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インドシナ半島3カ国周遊クメール紀行  8日間
2003年02月09日〜16日

昨年 ラオスで一緒だった海外旅行経験豊富な女性に「お奨めですよ。」と、教えてもらった”アンコールワット”に乾季に行くべく秋口からツアーパンフレット調査。日本旅行のツアーに参加し連れて行ってもらった。

      旅程            
< それぞれの日をクリックするとジャンプします>
第1日 2月9日 関西空港 18:50発 JL727 バンコク 22:55着 バンコク泊
第2日 2月10日 バンコク市内観光とアユタヤ遺跡観光。  バンコク泊
第3日 2月11日 バンコク 07:10発(PG934)シェムリアップ 8:10着
    午前 アンコール・トム 午後 アンコール・ワット  シェムリアップ泊
第4日 2月12日 アンコール・ワットの日の出。シェムリアップ地区のその他の遺跡。
      シェムリアップ泊

第5日 2月13日 トンレサップ湖観光後 14:40発 ホーチミンへ 16:00着 
  ホーチミン泊
第6日 2月14日 ホーチミン市内観光&クチトンネル観光        ホーチミン泊
第7日 2月15日 ミトのメコン川クルーズ後 ショッピング。 23:45発 JL740
第8日 2月16日 6:30関西空港着

 
第一日(2月9日)

 四国 愛媛を11時出発。16時前に関西空港に着く。宅急便で送っておいたスーツケースを受け取った後に16時20分 日本旅行の団体受付カウンターへ行く。すでに受付中。 ここで関西空港施設使用料2650円とカンボジャ(15$)とベトナム(12$)の空港税を支払い航空券受け取る。 関空の施設使用料は”券”発行は止めチケットに含まれるよう変更になった由。 17時再集合。添乗員の美人のNさん手作り(と思われる)メモを受け取り説明をうける。 イラストによる今回のツアーの概略。服装についての注意をはじめ、時差。通貨。チップ。切手。Tel。電圧。水。等々要領よくまとめてある。その上 こんにちは。さようなら。ありがとう。はい/いいえ等タイ、クメール、ベトナムの3カ国語でドウ言うかまで書いてある。またタイ入国カードの記載見本ももらう。親切である。入国カード、やはり見本がある方が助かるのは私だけではないようだ。
 搭乗の42番ゲートに18時20分 集合で一時解散。今回のツアーは26名の団体。私の今までに参加したツアーでは最大の人数。( 因みに最も少なかったのは1996年に行った桂林で、われわれ夫婦 2人だけだった。 二人に現地ガイドさんとドライバーつきで豪華な気分であった。) この間にタイバーツに両替。本日のレート3.28円/バーツ。(USドル 123.35円)  18時50分 定刻に離陸。 バンコク着もほぼ定刻。 23時35分全員の荷物受け取り完了。 タイのガイドのデイーさんの案内でホテルへ。 夜中の0時30分ホテル着。 「 明日のご予定について」というメモを渡しての説明あり。 26人にもなると内心連絡不十分を心配していたが、お決まりのモーニングコールや朝食、集合時間のほか日本への電話の掛け方、テレビのチャンネルまで細く記入してありこれなら大丈夫と安心する。


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第二日(2月10日)

 朝食6時からやってるというレストランに6時30分に行く。 2連泊するので朝食券二枚渡されていたうちの1枚を持ち入口で手渡すと今日のチケットではないと言われて入れない。 見るとちゃんと日付けが入っている。 11日のを持ってきていた。
 仕方なく11階の部屋まで取りに行ってくる。 失敗!失敗! われわれのグループの人何人か食事中。 われわれとは別の日本人グループすでにほぼ食事終了。 いろいろなところ観光のためか早い出発のようだ。 朝食は中華と洋食のバイキング。
 8時集合前にホテルをバックに写真撮影。 シャッターはホテルの玄関の車誘導のお兄さんに頼む。 さすがタイ、朝の8時前なのに熱くて汗がでる。 8時スタート。 本日は午前中にエメラルド寺院&王宮、暁の寺、涅槃仏寺院 午後 アユタヤ と回る予定。
 8時バス ホテルスタート。通りに食堂多い。 ガイドさんの説明によるとタイでは殆どが共稼ぎのため90%は外食とのこと。 朝食30〜50バーツ。子供には学校に食堂がある。等説明あり。 車多いが渋滞はなく30分もかからずにワットプラケオ(エメラルド寺院)に着く。入場券売り場の近くは大きなバスで混雑。 どこの国の人か、とにかくアジアの人の団体多い。

 1)エメラルド寺院&王宮。
 正確には四方を長さ1900mの壁に囲まれた敷地の中に国王の宮殿、即位式の建物、宮内庁、王室守護寺院のエメラルド仏寺院がある。ということでエメラルド寺院が独立してそこにあったということではないようだ。 エメラルド寺院は大きな回廊で囲まれている。回廊には昔の王子が敵国の王に誘拐された美しい妻を助けだすために戦ったというラーマキエン物語が描かれている。最初に描かれてから何回も修復されたとのことで色も鮮やかな壁画が延々と続いている。回廊の中にはいろいろの形をした屋根をもった、いろいろの形をした建物や仏塔がある。殆どの建物はキラキラ光る柱で囲まれている。日本のお寺のイメージとは違い、きらびやかで豪華である。本堂にはタイ国の本尊仏として最も崇められているというエメラルド仏が安置されている。本堂は土足禁止。みんな正座して参拝している。エメラルド仏はあまり大きくない(高さ66センチ)ので近くでお顔を拝むべく立ったまま近づいていったら恰幅のいいおじさんにトントンと肩を叩かれひざまずくよう注意された。 とにかくお美しい緑色の仏様でした。(もちろん写真撮影は禁止です。)
  タイの除夜の鐘はこの鐘の音が全国に流されるという。
   −−エメラルド寺院内

 王宮では衛兵が建物の入口に不動の姿勢で立っておりその横にたって記念写真とる人も見られた。タイミングよく、衛兵交代の時間となり交代の兵の行進を見ることができた。背の高い体格の揃った兵が音楽隊を先頭に行進するサマは見事でした。

