだ暗いのに同じツアーの人たち、われわれのツアーとは別のツアーの人たちたくさんの人々がもう屋上に来て日の出を待っている。雪を被った高い山はすでに明るい。待つこと少しで山には日が当たり少し赤みをさす。
  フンザ川の向こうに、上流側からクンヤンキッシュ(7852m)ゴールデンピーク(7027m)少し離れてディラン、また少し離れてラカポシ。うしろを振り返るとウルタルU峰(7388m)、ウルタルT峰(7329m)少し離れてフンザピーク(6600m)そのすぐ左にレディーフィンガー(6000m)の尖塔が見える。順番に撮影する。標高のわりにはフンザピークが早く真っ白に明るくなる。ラカポシはしばらく赤みを帯びてきれいだ。東の方明るくなるが太陽はまだ山の陰にあり見ることはできない。日光は高い山だけにあたっている。われわれと違うツアーで来た人に聞くとフンザに三泊したが、こんなに山がきれいにたくさん見えるのは今日がはじめてだと言う。今日はそれほどすばらしい天気なのだ。ラッキー! 6時20分部屋へもどる。テラスに出しておいたミネラルウオーターよく冷えていておいしい。15分もすると部屋の外、ずいぶん明るくなったのでもう一度屋上にあがってみる。山は日光で真っ白になってきているが、太陽そのものは見えない。食堂でイクバルさんがお茶を飲んでいるのを見つけ、少し話す。山の名前の確認。彼の故郷はここよりもっと奥(=上流の方)のグルミットというところであること。(昨夜の踊り、人気があったのはこれも一つの理由?)フンザは今もきれいだが春がベストシーズンであること。杏の花が咲き、木々は新緑に包まれ、今黒く見えているすぐ近くの岩山はまだ雪に被われて真っ白であるという。春4月フンザだけを訪ねる旅もいいよ。と言う。 その時にはまた案内するので連絡されたい、後で名刺渡すから。と営業も始まる。まぁそれほどフンザの風景に私が感動している雰囲気が感じられたのだろう。
   7時30分より朝食。なんと本日のお粥はTさんが日本から持ってきたお米を(ホテルで)炊いたものとのこと。やはり日本からのインスタント味噌汁も梅干も出る。日本の米のお粥はネバリが違う。おいしい。お粥をおかわりして食べる。
   8時35分 ジープ5台に分乗しスタート。私は若い男性のKさんと二人で乗る。ホテルから坂をくだりカラコルム・ハイウエイに出てすぐに橋を渡りヒスパー川の流れる谷に入る。舗装などない川沿いの道をはしる。10分ほどで最初の写真タイム。ウルタルがきれいだ。ヒスパー川に架かる橋を渡ると坂になり道も狭くなる。ところどころに村がある。9時10分病院のあるところを通過。9時15分ナガール村で写真ストップ。道端の木陰に子供たち集まっている。中には一頭のヤギの綱を持って座っている子もいる。カメラを向けると女の子二人は逃げてしまう。男の子6人、女の子2人、ヤギ1頭。の中に入りシャッター押してもらう。道のすぐ下に濃い緑の葉っぱの大きい草がある。これが大麻だという。葉っぱ2,3枚をとっても何もオトガメない雰囲気。ジープの運転手さん2,3枚ちぎって見せる。すぐ近くでこの葉っぱを見ても臭いもなんにも感じない。触ってみたら?というふうに葉っぱを持った手を出してくれるが、臭いを嗅ぐだけで触らない。葉っぱはすぐに畑に捨てられてしまった。大麻はこの村から氷河に行く間の畑で何回も見た。きれいに並んで生えているところも多いので自然のものではなく植えられてつくられているようだ。時に怖い道もある、崖くずれのあとのようでまだ草も木もいっぽんもはえていない落差100m以上はある中腹にとにかくジープが走れる平面を作ったという感じ。路肩が崩れたら遥か下の川まで引っかかるものは何もない。ひたすら前方を見つめる。(山手を見ると今にも落ちそうな石がたくさんありこれまた怖い。)
ホーバル氷河とその奥の山

 10時15分 ホーバル村通過、この村には学校も病院もある。村をぬけ、すぐのところのお土産屋兼喫茶店の庭という感じのところに駐車場がある。杏の植えられた畑の横の小道を通り、氷河の見える丘(=展望台)に行く。木には杏がまだなっている。イクバルさん何個かもぎ取り近くにいる人にくれる。小生も1個もらい食べる。けっこう甘い。糖分多いのか指がベトベトする。道端の小川で手を洗う。水は冷たい。Mさんの高度計はこのあたり約2800mを示しているとのこと。丘の遥か下のところに砂利に覆われたような氷河が見える。砂利の中に白く尖がった氷が見え、砂利の下は氷であることがわかる。谷の奥の方はまだ白い氷が谷を埋めている。その奥は真っ白な雪と氷の壁になっている。よく晴れて真っ白な壁はキラキラと輝いている。このホーバル氷河の源の山はキャバリー山と聞いた。(が自信はない。なにせ7000m以下の山には名前はないというところなので。)その左にはゴールデンピークがこれまた真っ白に光っている。どこからか一人の青年が近づきこちらにもっとよいポイントがあると連れて行ってくれる。ホーバル村がきれいに見える。
押しかけガイド君とホーバル村とウルタルU
その遥かむこうはウルタルUのピークがきれいな細い台形に見える。私以外の何人かにも子供や青年が近づき宝石(エメラルド?)を勧めたり、ガイドやったりしている(ようだ。)ホーバル村とウルタルをバックにシャッター押してもらう。おれも写してくれというので、ホーバル村をバックに一枚。もっと丘のさきの方には別の山がきれいに見える所があると誘う。丁度声の届くところにTさん見えたので集合時間聞くと”もうそろそろですよ。”とのことで引き返す。彼もついてくる。どこからか弟か?子分か?小学校高学年という感じの体格の子が来て宝石を買ってくれと丸い黒味がかったのや、水晶の上にグリーンの石がくっついたのや手のひらにのせて見せる。押しかけガイドのお兄さんも買えと勧める。フンザの石として記念にするつもりで値段はいえないほどのもの買う。帰りかけると”You!トモダチ。プリーズ、ワンダラー。というが石を示し”フィニッシュ”と言って渡さなかった。それでも最後はバーイ!という感じで別れる。石購入で納得してくれたのであろう。と勝手に解釈。今、写真を見てもホーバル村とその遥か先にウルタルUが中央にある風景はすばらしい。
 11時05分駐車場の隣りのお土産店&喫茶店で地鶏(放し飼い鶏)のゆで卵つきのミルクティーのサービス。卵は塩あじがついておりおいしい。
 11時30分駐車場発。途中休憩1回だけと、下りということもあり、1時間でフンザ川にかかる橋のすぐ近くのガニッシュ村にもどる。続いてガニッシュ村の見学。この村はフンザの入口に位置し、1200年の歴史があるフンザで最も古い村である。対岸に住むナガール族(先ほどまで訪問していた地域に住む)とは100年近く前まで長い間絶縁状態にあり、しばしば略奪があったのでその最前線として村全体が壁に囲まれている。現在も入口には厚い板の扉があり、内側からカンヌキがかかるようになっている。現在残っているのは500年前の建物を修復したもので観光客に見せているとのことで、ガイドがついて案内してくれる。ここには現在25家族が現実に生活している。入口の近くに黒い旗がある。シーアの印だとTさん教えてくれる。見張り台。400年前のモスクの跡。公衆浴場跡。石の下のバター貯蔵庫(雪解け水の流れる小川のすぐ近くの1mほどの穴の中湿った土に埋めるようにしてバターを保存、温度低いのでバターは10年でも保存可能とのこと。)等見る。見張り台の上からは村全体が見える。新しく増築しているところもある。洗濯ものも干してある。13時30分ガニッシュ村発、すぐホテルにもどり昼食。昼食は何種類かのパキスタン料理の副食とぱらぱらのご飯&ナンが基本。朝の日本米のお粥が美味しかったので残っていないか聞くと”ある”というこれを暖めてもらって食べる。差し入れにはカブのべったら漬が出ており、ご丁寧にキッコウマンの小瓶もついている。醤油を十分つけて漬物をいただく。やはり日本の味はいいなぁと思う。
  14時50分ホテル発。バルチット城へ。ジープ5分、坂道を徒歩10分で着く。フンザは1974年まではフンザ王国であり、国王がいた。この城は1945年まで実際に使用されていたとのこと。その後空家になっていたが、1989年財団に寄贈されその後6年かけて修復し、歴史的なお城&博物館としてオープンしたものであるとのこと。かってはこの北方地域には八つ以上の王国があったとのこと。フンザ、ナガールはその中の二つ。お城の中は英語のガイドさんが案内。Tさん通訳兼解説。ここの見学ではテラスからの眺望がすばらしい。フンザの王様が見たであろう景色とあまり違わない景色を良く晴れた今日見ることができることに感激。みどりの中のフンザの村。その下のフンザ川の流れ。そしてその向うに白く輝くラカポシの峰。目を左に移すとV字型に切れ込んだ谷間のところどころにみどりが見えその奥に高く、白くディランが聳えている。この景色は100年前とそう変らないのではないかと確信。今日、平和なこの地で青空の下、ここに立っている自分を幸せに思う。テラスでガイドさんとツーショットで記念撮影。16時20分見学終了。徒歩で
バルティット・フォートのテラスからの渓谷とディラン

