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ラオスの旅
2002年1月 チェンマイ ・ ルアンプラバーン ・ ビエンチャン への旅

       
 今回の旅では観光の他に次の二つのことも実現すべく 行く前に少しは準備して出発した。

  1)40年前にラオスから日本に留学していた二人の友達の消息を少しでも調べること。
  2)「ASPB ラオスの子どもに絵本を送る会」への募金で開設した学校図書室を訪ねる。or時間がなければ ビエンチャンの「ASPB」の事務所を訪問する。
 とにかくパンフレットで見る限り ツアーでラオスに行くのはあまりなく、やっと見つけたJTBの ”世界遺産の町を訪ねて ラオスの古都ルアンプラバーンの旅6”というのに参加した。

 二人の友とは1963年に日本の大学の工学部電気工学科を卒業して帰国したトンサン ウプラバンさんそして1965年に医学部を卒業して帰国したカムサボン チュンラマニさんである。
 出発まえにラオスの大使館に電話して尋ねたところ勤続30年近いという日本人のスタッフの方が応対してくれ、そんな前の記録はないとのこと。そして調べるとしたらラオスには国全体で一冊の電話帳しかないので, これで調べて見たらとのアドバイスをいただいた。
 ラオスの国が現在の体制になったのが1970年代であることを考えると1960年代の記録は無いのが当然か?

 一方学校図書室訪問の件は ビエンチャンから車で2時間半はかかるので今回の旅行では時間的に無理だろうとのことでASPBのビエンチャン事務所を訪問すべく、 ASPBの日本事務所よりビエンチャン事務所の住所と電話番号を聞いておいた。

 というような情況であったがともかく旅は実現した。

 リンク : ASPBラオスの子どもに絵本を送る会


旅のルート

 1日目 関西空港〜マニラ経由〜バンコク(乗り継ぎ)〜チェンマイ。(チェンマイ泊)
 2日目 午前中チェンマイ観光。〜午後ルアンプラバーンへ。(ルアンプラバーン泊)
 3日目 メコン川を上り パークウー洞窟へ。       (ルアンプラバーン泊)
 4日目 午前クワンシーの滝 午後ビエンチャンへ。    (ビエンチャン泊)
 5日目 友好橋を渡り タイへ。ウドンタニからバンコクへ。 (バンコク泊)
 6日目 バンコク〜マニラ経由〜関西空港。


第1日(1月26日)
 8時集合と朝早いので前日 大阪宿泊。JRで7時43分関空着。宅急便で送っておいた荷物受け取りの後、 7時55分 チケット他受け取り。早朝なので空いており8時05分にはタイ国際航空のチェックイン終了。 8時15分より説明を聞いた後、 9時20分搭乗ゲート集合ということで一時解散。今回のツアー11名の参加。 この間にタイバーツに両替、本日のレート 3.46円/バーツ。(因みにUSドルは137.80円/$) 10時発のタイ国際航空 TG621便はほぼ定刻に関空離陸しいよいよ念願のラオスへの旅 スタート。
 キャンセルがでたのか 前方の窓側に空席が見える スチュワーデスさんにチェンジたのむとチェックの後OKとのことで席かわる。しかし、残念ながらこの時は曇りで下界は見えない。
 10時35分には飲み物のサービスはじまる。はじめてタイビール=SINGHA BEER をのむ。 アルコール%も約6%と高く 日本のビールと変らずうまい。ビール大好き人間の私は旅に出るとその地のビールを飲むことを楽しみにしている。ラオスに行ったら ビヤ ラオを飲むと決めている。 やがて食事。12時過ぎより晴れてきて下が見えるが海だけ。13時過ぎてから緑の島見える。
 13時45分 マニラ着 外は30度C 晴れている。ここで一度降りる。 15時ごろまで時間あり トランジットラウンジの土産物店覗く。かなりの数の店がある。 スタートしたばかりであり何も買わずに待合室に戻ろうとしたら手荷物の検査があった。 ここもチェック厳重のようだ。待合室で改めてボーディング カード受け取る。 今度は満員である。予定より遅れ15時30分離陸 16時前飲み物 またSINGHAのむ。16時30分食事。
 18時20分 バンコク着陸。チェンマイ行き 乗り継ぎ予定していた便は欠航。次の便まで時間あり1時間30分自由行動。トランジットラウンジ 店多くここで帰りに何を買おうかなぁと とにかくぶらつく。 それにしてもたいへん広いスペースを土産物店のためにとってある。おかげであまり退屈せずに過ごせた。
 21時過ぎ チェンマイ行きに搭乗 22時25分 チェンマイ着。23時10分ホテル着。すぐ食事。 ラーメン食べるが 味、ヴォリュームとも日本に近くこの深夜の食事としては丁度よい。 ビール333ml 2$ものむ。( 1日3回はちょっとやりすぎかなぁ と反省)