 2)暁の寺(ワットアルン)
 エメラルド寺院近くの船乗り場よりメナム川を船で行く。 川から見る高さ67mの塔は見事である。 船着場から塔の近くの入口までの50mほどの間はみやげ物屋のほかタイの民族衣装に着替えての写真撮影、にしきヘビを首にかけての記念写真等いろいろある観光地である。暁の寺は塔の基壇の方にある彫刻が見事だと思った。67mの塔の途中まで登ることができるが階段はけっこう急勾配である。 アソウ花(お釈迦様の四つの樹のひとつ)という大きな木があり、赤い花が咲きいい香りがしていた。

 3)涅槃仏寺院(ワットポー)
 暁の寺から船で戻りすぐ近くのワットポーに行く。長さ46m、高さ15mという黄金に輝く涅槃仏にお目にかかる。タイで3番目に長い涅槃仏とのこと。(1番は50mとか)
 午前中の観光終わり、ホテルにもどり昼食。ビールはシンファ 大瓶180バーツ、安くはないが呑む。 美味しい! 13時25分 ホテル発2時間弱ショッピング。  宝石をメインとする店とタイシルクをメインとする店に行く。 とにかく殆どの店員が日本語を話すことができる。 日本語しか話すことのできないわが身を思い感心する。 中国の新疆やラオスに比べると高いようだ。 物価ではガソリン15バーツ弱(日本の半分)
 15時15分 スタートでアユタヤに向かう。 舗装された道路をほぼ(=途中一箇所少し渋滞)快適に走り、16時30分 アユタヤの町を通りぬけた所にあるアユタヤの遺跡につく。 
アユタヤにて

アユタヤの遺跡はレンガで作られた仏塔が多いがかなり風化がすすんでいる。 ワットプラマハートは大きな木の根に囲まれたというより覆われた、仏像に会うことができる。 アユタヤの写真には必ず登場する(と自分は思っている)あのお姿である。 すぐとなりのワットプラスィサンペットは昔の王様のお墓という古い仏塔がメインである。 こちらは石(とおもう)作りのため殆ど風化していない。 一通り観光し、日没後のライトアップされたアユタヤを見るため先に食事にむかう。
 アユタヤの町のレストランでタイ料理の夕食。 おそらく日本人用に味付けしてあるためか中華に近い感じで辛さも臭いも想像していたほどのことはない。 ここではタイガービール呑む。 160バーツとバンコクよりは安い。 このレストランではカラオケで歌手が日本の歌を歌ってくれる。 やはり”昴”だ。 18時45分から30分ほどライトアップされたアユタヤ観光。 仏塔の上の方だけ照らされ、埃っぽい所が見えないのでこの方が
 きれいだ。 19時10分発でバンコクへ。
 バスの中でガイドさんよりオプションで希望者を”ニュウハーフショウ”に案内するとの話あり。 ワンドリンクつきで4000円とのこと。 ガイドさん「もし気に入らなかったら4000円払わなくてよい。それほど自信もって薦めることができる。」という。

ニューハーフショウ

 この言葉が効いたか殆どの人が行くこと希望。ショウの始まる20時30分ぎりぎりに会場のアジアホテルに着く。1時間のショウ。踊り、コミック、マリリン・モンローのそっくりショウ等楽しませてもらう。みんな本当に美しい。あの顔で、あのボディで女性ではない!とは信じられない。ショウを見た後でガイドさんに「値切らないで4000円ちゃんと払います。」と言って4000円渡す。
 22時前ホテルに帰る。タイの観光1日なのでいろいろ欲張ってたくさん見られるよう計画してくれてありがとう。


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第三日(2月11日)
 5時より朝食。7時10分発の国際便に搭乗するのであるから忙しい。ポーターさん荷物をバスに積み込むのが少し遅れ、予定より少し遅れてホテル出発。7時10分発の飛行機に搭乗するのに出国すましたのは6時50分。航空会社のおねえさんいそげ!という感じだが問題なし。7時15分離陸 8時20分シェムリアップ着陸。飛行機がプロペラ機の小さいので乗客も何十人と少なく、着陸から15分ほどで入国完了。33人乗りのバスに乗る。バスにはハングルでなにやら書いてある。どうも韓国より購入した中古車のようだ。荷物は別の車でホテルへ。初めてのカンボジャよく晴れている。外は暑い。
 ガイドは高校卒後ほぼ独学で日本語を学んだというソウさん。日本語上手。彼の努力に心の中で拍手。彼のお父さんはあのカンボジャの悲劇で彼が赤ちゃんの時に殺されたとのこと。空港からシェムリアップの町まで約20分。メインの道路は舗装されているが片側1車線。ところどころにデコボコもある。この町を走っている車はどういう訳かトヨタカムリの旧型が多い。中にはナンバーのないのも走っている。シェムリアップとはシャムが負けたという意味だとガイドさん説明。なんか誇らしげである。
 平和になり観光で外貨を稼ごうということで町はホテルの建設ラッシュ。アチコチで工事中である。高層ビルはない。いずれも5階建てまで。法律でアンコールワットより高い建物は作ってはいけないとのこと。観光客 現在年間50万人を2005年には2倍の100万人以上にする目標という。市内中心の土地は4〜6万円/uと結構高い。

 9時過ぎアンコール遺跡群の入口(入場券のチェック場所)に着く。ここで写真を貼り付けたパス購入。われわれは3日間有効の券を購入。26人分作成約10分。価格は40ドル。この券はこれから後ここを通る時にバスの窓から係の人に見せることになる。また各遺跡の入口でもこのパスを提示する。このチェックポイントから少し走ると堀につきあたる。バスはここを左折、堀に沿って走る。堀が尽きたところで堀に沿って右折。右側堀の向うにあの(写真で何回も見た)憧れのアンコールワットのすがたが見える。何十年も前聞いた時にはそこに実際に自分が立つ!なんて想像すらできなかった。夢のようとはこういうことを言うのだろう。

 堀は幅190m、周囲5,4kmとのこと。水はきれいとは言い難いが涸れてはいない。我々は午前中はここを通過、さきにアンコールトムに行くとのこと。すぐアンコールトムの南大門前に到着。南大門をバックに記念撮影。アンコールトムとは大きな町という意味だという。(アンコールとは”城壁をめぐらした都市”トムは”大きい”という意味。) 3km平方、高さ8mの城壁をめぐらした12世紀後半に27年もかかって建設した当時としては巨大都市であった。 中心にバイヨン寺がありその近くに王宮があったという。寺の中心から東西南北の各門までは1,5kmあった−現在も(とのこと)