バザールのある通りにもどる。ここの日陰に三人のお年寄りが座っている。元気そうではあるが、顔の皺の深さから相当なお歳に見える。Tさん(パキスタンの言葉で)歳を聞いてくれる。82,3歳とのこと。100歳トリオかと思ったがそうではなかったようだ。フンザも最近は人の出入りが多くストレスもたまること。砂糖が安価で手に入り易くなり、砂糖の摂取量が増えたことなどで長寿者減ってきているそうだ。
バザールで1時間の自由行動。ここのバザールはバルチット城への道の商店街という感じ。坂道の両側にいろいろな店が並ぶが1Km足らずの長さ。ウインドウショッピングが苦手な小生、杏の種の中の実の入った(高級)干し杏買っただけで、とにかく通りに並ぶ店をかなりこまめに覗いて歩いたつもりだがジープの待つところには30分でついてしまう。もちろん誰も戻っていない。もう一度途中まで引き返すがそれでも10分足らずでもどってしまう。ジープの運転手さん通りの横の道に連れて行ってくれ、ウルタルへの登山ルート二つあること説明してくれる。ジープで走る道のところどころに日の丸の小さな建て看板がある。これは日本大使がカリマバードにきて日本の援助でカリマバードに水道を作ることを申し出てこの工事がすすめられていることの表示とのこと。現在のオープン水路が配管での給水になるようだ。カリマバードには1991年にウルタルUに登頂中に遭難死した長谷川 恒男さんのメモリアルスクールもある。イクバルさんによるとこのスクールがフンザのベストスクールとのこと。なんか日本人としてうれしい気持ち。17時40分にはホテルにもどる。
 19時30分の食事までに残っていた200mlの松竹梅空ける。夕食ではやはりあの高い中国ビール1缶飲む。明日はいよいよクンジェラブ峠を越え中国へ行く。早朝6時出発のため21時50分就寝。夜中2時過ぎ便意を催し目がさめる。トイレへ。下痢だ。最も高いところを走る前になんということだ。去年タクラマカン沙漠に行く時に友人のY.H 医師にたのんでもらっていた腹痛の薬、去年全然使わなかったので今回そのまま持ってきていたものを(腹痛くはないが)飲んでおく。

                                               topへ
第7日(9月11日)
 本日はパキスタンと中国の国境のクンジェラブ峠を越え中国側の国境の町タシクルガンまでの10時間以上のバスの旅。
 4時30分起床。下痢気味ではあるが腹の調子はまぁまぁ。6時05分スタート。ホテルの部屋の電灯がまだ明るく見える程の明るさ。
 本日も好天。フンザピークにはもう日がさしている。10分ほどでカリマバードにあるもう一つのフォート、アルチット・フォートの良く見えるところで写真ストップ。アルチット・フォートはフンザに対するナガールの城塞であったとのこと。こちらからは絶対近づけない絶壁の上に(四角な見張り台であったという)建物が残っている。そこからすぐ岩絵のあるところに着く。2世紀ごろに描かれたというアイベックス等がある。7時02分シシカット村通過。このあたりからはバスの前方にぎざぎざに尖がった岩山見える。良く晴れて真っ青な青空にギザギザに尖がった茶色の岩のピークがよく映える。この迫力はやはりここに来ないとわからない。私の貧弱な言葉や写真では伝えることが出来ない。今はピークに雪はないが、ヨーロッパアルプスよりは遥かに高い山であること。岩山はヨーロッパの人は好きでここから見える山にも登山に来るとイクバルさん説明。7時10分過ぎにグルミット着。イクバルさん知り合いのここのホテルでトイレ&写真休憩。ホテルの庭にはいろいろな花が咲いている。ここからは雪をかむったグルミットタワーがきれいだ。7時30分スタート。10分ほど走ったところで道路のすぐ近くに氷の見える氷河(グルキー?氷河)を見る。今は9月、氷河の氷の間からたくさんの水が音をたてて流れている。
グルミットからの岩峰