    

             チェンマイのお寺で見た大きな木          チェンマイの市場(パラソルの下がお店)

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第2日(1月27日)
 6時30分 ロビー集合で 朝の托鉢見学に出かける。チェンマイのAM6時30分はまだ暗く、肌寒いくらいに涼しい。 ホテルからバスで数分の托鉢の僧侶の通るところにでかける。旅行会社より渡されたお布施をお盆にのせお坊さんを待つ。やがて多くの少年僧が素足で歩いてくる。お盆のお布施を坊さんの抱えた入れ物にいれ、 しゃがんで手を合わせると坊さんがいくらかお経をあげてくれる。それにしてもこの朝早く坊さんも多いが お布施をあげている人も多いのには感心する。7時過ぎホテルにもどり朝食。
 8時35分ホテル出発 チェンマイ観光へ。現地ガイドはタイの”たい”さん。 チェンマイとは新しい都という意味。旧市街はお堀に囲まれた 2キロメートル四方の塀の中。 現在のチェンマイは面積2万平方キロ、人口180万人の大都市であること。タイ国では国民の90%以上が仏教徒。 お寺は東向きで西側(裏)に仏塔がある。等の説明を聞きながらお寺へと向かう。
 1)まずワットチュディルアン(大きな仏塔のある寺と言う意味)のお寺へ。本堂のうしろに中段に象の彫刻のある大きな仏塔がある。この仏塔は地震でくずれ1/3が失われているとのこと。現在でも十分大きいが建立時は随分立派なものであったろうと想像する。またここではお寺の隣に見える大きな木が印象に残った。
 2)ワットプラシン 1800年前の大きな黄金仏がご本尊(と思う)。さすが金 1800年後の今もピッカピカ。

 車中より鉄道のチェンマイ駅 小さな駅。チェンマイからバンコクまで700kmを急行は10時間で走るとのこと。 結構早い。運賃は2等(普通車?)で1000バーツ。 お土産購入を兼ね皮革品の工場とタイシルクの工場を見学。 エイの尻尾のベルトに興味あったが値段高く(何千円だったと思うが定かでない。)買わず。 シルクの工場ではミニチュア機で 繭から糸、織りまでの工程がある。タイシルクのネクタイは柄も良くまた生地もしっかりしており 購入。価格はいろいろだがいい色のものはやはり高い といってもまぁ3000円程度。 それから 予定には入っていなかったがバスの車窓から見えた市場へ多数の希望に応え急遽寄る。 ここでは切り売りしていたチャクフルーツなるものを買う、冷たく甘くておいしい。

 11時55分空港着 各自自由に昼食。私は大阪から参加のkさんとヌードルを食べ二人でビール一本をのむ。 タイ料理は辛いと言われるがこのヌードル問題なし。おいしい。価格は二人合計で411バーツ。

 13時30分発 70人(ぐらい)乗りのプロペラ機でラオス ルアンプラバーンに向かう。タイかラオスか判らないが山の中に焼畑が見える。町は見えない。 飛行1時間足らずでルアンプラバーンに着く。さあ 待ち望んでいたラオスだ。エアポートは滑走路も短く、 建物は平屋で小さい。しかし国際空港であり、ラオス入国のVISAはここで取得。入国審査前の小さな部屋に並び11名全員が30分足らずでVISA取得し15時には入国完了。ここでVISA取得したのはわれわれのグループを含め20数名。 とにかく静かなところである。マイクロバスで早速観光へスタート。現地ガイドは日本語研修のために日本に留学していたという パイディンさん。

ルアンプラバン空港(このプロペラ機に乗る)