 とにかくここではあらゆる塔の上部には4面の像がありその表情は同じではない。元は54の塔があったので216面の像があったとのこと。因みに54の数の意味は当時のクメールの植民地の数だという。 南門は7つ頭のナーガの胴体で綱引きする神々の像に沿って進む。高さ23mの塔にやさしいお顔の大きな仏さまが迎えてくれる。 南門の撮影ポイントは混みあっている。ここから歩くこと20分近くかかりバイヨンに着く。バイヨンは東西160m、南北140mの回廊をもつ。この回廊出来た時は屋根つきであったという。回廊にはいろいろな物語が彫刻されており当時の生活の様子がわかる。 その中に女性が男性に料理を作らせ、かつお酌をさせている場面がある。(この場面は帰ってからわが家ではふれないことにする。) 回廊であるので東西南北に各面がありそれぞれの面は彫刻で飾られている。とにかくすごい数の彫刻である。
アンコールトム:三連面の菩薩
半日でアンコールトムを見てしまおうというツアーでは全面をみる時間はない。いろいろなツアーのグループが行列でガイドさんの説明を聞きながらぞろぞろと進む。南面の中央(と思う)から中に入る。真近に菩薩の巨大な四面像が多数聳え立つ。中心塔の高さは45mもあるという。足の短い人には不向きな、急な間隔の大きな階段を登り、巨大な塔の林の真っ只中にはいる。 いやぁすごい!三つの塔の菩薩が同じ方向を向いているのが写真に収まるのはここだけ!!というところは撮影する人で大混雑。 もう一箇所微笑みをうかべた最も美しいといわれる菩薩をバックにこれまたうつくしい添乗員さんにシャッターを押してもらう。 800年間変らずやさしく微笑み続けた菩薩のとなりになんともいやしいメガネをかけたスタイルの崩れた熟年男がたっている。 (ということが写真プリントした後わかる。)回廊の上のテラスをめぐり、入ったところにはもどらず、裏側へおりる。
アンコールトム  :800年のほほえみと!?!?おとこ

 続いて王宮跡をみる。王宮は二重の城壁で囲まれていたとのことだが観光ルートからは囲まれたというイメージは湧かない。 城壁の一部の象のテラスといわれる壁の象の彫刻を見る。ここから王さまがここの前の広場に集まった人々に謁見したという。 広場では子供たちが日本で出版された?写真集を売っている。広場を歩いている時は5$と言っているが、他の団体のバスの出発間際では3$という子もいるようである。小生はバスに乗る直前写真集の外に”アンコールの遺跡”という本の二つで5$という買い物をした。ウイークデイの午前中に学齢期の子供が商売していていいのかなぁ?とガイドさんに聞くと、カンボジャでは学校の校舎が不足しており学校は二部制とのこと。即ち午前中行く組と夕方から行く組に分けてあるとのこと。もっともどちらにも行かないor行けない子供もかなりいるらしい。11時15分かなり暑くなったところでアンコールトムの見学終了。昼食へ。

 昼食はシェムリアップの町にもどり(本日宿泊するのとは別の)ホテルにいく。カンボジャ風中華という感じのバイキング。ミルクフルーツというものたべる。甘くておいしい。ビールはもちろんアンコールビール。大瓶一本3$。気温が高いのでうまい。ラベルがカラフル。他のグループの中にボーイさんに頼んでラベルを剥がしてもらっている人もいる。 おれも!とやってみたら簡単に剥がすことができた。昼食後すぐ近くの本日宿泊するホテルに行く。12時25分チェックイン。 暑いのとアンコールワットの観光時間調整のため15時前までホテルで休憩。今朝起床早かったのでやや音は高いがよく冷えた部屋で一眠り。14時55分発でアンコールワットへ。良く晴れており、ひなたはおそらく40度以上あるだろう。朝パスを購入したチェックポイントを通り15時20分アンコールワットにつく。他の団体も同じように時間調整したのだろう。表参道(西側入口)はちょっとしたラッシュである。まずお堀の中の石畳の参道を大門まで歩く。大きな石の石畳なので石と石の間に大きな隙間があり足元注意して歩かねばならない。アンコールワットは中央に聳える五基の塔を囲み三重の回廊がめぐらされている。回廊の長さは第一回廊 南北180m 東西200m 第二回廊南北100m 東西115m 第三回廊は各辺60mとのこと。参道は入口から大門まで190m 大門から本殿まで350mもあるという。本殿中央の塔の高さは65m(と説明あったはず)実は現場ではガイドさんの説明半分ほどしか聞かないであまりの大きさにとまどい、グループから時々離れきょろきょろしていた。 ガイドさんゴメンね!というわけでこの数字は二冊5$で購入した本によるところがおおいい。大門には塔が三つあるがいずれも上の方は崩れたのか、壊されたのか無くなっている。この三つの塔の真中の塔のところが参道になっている。 もちろんこの大門の回廊の中は彫刻が施されている。ここでは中央の門の両脇の番人の詰め所跡という小部屋を覗く。 この門を抜けるとあの(写真で)見慣れた中央=本殿の塔が見える。参道から見ると両側の塔は重なってしまうので三本の塔が見える。 中心というべきところ修理中でシートで覆われているのがちょっと残念。大門から第一回廊までの参道には中庭に下りる階段が何箇所かある。本殿との真中あたり本殿に向かって左側(北側)に大きな池がある。ここで参道からおり池越しに本殿をみる。 ここが絶好の撮影ポイント。ここでしばし撮影のための自由時間。参道からはなれて池の中央あたりまでくると塔がはっきりと五基見える。しかも風がおさまると水面にはっきりと写る。石とはいえ17世紀後半から19世紀後半まで200年近く森林の中に忘れられていたのにこんなにりっぱだとは。12世紀前半完成した時にはどんなにか豪華ですばらしかったことだろう。そして古代クメールの人々の知恵と力の大きさに感嘆せずにはいられない。アンコールワット薦めてくれたNさんありがとう。感激しています。
アンコールワット:午後の風景
 第一回廊沿いに何本かある椰子の木がすーっと伸びて高い。ガイドさんに高さを聞くと30mはあるだろうと言う。参道から第一回廊に入る。回廊の中はここもすべて彫刻が施されている。彫刻の意味するところはこの偉大な寺院の建立者であるスールヤ バルマン二世の物語やヒンズー教の神話そしてインドの大叙事詩マハーバーラタ等であるとのこと。 第一回廊と第二回廊の1/3づつくらいを見る。不勉強なわたしには彫刻の意味は殆どわからない。 しかし規模の大きさというか数の多さには圧倒される。ガイドさん途中で日本人の落書きを見ますか?という。単純なわたしは最近の日本の観光客が残した落書きと思い”そんな恥ずかしいもの見なくていいよ”と言ってしまう。落書きといっても江戸時代ここを訪れ仏像を奉納したことを書き残しているのだそうだ。1632年に当たる年号が記されているとのこと。これも落書きというのかなぁ。370年も前にここを訪れた日本人がいたのだ。第二回廊東側(即ち入って来た方からは裏側にあたる)から本殿との中庭に出る。目の前にすごい急な階段がある。この上はガイドなしで希望者だけ本殿の回廊見てくることになる。ガイドさんによると上りはよいが下りは怖いし危険なのでただ一箇所手すりの設置されている北側の階段からおりてくるようにとのこと。ただ北側の階段混みあってすごい行列なので15分ぐらいは並ぶつもりで回廊めぐりすませて16時50分までには戻ってくるようにといわれスタート。 階段が急(角度75度)なこともともかく一段の幅が大きいことが問題。それでも殆どの人がのぼる。小生も文字どうり四つん這いで のぼる。上では頼みもしないのに若いお兄さんが日本語でいろいろ説明してくれる。ここがもっとも塔が美しく見えるところだとか、こちらに来ると参道が一直線に見えるとか、ここをバックに写真とってあげる、等々あまり上手くはないがちゃんとわかる日本語で個人ガイドしてしてくれる。説明断りもせず、シャッター押してもらったり質問もしたりしてほぼ一巡する。もう下りなければと思いThank you!というと1$くれという。無視すると諦めてさみしそうに離れていく。急にかわいそうになり物陰に手招きし1$わたす。 ”これでもっと日本語勉強します。”と感謝してくれる。引っ掛かったようなちょっといいことをしたような複雑な気分。彼が物静かに話す青年だったことと、無視すると一度は諦めたことからくる気持ちなのだろう。まぁ頑張って給料のもらえる日本語ガイドになって欲しい。で,下りる人の行列を見ると大変な長さだ。とても下のテラスの集合時間に間に合いそうにない。同じツアーの若い女性二人も空いている階段下りるという。俺も男だ!(怖いところ下りるのに意味あるのかな?)という気持ちと最後になってみんなに迷惑かけてはいけないという気持ちから上ってきた階段を上る時よりもっとひどい姿で(あろう)下りる。ならんでいた人たちよりかなり早く集合場所に行くが上で会った若い二人の女性はもう着いている。彼女たちにとっては騒ぐほどのこともない階段のようだ。俺も年か! でもーーそれでもーーー普通の人にとってはかなり怖い階段だと思うし、そう言う人も多かった。階段が混みあったので予定より少しおくれたようであるが17時20分発で夕日のアンコールワットをみるプロン バケンの丘へスタート。5分で丘の下に着く。 一直線のデコボコの登りを15分近くかかって頂上に着く。サンセットの瞬間を見るべく本日のシェムリアップの観光客が全部集まったと思う程の混雑。ここがベストポイント!と各人が決めたところに陣取りサンセットを待つ。