8時20分パス−村を少し過ぎたパス−(7478m)のよく見えるところで写真ストップ。右側奥にはシスパーレ(7611m)の尖がったピークも見える。広い谷の奥から続いているという氷河はここで見ると大きな石を含む砂の下、ところどころ草が生えてみどりが見えるところもある。この砂,というより小石の集まりの下は全て氷よ。と説明してもらわねば氷河とは判らない。このあたりで標高2800mとのこと。カリマバードからここまでははあまり大きな坂はなく、まだ峠は遠し。という感じだ。よく晴れた太陽の日差し。そしてすばらしい青空。空気は澄んで爽やか。遠く高い山は純白。すぐ近くこそみどりの殆ど無い砂利と岩の世界であるが高い山の雰囲気。時間があればここでしばらく寝転んで空を眺めていたい気持ちだ。9時過ぎ橋を渡り少しすると広いみどりの平地が見え、村がある。それから20分ほどで広い道の両側に家と車の並ぶやや埃っぽい町に着く。ここがパキスタンの出国(中国から来る
7000m峰 左:パスー(7478m)
右奥の小さく尖がった峰:シスパーレ(7611m)
場合は入国)手続きをするスストの町。道路にあるゲート近くのPTDCのホテルに入り休憩。ミルクティのサービス。日差し強く、ひなたでは30度Cある。30分休憩しすこし戻ったところにある出国オフィースに徒歩で行く。本日は全員パスポートと本人の顔を照合するとのこと。書類も一枚あった(と思う)がTさんが記入してくれたもの各自 自分のものをもらいパスポートにはさんで出す。出入国オフィースはコンクリートの壁の建物で屋根はプラスチックの波板。カウンターがあり、中に二人の人が座っていて手続きをしている。われらは"WEL PAKISUTAN"とコンクリートの壁に白ペンキで書いてある方に並ぶ。(カウンターには"FOREIGNER COUNTER"と書いてある。その下にはなぜかイクバルさん勤務の旅行社のマークも書いてある。)何も聞かれることなく出国の印押してくれる。BAS CHECKPOST SUST の文字が6行の文字の4行目に入っている。イクバルさんやドライバーのラフィーさんは役人と顔なじみのようでにこやかに談笑している。われわれがイスラマバードから乗ってきたバスはここまでで、ここでバス乗り換えとのこと。今度乗るバスも今までと同じ形式(20人乗り)だがここからはバス1台に全員が乗る。その関係で荷物は屋根に積む。各自自分の荷物が屋根に積まれること確認する。パキスタンではここから中国のタシクルガンまで行くことができるライセンスを持っているのは”PTDC”と、我々がお世話になった旅行社=WALJISの2社だけとのこと。バスのフロントガラスにSUSTとタシクルガン(実際の文字は中国文字だったと思う)往復の矢印のついたステッカーが貼ってある。6日間お世話になったイクバルさん。ラフィーさん。ラジャーさんとここで手を振って別れる。バスに乗る前イクバルさんに聞くと、彼らは今日中にチラスまで帰りチラスに一泊。次の日にはイスラマバードまで帰るという。
 我々が6日間かけて走ったところを二日で帰るのだ。随分ハードな旅だ。”お気をつけて!”と言いたいが言葉わからない。”オォ ベリーハード!”とだけ言う。イクバルさん私の言葉に合わせ、”ロング ドライブ”と言う。さようなら。あの崖の怖い、怖い道を本当に気をつけて 無事帰ってください。
 出国手続き、荷物積み込み30分で終了。10時25分いよいよ中国へ向け出発。今度のドライバーは黒いヒゲいっぱいある”アリーさん”。ガイドは無し。スストの町を出るまでにチェックポイント 二ヶ所ありバスは2回止まる。少し走ると道路工事中。工事といっても道路にある土砂をブルトーザーで除去中でまぁ整備中といったほうが近い。バスの通れる幅を作るのに10分かかる。48分ミスガルへの別れ。左の谷に入って行くとクンジェラブ峠とは別の中国への古い峠があるという。すぐにまた同じような工事にあたる。ここでもまた約10分待つ。1回目では気がつかなかったが、ここの責任者?(ブルのオペレーターではない人)軍服を着ている。現場を通過する時に手を振るとこの軍人さんもにこやかに手を振ってくれる。こんなに工事の所が多いと随分時間かかるだろうと心配。しかしその後は工事なく順調にはしる。 11時25分ここから国立公園という標識のあるところ通過.11時30分過ぎに国立公園維持料徴収所に着く。道路に遮断機がありバスはその前で停車。左側の建物の中の人が料金徴収(私は見てはいないが)。いくらであったか聞くの忘れた。すぐ近くを流れている川の水はよく澄んでいる。Mさんのチェックだとこのあたり標高3300mとのこと。それを聞くとちょっと息苦しい感じもする。
 11時55分柳の木のある平らな川岸でPTDCのホテルで作ったランチボックスの昼食。パン、チキン、サラダ等々のボックスだが、Tさん差し入れの釜飯がつく。これをメインに戴く。ススト出てから1時間30分他の車殆ど見かけない。(タシクルガンの近くの村まで対向車を数えてみたが<手帳の正の字は三個>15台であった。殆どが中国の大型トラックであった。国境を越えての交通はあまり多くないようだ。スストとタシクルガンの間には定期バスもあるとのことだが、この日バスを見かけた記憶はない。12時35分スタート。13時ごろヤクとヤギを見かける。人はみえないがこのあたりまで遊牧のひとは入っているのだろう。このあたりから坂きつくなる。高度4000mとのこと、富士山より高い。荷物を積んだ中国のトラックが2台連なり黒いガスを出しながらあえぎながらのぼっている。追い越す。谷間の川がはるか下に白くみえる。中国のトラック3台止まっている。1台が修理中。アイベックス見たいとみんな目を凝らすが見つからない。Tさんによると高いところが悪天候ならこのあたりまでおりてくることあるが、今日は好天なのでおそらくこのあたりでは見えないだろうとのこと。このあたり坂道。カーブを繰り返しどんどん高度をかせぐ。そのうち誰かがマーモットみつける。両手を揃えて立ち上がり周りをキョロキョロ見回している。日は差しているが、白い雲だいぶでてきた。谷がひらけて平らになるとすぐにクンジェラブ峠だ!13時50分到着。まずパキスタン側のチェックポイント通過。200mたらずで写真で何回も見たあの白い縦長の四角い標識のところに着く。