空港と町はバスで10分程度と非常に近い。 1)まず ワットビスンナラートヘ 別名 ワット マークモー(すいか寺)と言われ すいか を半分に切ったような形をした高さ35mの大きな仏塔がある。お寺や仏塔の最初の完成は1500年代のはじめで古いが、その後お寺は戦争で1887年に破壊され19世紀末に建て替え。塔は1914年大雨で壊れ1932年改築。とのこと。 大雨で塔が壊れた時、140点もの金銀宝物類が見つかったとのこと。それでも十分古さを感じさせる。 本堂の中の多くの仏像も一部変色している。ここの菩提樹は大きく古い。お寺の境内にお坊さんの宿舎がありおおぜいの少年僧が住んでいる。今は休憩中か境内を散策している。2〜3人と写真をとる。本堂の入口では二人のおばさんが僅かな土産ものを売っている。この時刻このお寺を見学しているのは われわれのグループだけ。お店はヒマ。なんか気の毒な感じもあり 絵葉書10枚買う 80バーツ。ラオスの通貨はキップであるが1円 70?キップととにかくキップの感覚つかめないのでタイバーツで買い物。 (この旅行中 ラオス通貨への両替はしなかった。タイバーツorUSドルでOK.)
 2)ワットシェントーン  1560年に建立されたルアンプラバーンで最も有名かつ最も美しいお寺。 カーン川がメコン川へ合流するところの近く、すぐ下がメコン川である。本堂は屋根も壁もキラキラと美しく、中でも本堂裏の壁に描かれた黄金の木は見事である。このお寺にはわれわれの他にも多くの観光客がいた。 境内に咲いていたブーゲンビリアの色は紅色が強くバックの椰子の葉のみどりとの対照で一層引き立っていた。
 3)少数民族のバザール。定番のシルクスカーフ 刺繍されたまくらカバー、ポシェット等 彫り物等の民芸品のお土産屋さんが多いが入口の方には鍬や刃物を主体にした金物屋さんが何軒もあったのが他のバザールと違っていたようだ。まくらカバーの刺繍はきれいだった。刺繍があまりにきれいで最初何に使うのか分らず片言の英語で聞いたところ可愛い乙女が両手を頭の下にして寝転んで目的を説明してくれてやっと了解した。 使うのがもったいなく(今思えば飾っておいてもいいのにーー)買わなかった。もし、機会あれば今度は買おう。
 4)プーシー丘でメコンに沈む夕日を見る。382段の階段を上がる。これはいい運動になる。しかしどのツアーにもここで夕日を見ることはコースに入っているようで階段はかなりの人である。約10分で頂上着。サンセットにはもう少し時間あるが、いい場所はもうかなりいっぱいの人。15分もするとメコンの川面があかく日光を反射。だんだんいい雰囲気。このころになるとルアンプラバーンの本日の観光客が全員集まった感じで狭い頂上は大混雑。会話から日本人もいくらかいるようだが、日本語でない言葉をしゃべり皮膚の色の白い人達の方が圧倒的に多い。

 18時頃 夕日はメコンの川の向うの山に沈む。 夕日もだが夕日に映えたメコンの川面がきれいであった。 大混雑の階段を下り、ホテルへ。 10分ちょっとでホテル着。丘の上の広い敷地に別棟の建物がいくつかある静かなホテル。チェックイン後すぐにガイドのパイディンさんに古い友人の電話帳による調査を依頼する。 添乗員のKさんにも一緒に話を聞いてもらう。ガイドさん二人の名前をメモしてくれという。 ラオス語もアルファベットでの綴りも分らないと言うと、日本語でもよいという。 トンサン ウプラバン    カムサボン チュンラマニ とメモして渡す。トンサンは電気工学を、 カムサボンは医学を学んでいたことも伝える。 もうひとつ ASPB ビエンチャン事務所への連絡もたのむ。

ルアンプラバン。プーシーの丘の夕日とメコン川

 ホテル内のレストランで薄味の中華という感じのラオス料理の夕食。それにしても静かだ。メインの道路から離れていることもあり車の音も殆ど聞こえない。いや聞こえないと言っていい。ルアンプラバーンはメインの通りでも車の数は少ない。 この静寂の中で 明日を期待する。トンサンは。カムサボンは。今どうしているのだろう?。
 40数年前 トンサンと出会って間もなく日本語で話していた時 ”おおはらさん、あなたのにほんごわからない。 えいごではなしてください。”といわれ、片言の英語で話したらもっと分らなかったことを思い出す。 もし、今回 会えたら”トンサンよう あの時は無理をいったなぁ.俺が英語話せるのなら最初からはなすがな。” なんてことも話したい、等考える 連絡とれるといいのだが。殆ど物音のしない天井の高い部屋で心地よい眠りにはいる。