 18時頃日没。 ”みずうみ”を思わすシェムリアップ川に日が沈む。アンコールワットは夕日に染まるというよりだんだん暗くなる感じで無彩色の影を見せている。この”影”の方が何百年も忘れられていた巨大な&偉大な遺跡に似合う気がする。この丘の上り、下りに象が活躍している。上り15$。下り10$。乗っている時間にしたらけっこういい値段と思うが人気がある。下りだけ乗ろうとした人がいたが予約でいっぱいで乗れなかった。とのことだった。もうひとつアンコールワットの西入口のさらに西のところで熱気球があがっている、これでアンコールワットを空中から眺めるサービスもある。われらのツアーは行かなかったがこれは15$とのこと。一度あの巨大なアンコールワットを空から眺めたい気もする。それにしてもいろいろ考えるものだ。18時25分暗くなった丘のふもとスタート。町の手前で30分弱お土産ショッピング。四面に菩薩を彫った紫檀の置物20$で買う。艶がありずっしりとして気にいっている。19時20分より民族舞踊見ながらの夕食。アンコールビール2.7$。われわれ少し遅かったので人気のあるフルーツは不足。踊りは手というより指の動きに注目!という感じ。それにしてもカムボジャにも随分美しい人がいる。 21時過ぎホテル着。22時過ぎ就寝。夜2回短い停電があったようだがよく眠る。

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第四日(2月12日)
  早起きしてアンコールワットの日の出を見に行く。日の出は6時40分頃とのこと。6時ホテル出発。6時20分ワンコールワット着。 どのツアーも日の出を見るために来ているようでたくさんの人だ。われわれの後にもバスが到着している。7時バスのところに集合ということで各自、昨日から考えていた?お気に入りの撮影ポイントに向かう。小生は参道左側の池のところへ。日の出前東の空が少しあかい。アンコールワットの塔はまだ黒々として眠っているように静かだが池の水面は空を写しすこしあかく色づいている。 風もなく水面は鏡のように黒い大きなアンコールワットの五つの塔を写している。日の出前はさすがに涼しくかつ爽やかである。 
夜明け前のアンコールワット
日の出を待てず何枚か撮影。同じツアーの人も数人は同じところで日の出を待っている。

 ここでタイから陸路シェムリアップに着いたという3人の若者に会う。日の出を待つ間”よしもと”を演じて明るく楽しんでいる。彼らの話ではバスはトラックの荷台にベンチをおいたようなものだが結構混んでいるとのこと。出発が3時間も遅れたこと、道路がたがたで大揺れだったとかとにかく大変のようだ。 話を聞いて若くなければとてもできないと思う。そう言うと彼らも若い時しかできない思い出を作ろうと計画したとのこと。 塔をバックにシャッターを押してもらう。空と池があかく色づいて日の出。すこし薄雲があるので太陽まん丸というフウには見えない。でも、黒々としていた塔もあかく色づいて日の出の雰囲気十分。3人の若者も静かに見入っている(ようで)周りは静か。 ほんのそよ風だが池の水面にはさざ波がたち塔の影がうすくなりかつみだれる。すぐにどんどん明るくなり東の方眩しい。