クンジェラブ峠。うしろは中国領
ここでバス停車。全員揃っての記念撮影。そして思い思いに写真写す。いや写してもらう。(=自分の姿を入れてシャッター押してもらう)私は中国側をバックに。パキスタン側をバックに。そして両方にまたがった(つもり)の。と。そばにいる人に頼んで写してもらう。頼まれて他の人のカメラを受け取るため、しゃがんでいた姿勢から急に立ち上がると”たちくらみ”という状態になる。頭を少したれてクラクラ状態からの回復を待つ。日が差していて風もないのでウールの冬シャツとベストで寒くはない。(ドライバーのアリーさんはしっかりとセーターをきているが。)
 この峠の標高については今回のツアーの旅行社(=(株)西遊旅行)の紹介では4733mとのことだが、いろいろな数字がある。
 1)NHK シルクロード(第7巻)では4943m 2)宮本 輝著 ”ひとたびはポプラに臥す”では中国説 5072m パキスタン説4976m と会話で紹介してある。 3)パキスタンで買った地図では4934m。Tさんには”お宅の数字が一番低いよ。旅行のパンフレットとしては一番低い数字を使うことはないんじゃないの。”という。”Tさん帰ったら言っときます。”と応じる。どの数字が正しいかは今も(私には)不明。
 国境の標識についてもう少し付け加えると、標識の高さは普通の人の身長の1.5倍位の高さ。道路の両側に建っている。中国側に面した方には中国の(軍隊?)のマーク。その下に漢字で中国、その下に数字の7、その下(中国側から見て右側)(1)その下1986.と書いてある。左側は(2)以外は同じ。その裏のパキスタン側は一番上のマークがこれもパキスタンの軍隊のマーク?。その下にパキスタン語(ウルドゥー語?)の文字。その下にPAKISTAN。そして数字の7、(1)、1986。と書いてある。この標識から数十mの両国側にそれぞれ二重の鉄条網がある、チェックポイントのある道路以外からは国境越えられないようにしてある。ここから見ると両国方向とも谷は広く道路は平らにS字状にはしっている。写真タイム20分。14時10分スタート。標識を通り過ぎてすぐバスは右側にライン変える。車パキスタンは左側、中国は右側通行なのだ。すぐ中国のチェックポイント。まず若い軍服の人がバスを止め、運転手&Tさんと話す。この人がオフィースに入ると続いてこの人の上司とともに出てきて肩章に星の多い方の人がTさんと話し、Tさんみんなのパスポートを集め提出。パスポートとバスの中の人数照合しチェックポイント通過。途中で停止しないではしるように言われたとのこと。途中マーモット何回も見える。(放牧?)のラクダも見える。30分ほどで放牧の羊も見られる。ここまで来るとみどりも多くきれい。15時10分 左側の谷はミスガルからの峠につながるというところ通過。15時25分みどりの多い平地のところで(チェックポイントの軍人さんにはナイショで)写真&トイレストップ。ここらあたりでは中国の方が観光には冷淡である。やがて広い平野になりところどころ村が見える。16時10分(中国時間では19時10分)タシクルガンの入国審査所に着く。柵の向うに迎えのバスが来ていて柵越しにTさん(顔見知りの)出迎えの中国のガイドさんに手を振っている。バスの屋根から下ろした荷物を各自持ち、Tさんの書いてくれた入国カードとパスポートを準備しゲートにならぶ。前に日本人でない人たち(パキスタン人?)ならんでいる。この人たち質問や荷物検査に時間かかる。ここでは全員あのSARSの時にやっていた器具で体温測定をやる。パスポートチェックも今までのところより念入りで時間かかる。全員がここを通過するのに1時間かかる。17時15分バススタート。ガイドは趙さん。ドライバーはメメティーさん。7分でパミール賓館に着く。ホテルは2階建て。バスタブはあるがお湯は少し濁っている。水の出ない部屋もあるようだ。TV、電話なし。二階のスタッフはなぜか幼児をつれたオバサン。私の部屋の窓、ロックのかかりよくない。今の季節は差し支えないが、冬は寒いと思う。トイレにいきしゃがんでみるが、下痢はすっかりなおっている。さすがわが友の名医の薬はよく効くと感謝する。
 18時より夕食。中華料理。8人のテーブルにビール2本ついているが追加でもう1本飲む。北京燕京ビール 5元。やはり酒の飲めるところはいい!とひとり満足。レストランには日本のもう一つのツアーの人たちもいる。こちらは26名のツアーで明日クンジェラブ峠を越えパキスタンに行くとのこと。ここは標高3200m。人口32000人の町とのことだが窓から見る限り夜は人通りはない感じ。車の音も聞こえない。とにかく静か。中国時間23時、厚い布団のベットに眠る。