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第3日(1月28日)
 5時30分起床。にわとりの鳴き声聞こえる。外は霧が出ており肌寒い。朝もやはり静かだ。 6時40分 朝食へ 私一人だ。 6時30分オープンだが通常そんなに早くくる客はいないのだろう。 バイキングの料理まだ全部は揃っていない。紅茶を飲みながら少し待つ。朝食後昨夜書いたラオスの絵葉書 日本へ発信たのむ。エアメール 5枚で 67.5バーツ。 出発まで時間あるので散歩に出かける。ホテルのある丘は町はずれになるようである。丘をおり歩いて行くとこの町のメインストリートにぶつかるはずの通りがある。 この通りを歩く。途中時々あるちょっと大きな建物はゲストハウスのようだ。また学校もある、もう登校したのか なぜか男の子ばかりの5人の子が竹の棒で仕切られた校庭の外で遊んでいる。カメラを向けると集まってくれるので学校名が書いてあると思われるところの前で写真を写す。 やんちゃの盛りと言う感じでかわいい。 (後日 この写真 ASPBの責任者に見てもらったところルアンプラバーンに行く予定あるので届けてあげるとのことで5枚の写真を送る。)
 出発前 ガイドさんに電話帳で何かわかったか聞くが、「待ってくれ」というだけで結果わからない。
 9時ホテルスタート。本日の観光へ。
 1)王宮博物館。1909年 当時の王 シーサワンウォンとその家族のために建立された建物。

ルアンプラバンの小学校前にて

 1975年までその家族が住んでいたとのこと。門から建物の入口までの大きな木の並木が続く。建物には靴を脱いで入る。 宗教儀式に使われた黄金物や象牙などの宝物もあるが 王や王妃の接見室や寝室等政治や生活の場だったところが公開されている。門の前で名物の川海苔を売っている。日本のように海苔のある国にはあまりお勧めではない感じ。
 2)船でパークウ洞窟へ。王宮博物館の近くのメコン川の船乗り場へ行き、24人乗りの船貸切で 10時15分スタート。メコン川の上流へ向かう。両岸はみどり。河岸に繋がれた船にタンクを積んだガソリンスタンドも見える。 
時折 河岸に畑もありその奥に集落がある感じ。日本の竹より葉の多い竹やその竹よりはるかに高いやしの木などが見える。たまに下りの船にも会うが船の大きさのわりには乗客は少ない。稀に2〜3人乗ったモーターボートが大きなエンジン音を出しながら追い抜いていく。 11時35分 パークウ洞窟に着く 船着場には数艘の同じような船が繋がれている。かなりの観光客が訪れている。 洞窟は2ヶ所あり、川に近い方の洞窟には2500体、川から少しはなれたより大きい洞窟には1500体の仏像が祀られている。川から離れたほうの洞窟は深く奥は暗いので懐中電灯が必要。(入口に無料の懐中電灯もあった)