  もう6時50分を過ぎている。大きな石の参道を急いでバスにもどる。ホテルにもどり朝食。8時30分の出発まですこし時間があるのでホテルの中庭のプールサイドのベンチに寝転んで空を見る。気温もまだ高くなくさわやか。こんな雰囲気の国で同じ国の人ドウシで戦争が続いたなんて信じられない。内戦中はこんな観光なんて考えられもしなかったことだろう。平和のありがたさをしみじみ思う。 本日はまず市内から約45Km離れたバンテアイ・スレイに行く。 アンコールワットのお堀までは同じ道を走る。 お堀に突き当たったところを右折する。 これからははじめての道。 カムボジャに来てはじめて農村地帯を走る。 乾季なので田んぼは茶色く乾いている。 稲の刈り株見えるところもあるが、肥料不足か?小さい。 面積あたりの収穫あまり多くないようだ。 茶色の牛も見られるがこれもスリムで,一瞬鹿の大きいやつかと思ってしまう。(鹿ってカムボジャにもいるんだっけ?)道路も途中から舗装なし。 道路沿いには民家がある。 いずれも高床の家、屋根は椰子の葉で葺いた家が多い。 中にはトタン屋根の家もある。 こちらの方が家も大きい、お金持ちの邸宅なのだろうと思う。 どの家にも椰子の木がある。 中に竹の梯子をくくりつけた木がある。 実のたくさんなる木にはこれを使って登るのだろう。 椰子のジュース7リットルを煮詰めると1キロの砂糖が採れるとガイドさんの説明あり。 途中の村からは電気がまだひかれていないとのこと。 ランプ?ではなくてバッテリーとのこと。 道路は2車線であるがところどころにある橋は狭く1車線の橋がかなりある。 とにかく戦争終わってそんなに時間経っていないのだ。話題にはならないが現実には地雷処理の済んでいないところがかなりあるはず。 ここらあたりも観光バスが走るようになってそう長くはないのだと思う。 ここに来られる”時”に生きていることに感謝。 45kmを1時間以上かかって9時40分バンテアイ・スレイに着く。バス駐車場のまわりにはみやげ物屋が何軒かある。 しかしそれ以上に子供の物売りが多い。 プリントのTシャツ、絵葉書、手作りの民芸品、等5$程度で売っている。買う人はあまりいないようだ。 われらは寺院の入口へ。 ここでも昨日のパスを提示する。 バンテアイ・スレイはアンコールワットより約200年古い寺院。 砂岩の中でも硬い赤砂岩が使われており細密な彫刻が風化せず残っている。 門の上に深くしかも細かく彫られたものが良い状態で残っている。 「東洋のモナリザ」と言われる有名なデバターの女神像は千年変らぬ微笑をうかべ今なお艶やかである。 多くの人々が訪れるようになりこの女神に触れる人が多いので最近は手の届く所までは近寄れない。 奥には三つの大きな塔がある。 入口からの参道狭いので終わった人とこれからの人が交錯し混雑している。 10時15分発 次のタ・プロムへ11時に着く。
タ・ブロム:その一 タ・ブロム:その二
 タ・プロムは大きな木の根が塀の上から覆い被さり塀を崩しつつある自然の脅威を感じさせる遺跡である。 この寺院は1186年にその時の王ジャヤバルマン7世によって建てられたという。 アンコール遺跡が自然に埋まっている間やはり密林の中に文字通り埋没しておりその破壊された姿をそのままにしてある。 アンコール関係のパンフレットにはどこかに必ずここの写真が載っているはずである。 観光は東門から入り西門に出るというコースでこの間約450m。 まず東門の入口からして大きな敷石がごろごろ!と言う感じでバリアフリーの正反対である。参道はガジュマルやラワンの大木の間にある。 敷石はなく土であるが、多くの人が歩いているので(あろう)3m程の幅には草一本無い。 やがて塀の上にまたがった巨木が見えてくる。 おお!これだ!という感じで写真写すが、他の人たちは立ち止まりもしない。(後でわかるのだが。)これくらいで驚くなよ!ということである。 やがて僧院だった所に着く。こちらは先ほどの塀より遥かに高く幅もあるがそれを跨ぎかつおさえつけるように巨木が君臨している。 自然の力というのか、生命力というのか、とにかくすごい。回廊の壁の大きな石が木の根に押され回廊の内側に倒れ回廊の道が完全に塞がれている所もある。 寺院を建立した王様には申し訳ないが宗教的な気持ちは出てこない。 観光地で有名な景色を見る時の気持ちと同じだ。 回廊に囲まれた内庭には大きな石がゴロゴロと積み重なっている。 積み重ねたのではなく崩れ落ちて積み重なったという感じである。 いつまでここに入って来ること出来るのだろうか? 台風の大きいのでもきてこの大木がユサユサと揺れたらどうなるのだろうか? わたしが生きている間に、「あの回廊が潰れる前はーー。」とか、「あの大きな樹が倒れる前はーー。」と言う時がくるかも知れない。 そんなことを感じさせる所である。 西門までは最初と同じような参道である。 こちらの参道では子供たちが何人かの集団で踊りを踊っている。 中には裸足の子供もいる。 写真写すとお金要求されますよ、と聞いていたが、あまり相手にされていないようでかわいそうになり一枚撮影。 ワンダラーと言われ1$渡す。
  続いて西門のすぐ近くの王の沐浴場に行く。 大きな池の東側に獅子の像にはさまれて池に下りる階段が残っている。 池には乾季のこの季節でも満々と水がある。一応池をバックに記念撮影。12時前となり昼食へ。 昼食は町に戻り海鮮バイキング。 どうにも暑い、とかいいながらやはりビール(3$)のむ。良く冷えていておいしい。外気温37度とのこと。 昼食後ホテルにもどり15時30分まで2時間強休憩。