                                            topへ
第8日(9月12日)
 本日は4200mのスバシ峠を越え、カラクリ湖を見てカシュガルまで中パ公路をはしるバスの旅。
 7時15分目を覚ますがまだ暗い。昨日までの時間では4時15分ということなので、当然ということなのだ。8時ごろやっと明るくなる。8時15分Tさんのノックと肉声によるモーニングコール。Tさんトイレットペーパー不足していませんか?とたくさんのあたらしいのを持っている。ここのトイレットペーパーは新品が、直径4cmほどの芯の上に紙は1cmほどしか巻いてない。しかも幅も日本のそれの70%ほどと狭い。ということで腹の調子でも悪い人は不足する可能性があるのだ。いや大変な心遣い!ありがとう。(小生は不足していなかったが?)やはり紙がそれだけ貴重品なのだろう。8時30分ごろホテルの中の道を掃除している人をゲートの外まで連れてきて、ホテルのゲートをバックに写真とってもらう。通りは何人かの人が町の中心(と思われる)へ、向かって歩いている。人通りは少ない。その向うに見える岩山の上には白いまん丸の月が残っている。クンジェラブ峠を越えた時と同じ服装でいるが、今朝はすこし寒さを感じる。8時45分から朝食。腹の調子はすっかり治っているが、お粥の方を食べる。われわれが石頭城へ行くべく集まっている時、今日クンジェラブ峠を越えるもうひとつのツアーの人たちも集まっている、中に空気枕の大きいのを抱えている人がいる。峠より低いところの空気で膨らましたもので、酸素の代用品とのこと。4733mはたいへんなところなのだ。昨日峠で飲んだミネラルウオーターのポリの瓶、タシクルガンの近くではつぶれていた。フタを開けると音がして元の形にもどった。4700mと3200mではそれだけ気圧に差があるのだ。
 9時55分 徒歩で石頭城へ向かう。5分で入口に到着。石ゴロゴロの道らしき所をゆっくりゆっくり歩き10分近くかかって城であったところの最高点に着く。丘の上に高いレンガの城壁を築いたもので内城と外城があり、外城の壁の長さは3600mあったとのこと。この城は出土品より漢の時代から清の時代まで使われていたという。今、われわれの眼前にあるのは何列もある土の壁だけである。本日も好天。この高いところからはまっしろに雪を被ったムスターグアタ(7546m)がよく見える。また町の通りを突き進んだ先は湿原であり、遠くまでみどりが続きみどりの中に小さく家がみえる。そしてさらに小さく放牧のヤクや羊たちが見える。10時45分入ったところとは別のところ(=出口)に下りる。バスが待っている。10時50分ホテルにもどり11時05分ホテル発。バスは20人乗りのマイクロバス1台。荷物は4駆の別の車に積む。石頭城と反対の方向にちょっと行くと商店がならんでいるところがある。そこで本日配るミネラルウオーターを買いにTさんと趙さんが下りる。窓から見ているとバスの近くの雑貨屋らしきところに入るが水は置いてないようだ。2,30m行ったところの店に入るがここにもないようだ。店のひとに尋ねたのであろう、店の人が出て来てさらに遠くを指さしている。二人はとうとう走り出す。”無理しないでよ。ここはまだ、3200mの高地ですよ。日本ではここより高いところは富士山しかないんですよ。”と心の中で言う。見えなくなっていた二人が箱をかついだ男性とともにもどっててきた。どうやら水は手に入ったようだ。やはりTさん息をはずませている。箱を積んでバススタート。タシクルガンは人口32000人、その80%以上はタジク人。気温は最高36度、最低−39度、と差が大きく、平均は1.7度とのこと。(やはり高地なので平均気温は低い。)家畜は5〜9月は山で放牧、いまだんだん家へもどりつつある。等の説明がある。車窓からの風景は遠くにうっすらと雪を被った名もない山、その下から長く長く続く草も木もないなだらかな石と砂の原野。ところどころみどりのかたまりのあるところには村が見える。12時20分高度4000mのところで写真ストップ。遠くムスターグアタとコングール(7595m)が青空の中に白い峰をはっきりと見せている。
スバシ峠からの景色。左下に見える道のズゥット先にカラクリ湖
がある。左10km先はタジキスタン