メコンのガソリンスタンド

 川から離れたほうの洞窟へは坂と階段を15分近く歩くので結構 汗をかく。12時15分対岸のパークウ村に渡る。 船着場から急坂をあがると土産物屋や食堂が数件づつある。土産物店見た後で、ある食堂に入る。ここでラーメンをたべる。とりのスープ味であっさりしており美味しい、洞窟への坂で汗をかいたこともあり ラオビアを飲む大瓶で2$。(ここで何種類かの料理で昼食という予定であったが連絡不十分でどうも希望の献立が揃わなかったと言う雰囲気。ここでは軽くすませルアンプラバーンに戻ってから正式な昼食となる。)
  3)13時出発 ルアンプラバーンへ向かう。途中酒つくりの村(=バーン サーンハイ村)による、パークウ村と同じような自然に近い船つき場から10メートルほど急坂を上がると薪のとろ火で酒を蒸留し焼酎を作っている。アルコール度40%以上という焼酎試飲したがとにかく熱いという感じ。焼酎の他にワインも売っておりこれのミニュチア瓶(30バーツ)を買う。ここにも民芸品やシルクを売っている店が10軒以上ある。 14時25分ルアンプラバーンに着く。船着場近くの中華レストランで昼食。ここではラオビア1$ここの価格表によるとご飯 4000キップ。炒飯 9000キップとなっている。やはり安い。
  4)15時25分レストラン発 バス5分でバーンパノム村(=織物の村)へ、絹や棉の織物を市場のように多くの店が集まり売っている。スカーフ等製品もあるが布売りがかなり多い。木彫り等の民芸品を売っている店もある。
  5)続いてバスで15分足らずのサンコン村(=和紙の村)へ、ここでは手漉きで紙を作っている。赤い花びらを漉きこんだりした少し厚手の和紙だ。ここではこの和紙に象を描いた作品を買った。原料の繊維が長くここの和紙は強そうだ。
  6)続いてメインストリート(=ナボーン通り)のナイトバザールへ。10分で着く。とにかく町が大きくないので次の目的地にすぐ着くのは有難い。昼間の歩道にいろいろな出店がならんでいる。祭りの出店のように食べ物を売っている店もある。 定番のスカーフや小さいポシェット等を売っているみやげ物店も結構多い。インターネットハウスもあり観光客らしきラオス人でない人がやっている。200キップ/1min。まだ時間が早いためか人出は多くない。 17時過ぎホテルに戻り休憩後 19時より夕食のため、メインストリートのレストランに出かける。 本日の夕食は中華。ビール1$、二本飲む。20時40分終了 町は随分賑わっている。ホテルへの途中にあるワットに停車。 多くの人々がロウソクに火を灯しお堂の周りを廻りながらお参りしているのを見物。暗闇の中無数のロウソクの火がゆっくり一方向に揺れながら動いている。昼間の人の少なさに比べると バザールにしろ、お参りにしろ随分の賑わいだ。 21時ホテルに帰る。


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第4日(1月29日)
  6時50分 朝食へ。本日は二番。食事終了後 ボーイさんに日本語の質問受ける。 最初は apple は日本語では どう言うか?からスタート。coffee or tea? は。Finish? は。等々質問される。 時々来るお客さんにコーヒーや紅茶を出しながら 懸命に質問。日本語の発音を自分で発音しながらローマ字でメモする.1時間以上果物の名前や食事の時に予想される言葉を質問される。彼の熱心さと発音からすぐに使ってくれるだろうと思った。因みに我々が宿泊したのは PHOU VAO HOTELです。このレポート読まれた方 もしPHOU VAO HOTELに泊まられたら、レストランではきっと日本語で応対してくれると思いますよ。
 本日は午前中 ルアンプラバーン郊外のクアンシーの滝へ行き。 午後飛行機でビエンチャンに向かう予定。 9時 ホテル発。まず朝市に寄る。果物の区画、野菜の区画、衣類 雑貨の区画。等多くの店がある、野菜のところが一番活気がある。ここでラオス音楽のカセットテープ 30バーツで購入。途中とぎれとぎれにあるモン族の村を通り 舗装のない道を クアンシーの滝へと向かう。モン族の村では時々 日本の縁台のようなところに男達が集まりカードで遊んでいるのを見かける。聞くとお金がかかっているようだ。今は乾季で植えられていないが水田もある。

ルアンプラバンの朝市

 またラワンの植林もある ラワンは約30年で伐採できるという。10時駐車場着.入場料がいる。 滝はここから歩いて約10分。 滝までの道にはポインセチアの大きな木があり赤がきれいである。  道路沿いにトラがいっぴきだけいるという動物園(と説明されている)がある。また道沿いには数軒の店があり飲み物や民芸品を売っている。 クアンシーの滝は水量豊富で高さもあり 幅もあり結構大きい滝である。またなによりも水がきれいである。 みなより少し早く駐車場にもどる。バスのドライバーさん地元の人と博打中。 私が戻ると慌ててやめてドアーの鍵あけてくれる。どうもスキ者が多いようだ。YOU GET?というと 彼はニヤーとして首を横に振る。負けたようだ。
  10時45分出発。途中ラーウォン村(ラオトウーン族の村)による。ここでも刺繍をした民芸調のお土産を売っている家が何軒かある。なぜか村で見えるのは女性と子供ばかり男たちはどうしてるのかなぁ。やはり あれか? モン族は元は68の族があったとのことだが現在は16族に減った。この村のラオトウーン族はその中のひとつ。
  と ガイドのパイディンさんが説明してくれる。12時前ホテル着 すぐ昼食。13時45分ホテル発 10分でエアポート着。ガイドさん携帯電話でASPBビエンチャンオフィースに連絡。我々がホテルに着くころ責任者がホテルまで来てくれるよう手配してくれる。聞きにくかったが電話帳の調査結果聞くと二人とも見つけることが出来ないという。結果よくないので彼も言いにくかったのだろうか? とにかく40年は長く、しかもその間に国の体制が変っているのだ。残念だがやはりあきらめざるをえないのか。