 午後はアンコール最古の遺跡と言われるロリュオス遺跡群にいく。 ロリュオスはアンコールに王都が移るまで王都が置かれていた所 でここの遺跡は9世紀後半のものとのこと。 ホテルから約40分で最初のロレイ寺院に着く。四つの大きな塔が残っているが風化が進んでいてひとつの塔は修理中。 あったはずの彫刻もあまり印象に残っていない。 プリア・コー寺院へプリア・コーとは聖なる牛という意味とのことで寺院の方を向いたひざまずいた牛の像が見事である。 大きな塔が六つある。やはり風化がすすんでいて一部修理中である。 バコン寺院 この寺院はピラミッド型の大きな寺院である。 形としてはアンコールワットに近い形と思うが、規模は小さくかつ200年以上古い。 やはり風化が激しい。風化が激しいのは古いだけでなくレンガの上に漆喰を塗ったつくりのところがかなりあることも原因のようである。 ここでは参道にあるラワンの巨木の根に近いところの幹のくぼみの中で”火”を焚いた跡があった。 ガイドさんによるとカムボジャではラワンは油の木といわれ巨木のくぼみで火を燃やし油を採取していたとのこと。 採取した油は木船に塗って浸水防止に使ったり、木に浸みこませてたいまつのように使ったそうだ。 ロリュオス遺跡群観光おわり、17時20分シェムリアップへ。帰りの道路はシェムリアップで働いた人たちの帰宅の行列である。 少数のオートバイ,多数の自転車、その中間くらいの徒歩の人。それにしてもこんなに人がいたのかなぁと思う程の人人人が続いていた。 17時50分町にもどりオールドマーケットへ。 ここではカムボジャの歌のCDを買う。店のおばさん歌を聞かすためCDプレーヤーかけてくれたが、CDとりだすところが動かなくドライバーでこじあけようとしたが開かなかった。 こちらはCDは買ってあげたがあのプレーヤーどうなったかなぁと気になる。

 18時30分よりレストランで夕食。 どうせ解らないだろうと思ったがメニュー見るとなんと生ビールがある。 1リットルオーダー。 ピッチャーにいれて出てくる。温度もほどよく美味しかったです。 アンコールビール、シェムリアップに工場があるのだろうか。 東南アジアはじめての生ビールでした。20時前ホテル着。長い1日でした。アンコールワットの夜明け。タ・プロムの景色。 忘れられない1日でした。

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第五日(2月13日)
  本日は午前中に東南アジア最大の湖のトンレサップ湖へ行き,午後ベトナムに向かう予定。 8時30分ホテル発。本日もよく晴れている。少し走ると舗装道路でなくなる。周りはひろびろとした緑の平野。 そのうちバスは上下だけでなく横にもすごい揺れでノロノロとしか進めない。右側ちょっと離れたところが湖というところの道はとくにひどく人間のジョギング程度のスピードとなる。道路も路肩が崩れかけていてどこででも離合するというわけにはいかない。 小魚をいっぱいに積んだトラックがすごい臭い(バスの窓を閉めていても臭いわかる。)を撒き散らしながら通る。湖近しである。 それにしてもあの小魚食べられるのだろうか?という感じでいると醤油につけ味を出すのに使うのだと教えてくれる。湖が近くなると道路の両側には家が立ち並ぶ。 家は小さく狭い。道路から丸見えの部屋で大人も子供も食事中という家もある。家財道具もあまり見られず生活は豊ではなさそう。 町からの25kmを55分かかって遊覧船乗り場に着く。 遊覧船乗り場は小さい川と言う感じでここから湖の見えるところまで出ることになる。この川(のように見える湖の一部)には岸に沿って筏のような船の上に建物をつけた学校や病院や役所がある。もちろん商店もある。
トンレサップ湖の学校
 トンレサップ湖は乾季と雨季で面積が3倍違うという。従って水面も随分違うので雨季の浸水を防ぐための生活の知恵だとのこと。 因みに雨季の湖の面積は1万平方キローーあの琵琶湖を含む滋賀県の面積の約2.5倍ーーという広さである。 今は乾季で遊覧船乗り場の水深浅く、人が乗ると底につかえてしまいその辺の何人かで押してやっと桟橋を離れる。このため付近の水は真っ黒に濁りドブの臭いが漂う。 いろいろな建物の間を15分近く走り視界が開けると大きな湖だ。風も強い やがて湖面に固定した大きな船に着く。 この船の二階が展望台であり、1階は喫茶とみやげ物屋になっている。 船の前面は水面オンリー、陸地は見えない。 海という感じ。 後方にはマングローブの林や船上の集落が見える。 湖の水は風のためか土色に濁っている。帰りは行きよりかなり湖よりで船を降りる。バスまで民家の間の道路を歩く。 このあたり子供の服も汚れていて粗末。 観光客にワンダラー、ワンダラーと言ってよってくる。まだ戦争の傷跡が残っている感じである。 バスに乗る前に一人離れていた子に日本から持って来ていたカラーボールペンを渡し写真とらしてもらう。 ボールペン両手でしっかりと持っている。かわいい。 バスに乗ると周りで窓に向かって子供たちが手を出している。やがてバス発車、すると何人かの子供は走ってバスについて来る。 一番最後までついてきた女の子は100m以上頑張ったと思う。 しかし何にも得るものは無かった。 バスの人たちもかわいそうに思った人多かったが、ここで何かを投げてやることに抵抗を感じたのだと思う。 わたしも窓を開けてなにかを与える勇気はなかった。 それにしてもあの女の子、帰りの道は遠かっただろうなぁ。
  町に戻ってバイキングの昼食後,12時35分エアポート着。 13時20分出国完了。 出国待合室みやげ物店何軒かあるが大きくはない。 これほど臭いの強い(サロメチールの臭いーーメンソレータムに近いがより強い)ものは日本にはないだろうと思った筋肉疲労回復の塗り薬を買う。 帰国後は車運転中の眠気さましに使うつもり。 ここでアンコールワットが描かれているカムボジャの紙幣一枚分負けてもらい紙幣一枚入手。
ホーチミン市のバイク

  14時40分離陸、プロペラ機。15時45分ホーチミン着陸。16時20分入国完了。16時30分バス空港発ホテルへ。 ホーチミン市内オートバイの数すごく多い。 その上マナー悪い。 車優先、センターラインオーバー多々。 子供を含む3人乗り。etc 
ホーチミンの人口700万人,バイクの台数350万台。 とガイドさんの説明あり。 途中、下校中の白いアオザイの女学生の集団も目に入る。 美しい! 並木は大きくみどり濃い。 その大きさからして戦争でも無傷であったようだ。 17時20分ホテル着。 19時よりレストランで民族舞踊見ながらの夕食。 ビールはサイゴンビール333(=バーバーバーと発音。)