 12時50分スバシ峠着。写真ストップ。標高4200m息苦しさは感じない。ここからは進行右側やや後方にムスターグアタとコングールが先程よりより近く、より大きくみえる。ムスターグアタの絶壁の下に長い氷河も見える。進行左側10km向うはタジキスタンだという。進行正面遥か下は広い平野であり、そのほぼ中央にこれから走る道路が細く見えている。平野にはみどりのところもあり家も見える。ここからあの平野までの標高差は600mもあるとのこと。それにしてもこの峠の風景はすばらしい。バスで15分ほどかかり先程見えていた平野に着く。上で想像していたよりもはるかに広く草原が広がり家畜も多く放牧されている。ここでも写真ストップ。このあたりはキリギス人が多いとのこと。放牧の家畜はヤクが多い。写真好きな人には堪らないポイントなのであろう。ヤクと草原と白い峰をうまく収めるべく道路から遠いところまで行って撮影している人が多い。
スバシ峠からのムスターグアタ(右)7546mと
コングール(7595m) 中央は氷河
13時25分スタート。10分足らずで遠くに青くカラクリ湖見える。13時40分何軒か家のあるところで写真ストップ。家畜を近くにカラクリ湖が入る撮影ポイントはここしかないとのこと。近くの家からオジサンが羊の骨で作った羊のカタチをした彫り物や丸い石を持って売りにくる。それから女性一人と、(日本人ではない)男性2人のバックパッカーも出てくる。彼女は東京の人で日本を出て4ヶ月半。イスタンブールをスタートしここまで旅をして来たとのこと。昨晩はあそこに宿泊しましたとすぐ近くの民家を指差す。日焼けして健康そうな爽やかな感じのお嬢さんだ。同行の長老のAさん”このツアーには東京の人もいますよ。何か家族にお伝えしましょうか?”というがなにもない様子。これからスバシ峠の方に向かう感じ。聞かなかったが車もオートバイもみかけなかった。歩くのだろうか?タシクルガンまででも何日かかかるだろうに。すばらしい行動力だと羨ましく思う。


2006年再びカラクリ湖を訪れました。その後の本(週刊朝日の「シルクロード紀行」)や友人からの情報で気になっていたコングール峰の位置、姿を現地ガイドさんにも尋ね確認してきました。2003年9月パミール高原の「第8日」(9月12日)の写真の説明ーー「スバシ峠からのムスターグ アタ(右)とコングール、中央は氷河」−−は誤りでこの写真はムスターグ アタだけでコングールは写っていませんでした。コングール峰はカラクリ湖をはさんで南側にありました。あらためて2006年の写真をつけ加えます。
2006年にちょっとだけ姿を見せてくれたコングール峰
2006年カラクリ湖にいる時にはムスターグ アタは雲の中でした
でもカラクリ湖を離れてかなり経ってから振り返るとムスターグ アタが姿を見せてくれました。 バスの最後尾の席へ移動しての執念の写真です

13時55分、カラクリ湖畔のホテルに着く。ここのレストランで昼食。おかず8品、スープ、ご飯、パン、各テーブルにビール2本つきの豪華な昼食。高地のためか、暑くないためかビールを飲む人少ない。小生ひとりで1本とちょっといただく。ウルムチ市で製造したウースーというビールだ。別のテーブルで趙さんやドライバーのみなさん食事中。この中に昨夜の夕食の時から気になっていた女性がいて小生と目が合うと(いや思わず見つめたかも)軽く会釈してくれる。食事後趙さんに質問(何を聞きに行ったか憶えていないのだが、彼女に近づくほうが主目的?)に行った時にその彼女が日本語で挨拶してくれる。彼女はタシクルガンで出会った別のツアーのガイドであったこと、タシクルガンでガイドの仕事が終わりわれわれの荷物を積んだ車でカシュガルへもどるところだとのこと。ビール!ビール!とはしゃぐおじさんで昨日から印象に残っていたのかなぁ。彼女も昨日からいっしょだったこと知っていたとも言っていた。あと何をしゃべったかなぁ?でもあの時はわれわれのガイドの趙さんとよりも彼女とたくさん会話したことだけは確かだ。ホテルの前からカラクリ湖の水辺までの広場には屋台のようなみやげ物屋が何軒かならんで商売している。台の上に出ている商品はほんの僅か。台の下が倉庫と言う感じでそこからいろいろ出して来る。羊の骨の彫り物10$を値切る。8$と言うが買わないという。いくらなら買う?とこちらに希望値を聞く。4$というとOKとのこと。で購入。(これから後も”いくらなら買う?”と聞かれ三分の一ぐらいを言えばまず売らないだろうと思い、言ってみるとOKとのことでついつい買ってしまったこと2回あり。あんまり簡単にOKされると最初の値段はなんだったのよう!となんか損した感じになるのは私だけだろうか。)カラクリ湖の水に手をつけて見るが岸辺近くのためか痛いというほどの冷たさではない。水は澄んでおり、よく晴れた青空を映して青く、場所によっては日光を反射しきらきらと輝いている。湖のむこう(はしってきた方向)にコングールが白く、大きく、高く見えている。その反対方向には名まえはわからない(ない?)山が遠くに白い峰を連ねてきれいだ。スタート前にホテルの裏の方にある公共厠に行く。まぁきれいだし、臭いも苦になるほどではない。ただ落としたモノがたまっているところが湖の方に向いてオープンになっている。ここからすごい風が入ってくる。今までの経験でちゃんと風下にむかってイタスが、風の方が強く液体は目的地に着地することなくほとんど飛ばされて周りにかかってしまう。ごめんなさい。(でもすぐ乾いて痕跡をとどめてはいないと思うがーーー)15時スタート。荷物を積んだ車もわれわれの前をほぼ同時にスタート。見ると5人乗っていて彼女は後ろの席の中央に男性にはさまれて窮屈そうに座っている。あれで1日中旅するのはたいへんだろうなぁと同情。出発してすぐ道路の左側(カラクリ湖は右側)に黒っぽく見える小さい湖がある。これが小カラクリ湖とのこと。15時40分左側に真っ白い砂が山を被いつつあるというところで写真ストップ。ブルンクルン湖とのこと。
カシュガルへの途中のブルンクルン湖。
白い砂丘の風景はすごい
とにかく砂が白い。その砂が山の下の方は完全に被い尽くし砂丘という感じであり、それから上は黒い岩山に白ペンキを吹き付けつつあるという情況で低いピークはてっぺんまで白くなっている。砂は雪まではいかないがとにかく白い。岸辺のみどり、水の青、その遥か向こうの巨大な白い砂丘。その上の黒い岩山。今日が好天だから特別なのかもしれない。しかし、カラクリ湖と同じように観光スポットとしてもっともっと知られてよいところだと思う。それほどすばらしい景色だ。風も爽やかだ。今は雪解け水がたまって湖になっているが、季節によっては干上がって湖底の砂が風に飛ばされてこんな景色になったのであろう。その季節の厳しさは沙漠の砂嵐という感じなのであろう。このあたりの道路は補修されたばかりですばらしいアスファルト道路だ。バスは狭い谷間に入りガイズ川沿いの怖い道をはしる。途中川の対岸にキャラバンサライ(隊商宿)跡が見える。広い緑地とそれを囲む塀が残っている、塀には出入り口であったであろう丸い建物も見える。
 16時35分 ガイズ検査場。バスを降りて一人ずつパスポート持ってチェックを受けて検査場を通る。全員が通過するのに5分。このあたりより谷は広くなり道路も平ら。
 17時15分赤い岩肌の山が広い川(水は少ないが石の川原が広い。)の両側に続くところで写真ストップ。カシュガルの火焔山というのだそうだ。
カシュガルの火焔山。この色の山が長く続く
有名なトルファンの火焔山より赤いと思う。ただ暑さがないので火焔のイメージがトルファンほどではない。それにしてもその赤さ。遠くまで続く大きさ。広さ。はすごい。その広大さはバスで10分ほどかかるくらいのところでもう一度写真ストップしたことからも想像して欲しい。18時30分ごろ広大な平地に入る。村をいくつも通過する。ポプラの並木のある道もはしる。19時10分キジル川渡る。水は赤茶色。キジルとは赤いという意味だとのこと。この川の水はいつもこんな色なのであろう。カシュガルだ。カシュガルは年間降雨量26mm。標高1260m。人口30万。75%ウイグル。24%漢人。と趙さん説明。民族の十字路と言われるワリには人種構成シンプルだと思う。19時20分銀行前で停車。趙さん銀行に入り確認、まだ両替可能とのことで希望者両替。(タシクルガンでは両替できない。)1万円 700元。去年よりレートよい。円の対ドルレートが影響しているようだ。
 19時50分本日宿泊のチニバーク賓館に到着。(私にとっては昨年と同じホテル。ただし今年は新館に宿泊。)21時より夕食。ビールはカラクリ湖で出たのと同じ”ウースー”温度が高く(ビールのクーラーには入れてあるが設定12度)美味くない。ビールは5元。趙さんに冷たいのを持ってくるようにたのむが追加で頼んだのも冷え不足。瓶入りだがウースーのDraftビールあるというので飲んでみる。500ml 10元と値段は倍以上するが同じクーラーの場所違いのところに入っていたので期待したがやはり温度低くない。で、味もそんなに違わない。やはりビールは温度だ。カウンターのところにワイン置いてあり、そこに行って冷やしたワインないか?と聞くが冷やしたのは無いという。Tさんに聞くと明日も夕食はここだとのこと。カウンターの女性に明日の夕食に特別に冷やしたビール8本準備するようにたのむ。メモに6度Cと大きく書いて渡す。了解した様子。8本とはテーブルにつく2本×2テーブルの4本と追加で飲むであろう4本である。今予約すれば明日夕食後ここで舞踊団の踊りが見られるが、どうしましょうか?とTさんみんなに聞く。600元なので全員が見れば一人40元という計算。殆どの人が希望し予約することにする。22時10分夕食終わり。冷たいワイン飲みたくてロビーにあるバーに行ってみるが暗い。フロントで聞くとクローズしたとのこと。去年泊った旧館に行ってみるがこちらも店閉まっている。ホテルの前の通りに出てみるとすぐ近くにお酒の店がある。ワインもあるが冷やしたのはないという。
 諦めてホテルにもどり寝る。