                   ルアンプラバン近くのモン族の村にて

  飛行機はやはりプロペラ機 離陸後35分でビエンチャン WATTAY International Airport に到着。 ビエンチャンは人口60万。内市内に住んでいる人は15万と国の首都としては小さい。メコン川のほとりで対岸はタイ国、このあたりの川幅 800m 等ルアンプラバーンからずっと一緒のパイディンが説明してくれる。                              

まず 凱旋門へ。凱旋門は1960年代に内戦で戦死した人の慰霊のために建てられ、現在まだ未完成とのこと。最初はアーヌサワリー(=記念碑)といわれていたが、最近になってパトゥーサイ(=凱旋門)といわれるようになった。 高さ40mを急な階段を歩いて上ると結構息がきれる。上からはビエンチャンの町が一望できる。家よりも木の緑の方が多い町である。その緑の向うにメコンがあり、対岸のタイまでみえる。

 17時ホテルに着く。 ASPBのソンペットさん すでにロビーで待っていてくれる。 たまたま 今日 ついさっきまで 私の寄付で図書室を開設した学校の先生が図書室の利用状況等の説明に来ていたとのことで その話やラオスの教育制度の説明等を英語で聞く。(利用状況については その後文章で報告あったので添付-PDFファイル)

彼女は日本語勉強中で読み書きはいくらかできるが会話はまだとのこと。時間があれば学校訪問して欲しいと今日きた先生も言っていたとのことだが、明日朝 タイに出国するツアーなので時間がなく残念。彼女にもそう話す。 

パトゥーサイ(凱旋門)から見たビエンチャンの町

 40年前に分らないと言われてから進歩のない英語力で 約1時間の一対一の会話。疲れました。
  彼女の「子供の教育は国の将来にとってとても大切です。子供たちにいい教育をしたいです。」という言葉と、 日本語を勉強し将来には日本の本をラオス語に翻訳したいのだ。 という情熱に感激した。
  夕食はメコン川近くのLANE XANG HOTELに出かけ、歌と民族舞踊のショウつきのラオス料理をたべる。ここのレストランには我々の他に日本のグループや 韓国のグループも来ており、その関係で歌では日本の歌として”上を向いて歩こう” 韓国の方は”アリラン”のサービスもあった。韓国のグループには元気な人がおり鉢巻をして舞台に上がり歌手と一緒にアリランを熱唱していた。ホテルの前のメコン川沿いにはオープンカフェが多く アベックのメッカと説明あるも残念ながら案内はなかった。相手のないヤツは行ってはいけない!ということのようだ。