                               
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第六日(2月14日)
 7時過ぎより朝食。 中華と洋食のバイキング。フルーツが美味しい。 本日は午前中市内観光、午後クチトンネル観光の予定。 本日もよく晴れている。8時40分ホテル発,統一会堂(旧大統領府)へ。 無血入城であったので建物&内部破壊されずに残っている。 5階、95室あるという。現在も国際会議に使われている部屋もある。 大統領の執務室の質素さに比べ大統領夫人が接待に使った部屋の豪華さが印象に残る。 続いて統一会堂近くのフランス統治時代の建物であるサイゴン大教会と中央郵便局へ。サイゴン大教会の お決まりのポイントで記念撮影の後、執務中の中央郵便局にぞろぞろと入る。 きれいな切手の見本がホルダーに入れて展示してあるが、ここでは販売はしていないとのこと。 10時20分バス スタート歴史博物館へ。 10分で歴史博物館に着く。 先史時代の古い出土品から近代まで年代を追って展示してあり、50分近くまじめに見学(といってもここで報告できるような記憶はない。−−まじめそうに!が正確)。 11時25分よりショッピング。 アオザイを今オーダーすれば明日の夕方までに仕上げるという。 シルクの高級品が100$程度という。 熟年、男、一人参加、では採寸のしようもない。 ここではちいさい、ちいさい木魚を買う。
 ベトナムの有名な歌(が入っているはず)のCD 買う。 8$。 12時過ぎより飲茶の昼食。 ここではタイガービールの生があり、これを飲む。 中で2$。 タイガービールはタイにもあり多国籍ビールのようである。   13時20分バススタート。 クチトンネルに向かう。 クチまで約1.5時間。 かなりの間 家並みが続く。 ホーチミンは大都会だ。 家並みが途切れると緑の平野。 緑は稲のようである。 日本では真冬の2月というのに緑は濃い。 途中に樹液を採るために樹皮に切れ目を入れた植林がある。 葉っぱの形からすると漆のようだ。
クチに行く途中の漆の木

 サイゴン大学日本語科卒というガイドさんよりいろいろ説明あり。 ベトナムは54の民族の集まった国家であり、言葉は八つもある。 2002年の人口はやく8000万人。 人口の80%が仏教徒。 学制は小5・中4・高3・大4。(日本と似ている。) 通貨の単位はドン。 レートは1円=120ドン。 1$=15200ドン。 ガソリン約50円/リットル。 バイク 日本製25万円。 形の良く似た(=殆ど同じ)の中国製5万円。 と5分の一だがよく故障するらしい。 失業率は1.4%と非常に低い。 社会主義では失業者いないが、(良く働く)労働者もいないという。(そこまで言っていいのかや?)交通マナー悪いが事故は?の質問の答えは年間15000人が死ぬとのこと。日本は車多いのに死者少ないので調査し、バイクに乗る人のヘルメットの着用を義務付けたが、 ヘルメット着用していても死ぬ人多く、今は着用している人少ない。 交通事故まだ増加傾向にあり棺おけ屋が繁盛している。 等々冗談も交えながら退屈しないように頑張ってくれる。
 14時25分クチ着。 まずベトナム戦争でいかにベトナム人民が頑張ったかを主体として,トンネルの説明の付いたビデオを見る。 クチのトンネルは総延長250kmにも及ぶ膨大なものだが、始まりは1946年からの対仏抗争からとのこと。 ビデオのあと現地ガイドの案内でトンネルを見る。 まずは入口。 ウエスト90cm以上はムリと言う感じの長方形、蓋はコンクリート製でトンネル内に下半身を入れて次に蓋の上にまわりと同じ落ち葉をのせ両手で頭上にかざし下半身をかがめトンネル内に全身を入れると共に蓋をする。 そうすると入口がどこにあるか敵にわからないということになる。 そのほかいろいろなタイプの落とし穴。 実際にトンネルの中にはいりかなりの距離を歩く&這う体験もある。 トンネル内狭い所は四つんばいでないと通過できない所もある。 最後はライフルの実弾射撃の体験。 一発1$という。 われわれのグループからも何人か希望。 小生もいい年をして3発チャレンジ。 少し離れた所で順番を待つがすごい発射音だ。 数十メートル先の的を狙うがみんな当たらない。 小生も順番がきてヘッドホーン型の耳栓をしてかまえる。 係員が横について照準の合わせ方、引き金への指の掛け方まで教えてくれる。 3発撃つが的には当たらない,音の割には反動は少ない。 終わっても耳はツーンーーーと言う感じで人の会話がひどく遠く感じられる。 他の人もそうだという。 バスの駐車場にもどる途中に休憩所があり、ここでタロイモのサービスがある。 1時間30分近くかかり市内にもどる。 18時〜30分市場で買い物。 スリに気をつけるよう何回も言われる。 われわれのグループでは被害なかったが日本人のツアーで被害かなり出ているようだ。
 19時頃からホテル近くのレストランで夕食。 本日はフランス料理。 おまけにバイオリンとギターのコンビのバンドつき。 音楽は日本の童謡等リクエストにも応えてくれる。 リッチな気分。 他の人は治ったというのに私は耳のツーンーーーがそのままで本日終わり。(程度は軽くなったがこのツーンは日本に帰っても続いている。 どうも帽子についていた日除けの上から耳栓をセットしたのが原因のようだ。 もしこれからライフルを体験しようという方がいたらくれぐれも耳栓をきっちりセットされるよう申し上げたい。)