                                        topへ
第9日(9月13日)
 本日はカシュガル市内観光。ホテルで夕食、民族舞踊見た後23時55分発の飛行機でウルムチへ。
カシュガル旧市街の道。
この道が行き止まりなのかどこかに抜けているのかわからない

 今日は夜の出発までに十分時間があるので朝もゆっくり。ホテル出発は11時。朝食もそれまでに済ませばよい。それでも7時45分起床。ホテルの窓からはカシュガルの古い住まいが見える。レンガを積んだ2階建ての長方形の建物がならんでいる。8時40分には昨日の夕食場所とは違う1階のレストランへ。日本人もいくらか見かけるがとにかくいろいろな人がたくさん食事中。宿泊客以外の人も来ているようだ。広いレストランがほぼ満席。カシュガルには何回か来ているMさんは午前中の観光は辞退、散髪にいってみるとのこと。小生も去年行ったところだが寝ているわけにもいかず、みんなと出かけることにする。朝食後荷物整理。みんなの荷物をまとめてフロントに預けた後、11時20分ホテル出発。まず、職人街へ。10分足らずで職人街入口に着く。楽器の製造直売店で三弦(だったと思う)の楽器を買った人も。私は銅細工の店で孔雀を彫りこんだ飾り皿を買う。(これもいくらなら買う?という交渉でこちらの言い値になったので買わざるを得ない。)途中ナンを焼いている店に寄る。だれか(Tさん?)が焼きたての大きなナンを1枚買う。みんなで町を歩きながら少しずつちぎって食べる。焼きたての熱いのは柔らかく美味しい。けっこう塩味がきいている。職人街を抜けたところのエティガールモスク正面の広場が工事中のため職人街も途中で横道に入るように曲がっている。この関係か去年より家具店が少ないようだ。店舗を持たない露天の方はこのわき道にしっかり店を出している。骨董品?の古本店何軒かある。毛沢東語録の赤い本たくさんある。その隣りに孫文の顔が描かれた表紙の本もならんでいる。中には日本の家庭の食堂にあったようなスチールパイプの古いいすを並べて売っている店もある。近くを歩いていたMさん店先のそのいすに座ってみたりしている。彼女にこにこして歩いていたのでちょっとしたイタズラかと思い、小生は気にしないで進む。去年とは違う脇の(モスクへの)入口でみんなの集合を待つがMさんだけ来ない。趙さんとTさんが引き返し捜す。小生中古の家具店の所でいすに座った彼女を見かけたことを話す。結局 彼女は貧血で気分悪くなり、家具屋のいすで休んだ後広場のバスに行ったこと判る。ごめんなさい!気分が悪くなっていすに座ったなどということには全然気がつきませんで無視してしまいました。12時40分〜今年も靴を脱いでエテイガールモスク見学。去年より見学者少ない。われらを含め3組がガイドの説明を聞きながら見学している。脇の入口からバスの止まっている広場にでる。去年あった2階建ての建物すべて壊され現在は地下の基礎工事中。ホーバル氷河に行くときに同じジープに乗ったKさんを誘いモスクの正面の門のところに行きお互いに記念写真を撮る。去年のように混雑していなく、扉を閉じた正門をバックに自分ひとりだけしかいない写真を写す。去年の混雑からすると信じられないシーンである。13時20分モスク発ホテルへ。5分でホテル着即昼食。昼食は1895年〜1960年までイギリス領事館であった建物の中のレストランでたべる。レストランのこの部屋は古くは領事の執務室であったとのこと。日本の大谷探検隊もこの部屋にイギリス領事を訪ねたはず。とTさん説明してくれる。天井の高いがっしりした建物である。建物の歴史に圧倒されたのか何を食べたのか食事のことはよく思いだせないが基本的には中華料理。午後の観光へ出発まで時間あるのでこの歴史ある建物の中でしばらくダベリング。小生旧館のロビーで中国の緊急電話案内を見かける。
 119:火警 110:盗警 120:急救 122:交通事故 日本によく似ているが、交通事故専用のナンバーがあるのだ。それだけ事故が多いということなのだろう。15時35分 午後の観光に出かける。香妃墓に行く途中人民公園でちょっとストップ。中国に二つしか残っていないという、毛沢東の像を見る。高さ18m(基壇:12m+像6m)、これは毛さんの誕生日12月26日に因るものだと趙さん説明してくれる。途中ポプラ並木が続く道路のところでもちょっと写真ストップ。16時 香妃墓着。香妃墓の建物や中のお墓は(当然のことだが)去年と何も変らない。が、今年はこの建物を撮影するベストポイントのところに民族衣装を着たきれいなお嬢さんがいる。有料で一緒に写真写すということである。また有料貸し衣装もある。われらのツアーでも男女ひとりづつここの衣装着て(ツーショットで)記念撮影した人もいる。よく似合うようにさっと着付けしてくれる。トルファンのカレーズでも一昨年はなかったが去年は民俗衣装の女性が有料で一緒に写真に入ってくれる商売が出来ていた。カシュガルにも伝わったということなのだろう。廟のとなりのヤスタクモスクも見学し17時出発。10分でバザールに着く。1時間30分自由行動。ここのバザールの本来の建物は工事中とのことで仮店舗で営業中。広い道路を三つに仕切り二本の通路を作り、その通路の両側に店がならんでいる。長さはぶらぶら歩いていたら20分以上かかるだろうと思う。更にその外側にも店の出ているところもある。直角に交わる道路にも店が並んでいる。ここでは縦じまのウイグルの民族衣装に使われている布を買う。(服にするのではなくただ部屋にぶら下げて飾りにしている。買った本人だけが悦にいっているが家族にはあまり感動与えないようだ。)この布も絹100%のものを買おうとして四〜五軒はあたってみたが無い。絹100%のもの貴重品のようだ。小生は絹20%入りで妥協する。2m:80元を50元まで値切る。くるみの実300g20元を200g10元で買う。 干しブドウ100g 1元これは値切らないで300g買う。ウイグルの歌(のはず)のカセットテープ、25元を20元で買う。15元と言ってみたがこれはあまり値切れなかった。これらの交渉、布だけは趙さんに会話頼んだ(ガイドさんは値段交渉はしない。)が、あとは一部筆談、殆どはは電卓にお互い数字を打ち込んで交渉する。18時40分バザールスタート。すぐ近くの旧市街の町が残っているところにいく。石畳の狭い道(古い道は車は入れない幅。)がクネクネと曲がって家の間を縫っている。家の入口に”文明家庭”という表札のようなものが貼ってある家が何軒もある。なに?と聞くと”模範家庭”という意味だという。この狭い通りに土産物屋もある。19時10分民家訪問。部屋に座りお茶とナンやビスケット等のおやつをいただく。この家の少女が踊りを披露してくれる。19時40分発 すぐホテルに着く。20時より夕食。カウンターにいる昨日の女性にわれらのテーブルを指差しスペシャルビールという。彼女了解。出てきたビールはよく冷えている。他の人も美味しいという。銘柄は昨日と同じ”ウースー”であるが、温度でこんなにも違うのだ。
4本追加で飲む。どうもスペシャルは正確に8本で終わった雰囲気。そう感じたので飲むこと終了。ここの食堂の奥の方のテーブルを片付けて踊りの場所をつくる。21時30分ギリギリに楽団セットできあがりスタート。司会&歌手(女性)1名 楽団4名。踊り手 男性4名 女性8名。ウイグルの民族舞踊だ。女性は踊りが変ると衣装もかえる。ここの舞台は即席なので更衣するところも奥の一角を屏風で囲っただけ。この屏風のハシッコは踊り子の出入りのために人ひとりが通れるほど開けてある。私はたまたま舞台をやや円形に囲むかたちでつくられた客席の中央から少し外れたところに座った。その場所から真っ直ぐ前を見ると踊り子の出入りのために開けられたところが正面になる。着替える人の位置によってはその下着姿が自然に(ほんとですぞ!)目に入ってしまう。ウイグルの女性はいろ白いんだなぁと実感する。トルファンではある日本の歌のサービスはここではなかった。22時20分踊り終了。ちょっとの間踊り子とのツーショット(それ以外でもよいのだがーー)の時間も作ってくれる。今私のアルバムに美女と野獣の日本版というのが残っている。
民族舞踊。右二人の間に見える衝立の中で衣装を変える。
左端が少し開いている

 23時05分ホテル発。15分でエアポート着。現地の旅行社でチェックイン済み。パスポートチェック、機内持込のX線検査を受けた後0時ジャスト機内へ、飛行場の一角が明るい。丸い大きな明るい月だ。0時20分離陸。飛行中もかなりの間右方向に月が見える。1時50分ウルムチ着陸。2時20分バススタート。荷物は別の車で運ぶ。2時50分ホテル着。部屋へ。普通は部屋に入るとすぐにくる荷物が来ない。10分ほど待っても来ないので先に風呂に入る。風呂から出て廊下チェックするも荷物は届いた様子はない。Tさんの部屋に電話するが電話には誰も出ない。心配になりロビーに下りてみる。エレヴェーター降りてすぐのところで東京から参加のTさんに会う。”荷物でしょう。”と彼女いう。”あなたも?”と聞くとみんななんです。とのこと。半分以上の人がロビーまで降りてきている。趙さんが携帯で連絡している。どうも荷物を積んだ車に(エンジン?)トラブルがあった様子。Tさんも趙さんと話したり表に出てみたりとたいへん。外は地面がひかっている。雨が降っていて風は冷たい。結局、が届いたのは4時、荷物ロビーまで来ていた人は自分で荷物持って部屋へ引き上げる。いやぁみなさんご苦労さまでした。