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第5日(1月30日)
  8時の出発までにASPBのオフィースを見ておこうと思い 6時40分より朝食。バイキング方式の朝食は果物も豊富であり、安全第一で食べなかったがーーマグロの刺身もあり 立派なものであった。ホテルのフロントでASPBの住所を示しここに行きたいのでタクシーを頼むというと、ホテルのボーイさんが車(ホテルの車=トヨタのランドクルーザー)で連れて行ってくれるとのこと。早速スタート。 ご丁寧にメコン河畔、中国人街、NATIONAL THEATER,等も回ってくれる。 いろいろ探した後、やっASPBオフィース見つける。まだ朝はやいのでオフィースは開いていない。オフィースの前で記念撮影しホテルにもどる。料金はボーイさんへのチップだけでよいと運転してくれたボーイさんいうので5$渡す。 (今はちょっとケチったかなと後悔。)
  8時ホテル発 ブッダパークへ。45分でブッダパークに着く。コンクリート製主体の大きな仏像がメコン川ほとりの草と木の中の野天に沢山建っている。完成したのかまだ未完成なのかも定かでない。 パークから出国手続きをするオフィースまでの途中の撮影ポイントでラオス側から友好橋を撮影。20分たらずで国境オフィースに着く。外国人専用のラインもラオス人専用のラインも多くの人が並んでいる。迎えと送り両方と思われるバスやタクシーで大混雑。ゲートの向うのタイ側にはタイの車が沢山並んでいるのが見える。 長い間待ち望んでいたラオス訪問がもう終わる。古い友人に会うことは叶わなかったがなぜかやさしさを感ずるラオスだ。
  出国待つ間に3日とちょっとのラオス滞在中ずっと案内してくれたパイデインさんとツウショットで写真写す。ラオスはまだまだ豊ではない。でもラオスにいる間物乞いする人に一度も会わなかったことを出国間際のこの時にふーと思う。ラオスはいい国なのだ。そのラオスよさようなら。並ぶこと30分 9時55分ラオス出国。 タイ側の迎えのバスに乗りすぐスタート。長さ1174mの友好橋を5分足らずで渡る。渡ったところでタイ入国手続き。バスは高架になっている橋からの道路を少し走り一般道を橋の方に引き返す。メコンの土手下でかつ橋のたもとというところで停車。踏み跡のような急坂を上り友好橋からの道路に出ると歩道があり橋まで続いている。 

 ビエンチャンのブッダパーク

 橋の中央といったところに厳重な鉄柵がありラオスとタイを分けている。この鉄柵の近くまで行きバスに引き返す。 タイ側の橋のたもとはノンカイという町とのこと。 このバスでウドンタニの飛行場まで行くとのこと。 11時前旅行社の事務所でトイレタイム。約50分でウドンタニ エアポートに着く。ここで昼食、自由食。殆どの人がエアポート2階のレストランの 2$のバイキングにする。シンファビール(90バーツ)を加えると上等の昼食。
  チェックインすると待合室に特別シートがある。お坊さま専用シートとのこと。お坊さまが随分尊敬されているのがわかる。13時前ウドンタニ離陸 機内のバックミュージックなぜかあのNHKのシルクロード いやぁうれしかった。 50分でバンコク着。ホテルまでと明日 朝の空港までのガイドはタイ美人のスーさん。タイ国の人口7000万人、バンコクは900万人 国の面積は日本の1.4倍 90%は仏教徒等飛行場からの短い時間に説明してくれる。
  15時 ホテル着。18時30分の夕食まで自由行動。ホテル近くのデパートに行く。1階は世界でおなじみのブランドショップ、?階電気製品 大型テレビをはじめ品揃え豊富。更に上の階にはスーパーもある。ここでお土産のチョコレート買う.値段は内緒。18時30分よりホテル内のレストランでタイ風しゃぶしゃぶの夕食。魚介類、牛肉、野菜等種類豊富。日本のしゃぶしゃぶよりよく熱をとうして食べる。美味しい。果物やアイスクリームのデザートもあり豪華。20時ごろ夕食終了。時間があるので一人でホテル近くに何軒もあるオープンのマッサージ店にいく。 タイ古式マッサージたのむと二階のカーテンで仕切った小さな空間に連れて行ってくれる。1時間30分近い入念な指圧受ける。印象に残ったのは親指で強く抑えると親指の先に熱を感じるほど暖かくなることだった。 日本円 1000円で50バーツおつりをくれる。大勢の客とマッサージ師(女性)が日本の散髪屋の雰囲気で行っておりチップを渡すこと失念。

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第6日(1月31日)
 7時前から朝食。朝食後時間があるのでホテルのすぐ近くの公園を散歩。熟年の婦人のグループが太極拳をやっている。 丁度終わりのところ。ここでもご婦人が集まるとにぎやかだ。ここでホテルをバックにシャッターおしてもらう。
 8時20分ホテル発。9時前空港着。30分弱で出国手続き完了。約1時間自由行動=買い物。キンキラキンの象とドライドリアンを買う。11時40分バンコク発 マニラ経由 20時50分関空着で帰国。 添乗のJTBのkさんいろいろありがとう。特にバンコクの空港で渡してくれた”旅日記”感謝感激。後日大変助かりました。
 同行の10名のみなさん差し入れやシャッター押しありがとうございました。
    (了)


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