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第七日(2月15日)
 6時過ぎ起床。耳は昨日より少しは軽いがツーンのまま。 人の話がエコーつきで皆が甘えているように話しているよう。 一応は聞こえる。
 7時より朝食。 内容は昨日と殆ど同じ。 日本のかけウドンに近いもの食べる。 薄口醤油の味付けであっさりしており朝食にはよい。 窓際の席は日当たりがよく熱いウドンを食べると汗がでる。 本日も晴天。 10時の集合まで時間あるのでホテル近くのサイゴン川に出かける。 少し歩いているとオートバイが寄ってきてどこに行く?という感じで乗れ乗れ(という意味だと思う)という、中には日本語で”社長!”とよぶオジサンもいる。 無視して歩く。 途中信号の無い所で道路横断。 すごい交通量で道路の真中(=中央線)で立ち往生する。 一台の車がスピード落してパッシングする、しかし”どうぞ”という意味なのか?”あぶないぞ!”という意味なのか?解らないので動かず、いや動けずにいる。 それでも車の途切れる瞬間をねらってなんとか横断。 パッシングしてくれた紳士さん。 もし、今のうちに渡れ!という好意だったらごめんなさい。(ここで言っても遅いけどーーー)
 サイゴン川は水量豊かな大きな川だ。 このあたり橋がなく対岸に行くフェリーが出ている。 多くの船が上流へ下流へと航行している。 何を積んでいるかまでは解らない。 ホテルにもどりチェックアウト、冷蔵庫の1.5リットルボトルの水の代金払う。 1万ドンだという1$出すと5千ドンおつりくれる。 聞いてはいたがどうもドンの感覚掴めない。 とにかく支払いはすべてUSドルで済ませることができた。
 10時10分スタート、ミトへ。  本日は夕方近くまでメコン川とその中州の島でのジャングルクルーズの予定。 途中高速道路走る。 入口ゲート、ひとつのゲートに4〜5名の人配置。 チケット販売2名。 少し離れたブースで受け取り1名。 そして、その後に1〜2名の(チェッカー?)人がいる。 社会主義の名残りのようだ。 ガイドさんもこの配置がベトナム経済まだまだのひとつ証だという。 彼の話によるとベトナムの若者は寒いところへ旅行したい人が多いという。 雪を見たことないので雪を見たいのだという。
 12時ジャスト、ミトのレストラン着。 川に柱を立てた高床の水上レストラン、メインディッシュは象の耳の魚という大きなヒレをもった魚のから揚げ。 白身であっさりしていて味はよいが小骨が多い。 ビールは333、1缶2ドル。 暑いので飲んでいる人多い。 みんなが飲むのでーーーなんていいながら「ビールの人!」といわれると最初に手をあげる。レストランから15分ほどで船乗り場着。 ここからは地元のガイドさんがつく。ミトとは美しい凪ぎの地と言う意味でこの町の人口は25万人である。から始まりいろいろ説明あり。 このあたりで河口まで50kmという。 さすがメコン!はるかむこうに見える緑は対岸ではなく中州だという。 川面はかなりの波、数え切れないほど多くの船が見える。 水は一年中濁っているそうだ。 そういえばトンレサップ湖も同じように濁っていた。ここからカムボジャまでは170kmという。 13時10分から船で20分かかって中州のタイソン島へ。 
ジャングルクルーズ
ここではトロピカルフルーツの試食がある。 お決まりのマンゴウやパイナップル、バナナ等数種類の果物が出るがサポチュンという柿のようなフルーツが珍しくかつ美味しかった。 また蜂蜜入りのお茶を飲みながらベトナム楽器による演奏を聞くところもあった。 ココナッツ飴の製造,直売所にも行く。 原料を煮詰め、冷却成型、カット、1個づつオブラードで包装、箱詰めまで全て手作業である。 1個づつをオブラードで包む作業は早く、正確であった。 
 道端には手をのばせば届くところに大きなマンゴウもなっている、あれがドリアンの木ですよ、との案内もある。 ドリアンの木は樫の木に似た大きな木(大丈夫かな?)であった。 次は3〜4人づつに分かれてのジャングルクルーズ。 ヤシの繁る狭い水路を手漕ぎのボートでゆっくり進む。 ジャングルの雰囲気たっぷり。 マエとウシロ二人の漕ぎ手で進むがかなりの重労働だ。 たいていは男女、または男子2名の組み合わせであるが、中に漕ぎ手が母と少女という組み合わせのボートがある。 娘さんの方、途中で疲れてスピード落ちる。 何艘かのボートが狭いところで追い抜く、われわれの乗ったボートも追い抜く。 懸命に漕ぐがスピード でないボートの悲しそうな少女の顔が印象に残る。 お姉ちゃん頑張れ!すぐに力付くよと口には出さずに応援。 手漕ぎボートのクルーズは約20分で終了。 島に渡る時に降りたのとは別の場所で待つ遊覧船へもどる。 それにしても大きな川だ。 中州の島につないだ船のガソリンスタンドもある。 40〜50人は乗れるであろう船が結構揺れる。 あちらの方向が河口ですよ。 という方は島が見え、その先は濁り水ばかりという感じ。 この水の色が私の持つ海のイメージとの違い。 遥かなチベット高原の雪解け水がここまで来たのだろう。
メコン川(この50km先が河口)

 どれくらいかかったのだろう。 ふと去年行ったタクラマカン沙漠の砂の世界を思う。 2月というのに暑く,木々はすべて緑。 はるばる来たなぁとちょっと感傷的になる。 15時30分船着場にもどり、ホーチミンへもどる。耳のツーンは消えないが、ガイドさんの説明も聞こえるし、なんとかなりそう。 17時30分頃市内にもどり大きなみやげ物店へ。 この店にはシャワー室もあり、われわれのように朝ホテルチェックアウトして深夜の飛行機で発つ客の便宜を図っているようだ。 約1時間ショッピング&自由行動。私はこの店の近くの、並木がすばらしい統一会堂から直線にのびる大通りを歩く。 この大通りは交通量多いが歩道も広く信号機も多い左右注意すればなんとかなる。 集合時間の少し前に店にもどり(これからは冷房のあるところばかりのはずなので)シャワーのある更衣室で下着だけ日本モードに着替える。 ここで集合時間に若い二人がもどってこないというアクシデントあり。 ガイドさん店のオートバイを借りて添乗員さんを乗せ捜しにでかける。 後での添乗員さんの話だと、ガイドさんさすがサイゴンっ子!ジグザグあり、逆行あり、のスリル満点のドライブだったそうだ。(二人はしゃぶしゃぶができる前に残っていたガイドさんと共に合流。)19時過ぎよりレストランで夕食。本日は海鮮しゃぶしゃぶ。 333ビール1.8$(2$で2000ドンおつり。)デザートのミルクフルーツが甘く美味しい。 21時前レストラン発、30分足らずで空港着。 チェックインに少し手間取る。 添乗員さんによると、たまたま並んだ窓口の女性ののんびりムードのためのようであった。 チェックインの時JALのマイレージ登録も一緒にすませてもらう。(カードを入れて登録する機械はない。) チェックイン待つ間、蚊が多く虫よけスプレーがここで役にたつ。 22時過ぎても空港内みやげ店営業中。 ここでベトナムの蝶々の切手を買う。 大きくて絵のきれいな切手である。
 23時45分ホーチミン発。

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第八日(2月16日)
  4時40分より朝食。 6時30分定刻に関空着。 いっしょに行ったみなさん和気藹々でよかったです。 ありがとう。
 添乗員さんこまやかな気遣いありがとう。 ”ライフル耳”ではご迷惑をかけすみませんでした
。  (了)
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