                                                                       topへ
第10日(9月14日)
 本日はウルムチ博物館見学後、ホテルで昼食。15時55分発の飛行機で北京に行く。
 昨夜遅かったのでモーニングコール10時。観光へのスタート11時30分と配慮したスケジュールになっている。しかし、小生は(歳のためか?)8時15分には起床。8時50分朝食へ。朝食は26階の回転レストランでのバイキング。エレヴェーターの中の広告によるとここの朝食バイキングは60元とのこと。中国の物価からすると高いと思う。去年は中華とヨーロピアンの2種類の料理が出ていたが円形なので食事終わるころに中華もあることに気がついた。今年はその失敗を繰り返さないように最初に一巡して見る。しかし、今年は料理をいれる容器が半分カラである。今年は(今日は)中華だけだ。お客さんも去年よりはずっと少ない。去年は8月27日で最盛期。今年は半月ずれているのでそのためか?あるいは今年は欧米の観光客少ないためなのか?不明。去年に比較すると欧米の人非常に少ないし、中国の人も少ない。
 11時40分ホテル発でウルムチ博物館へ、10分で着く。博物館は今年もまだ工事中。完成は2005年の予定とのこと。博物館の中の案内、たまたま去年と同じ男前の若い人。ここの目玉はなんといってもミイラ。なかでも4000年前の楼蘭の美女がナンバーワン。一番最初にこのミイラの説明がある。今年はこの説明を聞いた後はひとりで勝手に見て回る。楼蘭美人:生前の身長 157cm。金髪。目は藍色。血液型はO 型。死亡推定年齢 45歳。1980年発見。麻の布のきもの、その下は毛つきの皮の衣服。頭には鳥の羽を飾った帽子を被り、牛皮の靴を履いている。靴にはまだ牛の毛が残っている。ほかを回っては引き返し5回も6回も見る。
 説明は12時35分終わり、例によって販売コーナーへ。去年興味のあった胡人が馬に乗った小さな焼き物黙って探すが見当たらない。売れたのだろう。無いとなると去年買わなかったことが後悔される。でもどこかにあるかどうかをわざわざ聞いてみるほどの勇気もない。
 13時スタートホテルへ。15分足らずで着く。雨が降っている。すぐにホテル1階のレストランで食事。広いレストランがいっぱい。混んでいる。副食13品、スープ、フルーツ、ご飯、パンもついている。もちろんビールも。ビールは新疆ビール、温度もハオ!追加は10元。豪華な昼食であった。14時30分ホテル発。20分でエアポート着。15時05分チェックイン完了。待合室へ。中国では機内にアルコール持込み禁止とTさん何回も言っていたが、ここの待合室にはいろいろなお酒売っている。注意コロッと忘れ楼蘭ワイン(70元)を買う。Tさん袋に入ったそれをぶら下げているのを見て、ここからはチェックがないから大丈夫なのかしら?売っていることだし。と頭をひねっている。まぁあまり刺激しないように機内持込のかばんの中にしまう。16時17分離陸。最初は曇っている。16時35分頃右遠くに雪を被った山脈みえる。そのうち下はゴビ、黒っぽい草も木もない風景。時にオアシス見える。そのうちウトウトする。思えば昨夜は4時間足らずしか眠っていないのだ。時々目覚めて下を見るが随分長い間沙漠地帯が続く。
 それにしてもよく頑張ったものだ。いや好きなんだろうなぁ。考えてみると9月6日イスラマバードを出て車の中ではきょろきょろしていて全然眠っていないのではないかと思う。自分としては眠ったこと憶えていない。
 19時20分北京着陸。20時荷物受け取り。20時12分バススタート。ガイドはベテラン(=主婦という感じ)のチョウさん(漢字は薫の下の点点がない字)。ホテルへ。ホテルには10分ちょっとで到着。あす朝早い飛行機に乗るのでなるべく飛行場に近いホテルをとってあるのだ。ホテルは多くの大きな木々に囲まれ森の中にあるという感じで静か。すぐに食事。ビールは”燕京ビール”追加は22元。やはり北京は高い。昨日は5元だったのに。それでも飲む。
 ここでは1年前から捜していた”一葉茶”をチョウさんに聞いてみる。チョウさん一葉茶を知っている。ホテルの中にお茶屋さんあるといって連れて行ってくれる。一葉茶あるという。値段を聞くと小さな缶に一杯 80元とのこと。チョウさん町で買うより高い!と言ってくれる。が、明日は飛行場直行。飛行場に一葉茶売っているかどうか判らない。とにかく買うことにして値段交渉。こういう時ガイドさんは値段交渉しないのがツアーの常識。で、交渉する。店員の彼女150元からスタート120元までは負けてくれる100元を主張すると彼女は責任者に相談するという。恰幅のいい責任者出てくる。110元でどうですか?それより安くは出来ません。と日本語でいう。結局110元で買う。缶に詰めるとき重量計ってから入れる。缶に入れ終わったところでフタをしようとする彼女にもう少し入れるようジェスチャーで要求。彼女不機嫌な顔だが一つまみ(5%ぐらいのサービス?)いれてくれる。一葉茶は何の葉っぱか知らないのだけれど一昨年北京で買った。その時の宣伝文句は、お猿さんでなければ行くことが出来ないような断崖絶壁にある木の葉でなかなか採ることが出来ないこと。ちょっと苦いがストレス解消。利尿効果による新陳代謝促進。に効果あるとのことだった。確かに冷やして飲むと飲みやすく、利尿効果もあった。昨年広州で捜したがなかったので今度の北京では是非買おうと思っていたもの。目的達成!(帰国後飲んでいるが今度買ったのはよく縒ってあり楊枝のように細いがお湯の中では大きな一枚の葉っぱにもどる。高級品だと思う。もちろん苦味もほどよくいい買い物だったと満足。)
 買いたかった一葉茶、買うことができ満足。ウルムチで買った”楼蘭ワイン”破損防止のためスポーツソックスの中にいれてスーツケースに入れて荷造り完了。あすは日本だ。11時40分就寝。

                                 topへ
第11日(9月15日)
 北京8時15分発 日本へ(成田へ)
 4時35分起床。5時30分より朝食。早いので料理全部は揃っていない。食べている間にも出てくる。その都度ガメツク取りに行く。6時08分ホテル発。今日は荷物もバスに積む。10分でエアポート着。ガイドのチョウさんの話だと2008年の北京オリンピックまでに今の北京空港4倍に増築すると政府発表あったとのこと。今でも十分大きいと思うが今の4倍といったら想像もつかない。

 6時55分機内持込荷物検査&出国手続き完了。検疫カードも提出。出国後も免税店いろいろある。ブランド物の店が多い。上海のように通路まで店は出しているような事は無く、規制がちゃんと効いている感じ。随分歩いて一番隅の方の搭乗口に行く。昨夜イスラマバードを飛びたった(はず)のパキスタン航空機はすでに駐機している。7時30分搭乗、8時15分離陸。8時55分には朝食でる。時計1時間すすめ日本時間に合わせる。パキスタン航空すごい美人のスチュワーデスさんいる。美人というより私には”菩薩”という感じ。
パキスタン航空のスチュワーデスさん。私にとっては”菩薩”
勇気(ですぞ!)をだしてビジネスクラスの前=コックピットの手前まで行って責任者と思われるクルー(男性)にスチュワーデスさんの写真写してもいいか聞く。彼、OKと言う。その上、たまたま戻って来た彼女とツーショットで撮れとシャッター押してくれる。(プリントしたのに写っているのはこれ以上ニヤケルことはできないという感じのダラーッとしたオジサンの顔と、ジュースののったお盆をもったままそれでもお付き合いで(男の方に)顔をむけてくれた美人であった。)それにしてもきれいだったなぁ。12時22分着陸。55分入国完了。
Tさんはじめ、一緒に旅をした殆どの人に挨拶し別れる。皆さんと一緒で楽しかったです。ありがとうございました。
 特にMさん。いろいろ教えていただいてありがとうございました。Fさん。地球の歩き方とパキスタンの地図たびたび見せていただいてありがとうございました。訪ねたところの確認にずいぶん使わせていただきました。そして添乗のTさんフンザのお粥はじめいろいろ心遣い本当にありがとう。

 この旅日記をご覧になったみなさん。間違いや誤解があったら教えて下さい。よろしくお願いします。
                              −−−−−−おわりーーーーー


                                topへ
ご覧いただきありがとうございました

oohara  page top に戻る        仲間のページ(旅日記)へ